小集落の中に古い駅舎が残る

伊勢川口

いせかわぐち
Isekawaguchi
伊勢川口駅
▲伊勢川口駅駅舎《2005年7月23日撮影》
伊勢川口駅舎を南西側から
【写真1】伊勢川口駅舎は、民家か事務所のように見えます。《2005年7月23日撮影》

田園地帯の中をのんびり進み、左手に民家が密集するようになると、ぐいっと線路が曲がり、列車は伊勢川口駅に到着します。これまでの名松線各駅とは異なり、しっかりした木造駅舎が健在です。

駅舎の正面には「伊勢川口駅」という駅名表示がありますが、これがなぜか、駅事務所入り口の上に掲げられています。通常は旅客が出入りする待合室の玄関部分に掲示されるのですが、この駅では職員に用がある人のほうが、単に列車に乗るだけの旅客よりも多かったのでしょうか。

【写真1】の左手には、かつて貨物を取り扱っていた敷地の跡が残っています。現在も側線が生きており、レールや枕木などが積み上げられ、保守資材の保管場所として利用されていました。

伊勢川口駅舎を南東側から
【写真2】駅舎の待合室まわりは、開業当時からあまり変わっていないように思われます。《2005年7月23日撮影》

駅事務室周辺には新建材が入っているものの、待合室の窓枠は木のままで、古くからのものがそのまま残っています。戦前のローカル駅の標準形がそのまま残されている駅として、貴重な存在といえましょう。

伊勢川口駅ホーム
【写真3】幅広のホームと重厚な駅舎のバランスがよい。《2005年7月23日撮影》

ホーム幅は比較的ゆったりしており、これを降りたところに駅舎が待ちかまえています。なお、戦前に走っていた中勢鉄道の跡地は、確認できませんした。

伊勢川口駅を松阪方面から望む
【写真4】駅の前後でレールが不自然に曲がっているのは、かつてこの駅に列車交換の設備があったことを示しています。《2005年7月23日撮影》

駅の周辺は農村地帯となっており、駅前には商店が建ち農家が数戸集まっているなど、集落としての体裁を整えています。駅前にはそこそこの数の自転車が停まっており、定期的な利用者も一定数はいるようです。

駅名の由来

本文を参照のこと。

歴史

名松線が家城まで開通した際に設置されました。なお名松線が開通する前、この伊勢川口には久居から通じる中勢鉄道が延びており、名松線開業当時に連絡駅となりましたが、同鉄道の経営は名松線開業後に苦しくなり、戦時中の1943年1月末かぎりで廃止されています。

周辺の見どころ

確認中。

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