田園地帯の中をのんびり進み、左手に民家が密集するようになると、ぐいっと線路が曲がり、列車は伊勢川口駅に到着します。これまでの名松線各駅とは異なり、しっかりした木造駅舎が健在です。
駅舎の正面には「伊勢川口駅」という駅名表示がありますが、これがなぜか、駅事務所入り口の上に掲げられています。通常は旅客が出入りする待合室の玄関部分に掲示されるのですが、この駅では職員に用がある人のほうが、単に列車に乗るだけの旅客よりも多かったのでしょうか。
【写真1】の左手には、かつて貨物を取り扱っていた敷地の跡が残っています。現在も側線が生きており、レールや枕木などが積み上げられ、保守資材の保管場所として利用されていました。
駅事務室周辺には新建材が入っているものの、待合室の窓枠は木のままで、古くからのものがそのまま残っています。戦前のローカル駅の標準形がそのまま残されている駅として、貴重な存在といえましょう。
ホーム幅は比較的ゆったりしており、これを降りたところに駅舎が待ちかまえています。なお、戦前に走っていた中勢鉄道の跡地は、確認できませんした。
駅の周辺は農村地帯となっており、駅前には商店が建ち農家が数戸集まっているなど、集落としての体裁を整えています。駅前にはそこそこの数の自転車が停まっており、定期的な利用者も一定数はいるようです。
駅名の由来
本文を参照のこと。
歴史
名松線が家城まで開通した際に設置されました。なお名松線が開通する前、この伊勢川口には久居から通じる中勢鉄道が延びており、名松線開業当時に連絡駅となりましたが、同鉄道の経営は名松線開業後に苦しくなり、戦時中の1943年1月末かぎりで廃止されています。
- 【1931年9月11日】 国有鉄道(鉄道省)によって、名松線の井関-家城間が開通し、伊勢川口駅開業、中勢鉄道と接続。
- 【1943年1月31日】 この日かぎりで中勢鉄道廃止。
- 【1965年9月30日】 この日かぎりで貨物営業廃止。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR東海の駅となります。
周辺の見どころ
確認中。