池場から先、しばらくの間は両サイドの谷がやや離れ、小なりといえども平地が形成されている中を進みます。この先、飯田線は愛知県新城市(旧鳳来町)から静岡県浜松市(旧佐久間町)へ入りますが、わずかな区間だけ、東栄町を通ります。
東栄駅はこの区間に設けられていますが、同町の南の端をかすめているに過ぎず、東栄町の中心である本郷地区は北に8kmほど離れており、路線バスで15分ほどを要します。
ゆったりした構内に、島式ホーム1面2線を構え、構内踏切を渡って北側にある駅舎へ向かう構造になっています。基本的に普通列車のみが停車しますが、特急「伊那路」が臨時に停車することがあります。
駅舎は無人化されたのちに改築されたものですが、「ふるさと文化交流館」と一体化する形になっています。駅舎は、駅正面側からは蔵のような和風建築(もどき、と称するべきか?)、ホーム側からは鬼の面をかたどっており、それぞれ異なった表情を見せています。国の無形文化財に指定されている「花祭り」を意識しているものでしょう。
なお、同交流館では、三信鉄道の資料を展示しているとの情報がありますが、私が下車したときには確認できませんでした。
貨物営業は比較的早くから廃止されていましたが、留置線があり、作業用車などが休んでいるのが見えます。さして大きい集落でもないのに駅が大きいのは、旧三信鉄道区間では平地を確保できる駅がそもそも少なかったため、用地が確保できるところが自動的に拠点となっていたためでしょう。
駅前には数戸の個人商店や民家が並んでいますが、全般にひっそりとしています。
特急は基本的に停車しませんが、お盆などの観光シーズンの際には特急が臨時停車します。
北側(駅本屋側)から順に、1番線、2番線となります。
東栄町の名称は、1955年に本郷町、御殿村、下川村、園村が合併した際の新町名として使われたものですが、その由来は確認できていません。瑞祥地名でしょうか。
1933年12月、三信鉄道の南側区間として、三河川合から開業しました(当時は中間駅なし)。当初は、駅およびその一帯を広く指す地名から「三信三輪」と称しましたが、国有化された1943年8月1日に、駅周辺の集落名をもとに「三河長岡」と改称されました。さらに、三輪村が東栄町になったのを契機に、1956年12月20日には「東栄」と改称されています。
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2005年9月7日
2009年9月20日、加筆修正
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