このページは、路線廃止前の情報をもとに記載しています。

神岡鉱山前駅
▲神岡鉱山前駅出口《2005年10月22日撮影》

神岡鉱山前駅旧駅舎

【写真1】神岡鉱山前駅旧駅舎。駅名以上に堂々としていた社名表記がいつの間にかなくなってしまったのが残念ですが、これは本社機能が奥飛騨温泉口駅へ移転したためです。《1994年9月7日撮影》

割石トンネル、船津トンネルという2つの長大隧道を抜けると、いよいよ神岡地区の北の入口にあたる、神岡鉱山前に到着します。神岡鉄道の親会社である神岡工業の本社工場が、すぐ近くにあります。

神岡鉱山前は、神岡鉄道の運転上の拠点駅となっており、列車交換が可能な唯一の駅で、列車が到着するたびに駅員がタブレットを運転士とやり取りする姿が見られます。正確には、スタフ閉塞が連続する2区間の境界駅となっており、これは全国的にもきわめて珍しいといえます。

駅は築堤上にあり、地下道を通って国道41号線に出るスタイルになっています。かつては、道路に面して出札窓口と駅事務室、および神岡鉄道本社事務所が設けられていましたが、現在では道路脇は単なる玄関のみで建物はすべて撤去されており、駅事務所などはすべてホーム上へ集約されています。なお、神岡鉄道本社は、奥飛騨温泉口駅へ移転しています。

 

神岡鉱山前駅待合室

【写真2】待合室は、決して広いとはいえないホームのかなりの部分を占領しています。《2005年10月22日撮影》

地下道を出ると、すぐ真正面に待合室があり、その奥が事務室になっています。有人駅で、企画乗車券や定期券なども発売しているようですが、窓口を常時開けているわけではなく、集改札もすべてワンマン運転士が行っています。これは、本社のある奥飛騨温泉口も同様で、利用者にとっては、有人駅なのか無人駅なのか、よくわからない駅になっています。

ホームは島式になっていますが、実際には片面しか使われておらず、旅客列車に限れば行き違いができる格好にはなっていません。しかし、貨物列車が全廃された今なお、この駅が閉塞区間の境界駅となっているのは、神岡鉱山前-奥飛騨温泉口という、神岡の中心部のみを走る区間運転の列車が多く設定されていることとも無縁ではないでしょう。

 

神岡鉱山前駅ホームにて

【写真3】構内は広いもののホームは狭く、不用意にうろちょろするのも気が引けるような造作の駅です。ホームからは神岡鉱山の操業所がよく見えます。《2005年10月22日撮影》

ホームの右手には側線が3本あり、貨物廃止によって用済みとなった機関車が暇を持てあましていました。左手には屋根付きの車庫があり、レールバスが休んでいます。

この駅から北東へ分岐する形で貨物側線が延びており、かつては亜鉛鉱石や濃硫酸などを満載した貨物列車が毎日運行されていましたが、現在は廃止されています。

 

駅名の由来

文字通り、神岡鉱山の最寄り駅であることから付けられました。現在の駅名は1985年4月に改称されたものですが、これは神岡鉱山の親会社である三井金属工業が神岡鉄道の過半数の株式を取得していたことが背景にあるのでしょう。なお、神岡鉱山は2001年6月に鉱石の採掘を中止しています。

歴史

国鉄時代は「神岡口」と称し、1984年10月1日に神岡鉄道に転換された際も当初はこの駅名が踏襲されましたが、翌1985年4月20日に現在の駅名に変更しています。長らく、亜鉛鉱石や濃硫酸などを満載した貨物列車が毎日運行されていましたが、三井金属工業が貨物輸送をトラックに移行することによって、神岡鉱山前から猪谷への貨物列車は2004年10月16日をもって終了、同年末かぎりで貨物営業そのものが休止されました。これによって、神岡鉄道は全収入の7割以上を失うという致命的な打撃を受けることになりました。

2005年10月25日、写真を追加のうえ加筆修正

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