伊豆箱根鉄道

名前のとおり、伊豆および箱根の両地域で、鉄道や鋼索線などの交通事業を中心に、観光業や不動産業などを行っている企業です(本社:静岡県三島市)。西武グループに属しており、バスやケーブルカーはライオンズカラーを配しています。

1916年12月に駿豆鉄道として発足し、翌1917年11月に富士水電から電気鉄道と軽便鉄道を譲受しています。1923年に箱根土地(現・コクド)の経営傘下に入ってからは、バス会社や船舶会社を合併し、1938年には箱根に進出して箱根新道の営業を行いました。1941年には大雄山鉄道を合併し、小田原周辺のバス事業を含めています。戦後の1954年には西伊豆の航路を組み入れるなど、合併によって事業を急速に拡大していきます。この間、伊豆および箱根における、東急グループおよび小田急グループとの確執は熾烈をきわめ、“箱根戦争”と称されました。1957年6月に、現在の伊豆箱根鉄道と改称しています。

東証二部に上場していましたが、西武鉄道とともに表面化した有価証券報告書虚偽記載疑惑によって、2004年10月には監理ポストへの割り当てが決定し、12月には上場が廃止されています。

(2004年12月30日)

【Link】伊豆箱根鉄道公式Webサイト

★1996年2月29日、修善寺にて完乗。2010年10月24日、牧之郷にて全駅乗降。

三島から修善寺にいたる、19.8kmの路線です。全線単線電化で、10~15分間隔の運転になっています。JRからの直通特急「踊り子」が、毎日2往復、週末に1.5往復乗り入れています。

三島から市街地を縫うように走り、本社と車庫のある大場付近から田園地帯になります。原木から鹿野川に沿って南下し、大きな駅舎と巨大なバスターミナルのある修善寺に到着。修善寺温泉郷へは、ここから同社のバスで連絡します。

豆相鉄道によって、三島町(現・三島田町)-南条(現・伊豆長岡)が1898年5月20日にまず開業し、ついで同年6月15日に三島(現・下土狩。丹那トンネル開通前は現在の御殿場線がメインルートで、当駅が三島への玄関口でした)-三島町が、1899年7月17日に南条-大仁が開業して、現在の路線の骨格ができました。しかし経営は思わしくなく、伊豆鉄道、駿豆電気鉄道、富士水電と経営主体が転々としたすえ、1917年10月に駿豆鉄道に譲渡されています。これから展開が積極的になり、1918年から1919年にかけて電化され、1924年8月1日には修善寺まで延長開業を行っています。1934年12月1日には、丹那トンネル開業によりターミナルを新しい三島駅に移し、12月27日に下土狩までの区間を廃止しています。1959年には1,500Vに昇圧し、現在にいたっています。

(2004年12月30日)

駅一覧

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乗車履歴

  • 三島-修善寺 1995年2月22日

十国峠へ向かう、全長317m、高低差101mの鋼索線で、所要時間は3分です。再急勾配は40.8%と、短距離ながらなかなかの急傾斜です。登り口には巨大な駐車場が整備されており、レストハウスも営業しているため、自家用車や定期観光バス、ツアーバスなどが頻繁に訪れており、鉄道駅の趣はまったくありません。

1938年9月に完成していた十国峠展望台へのアクセス手段として、1956年10月16日に開業しています。

(2004年12月30日)

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乗車履歴

  • 十国登り口-十国峠 1995年2月22日

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