島式ホーム1面2線と、コンクリート造の平屋駅舎を持つ駅です。しかし、構内に広がっている側線には多数の機関車や貨物列車を見ることができ、工業都市四日市における貨物営業の一大拠点であることがうかがえます。現在でも旅客が従で貨物が主という位置づけは変わっていないようです。
島式ホームの亀山方にある構内踏切で、西側にある改札口へ向かう構造になっています。駅改札口付近は非常にゆったりしており、よくいえば開放的、わるくいえば旅客用のアプローチが不明確ともいえます。
島式ホーム1面2線と、コンクリート造の平屋駅舎を持つ駅です。しかし、構内に広がっている側線には多数の機関車や貨物列車を見ることができ、工業都市四日市における貨物営業の一大拠点であることがうかがえます。現在でも旅客が従で貨物が主という位置づけは変わっていないようです。
島式ホームの亀山方にある構内踏切で、西側にある改札口へ向かう構造になっています。駅改札口付近は非常にゆったりしており、よくいえば開放的、わるくいえば旅客用のアプローチが不明確ともいえます。
かつては「みどりの窓口」がありましたが、現在では廃止されています。駅の管理はJR貨物が行っており、窓口業務は委託によるものです。国鉄時代は、この南四日市が関西本線と伊勢線(廃止、現在では河原田-津が第3セクターの伊勢鉄道により継承)の分岐点だったため、事務室の脇にキロポストが残っています。なお、南四日市から河原田までの区間は、両線の二重戸籍区間でした。
ところどころに住宅が建っているものの、駅は工業地帯のただ中に位置しており、生活感はやや希薄な駅という印象があります。
確認中。
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1928年7月1日に設置された日永信号場が前身にあたります。停車場となったのはずっと後のことで、1963年10月です。
確認中。