三岐鉄道

三重県北部で鉄道、路線バスなどの運行を行っている企業です(本社:三重県四日市市)。三岐線の事実上の起点が近鉄と同じ駅であること、北勢線を近鉄から譲受するなど近鉄との縁が深い企業ですが、筆頭株主は太平洋セメントであり、資本面でのつながりはありません。長らく、三岐線(近鉄連絡線含む)を唯一の鉄道路線として営業してきましたが、2003年4月1日に近鉄から北勢線を譲受しました。

【Link】 三岐鉄道公式Webサイト

★1994年3月25日、西藤原にて完乗(その後の開業区間も乗車済み)。

三岐線の列車が近鉄富田駅に乗り入れるために設けられた路線で、三岐朝明信号場(三岐線の富田-大谷地に設置)から分岐する1.1kmの支線という形になっていますが、実際にはすべての旅客列車が近鉄連絡線に乗り入れています。営業案内上では三岐線とまったく同一に扱われています。

名古屋および四日市方面へ向かう旅客の大半が近鉄を利用するようになった実態を踏まえ、三岐朝明駅(当時。1989年に信号場へ格下げ)から分岐する新線として、1970年6月25日に開通しました。

(2007年4月2日)

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乗車履歴

  • (西藤原)-近鉄富田 1994年3月25日

JR関西本線の富田駅から西藤原までを結ぶ26.5kmの路線ですが、このうち富田-三岐朝明信号場は貨物輸送のみの区間となっており、旅客営業は三岐朝明信号場-西藤原の25.5kmで行っています。路線名は、三重県と岐阜県(関ヶ原)を結ぶ幹線を目指していたことによるものですが、実際には岐阜県内に届くことはなく、上信電鉄や小湊鉄道などと同様に創業時の意気込みのみが残る形になっています。近鉄連絡線ともども、全線が1,067mm軌間で直流電化(1,500V)されています。

富田から、員弁川が形成する平野を同川の右岸に沿って進み、北勢線が対岸を走っています。石灰石輸送が非常に盛んで、伊勢治田からの貨物列車が多く設定されています。

三岐鉄道が1931年7月23日に富田-東藤原を開通させ、同年12月23日には西藤原に達しました。開業当初は非電化でしたが、1954年3月20日に電化されました。1970年6月に近鉄連絡線が開通したのちも、しばらく国鉄富田への旅客列車が設定されていましたが、1985年3月13日かぎりで運転休止となりました。

(2007年4月2日)

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  • (近鉄富田)-西藤原 1994年3月25日

西桑名から阿下喜にいたる20.4kmの路線です。軌間762mmのナローゲージで、全線が750V直流電化と、員弁川の対岸を走る三岐線に比べてひとまわり下の規格になっています。また三岐線とは異なり旅客営業のみで、貨物列車の運転はありません。

桑名駅南西側にある西桑名駅を起点とし、員弁川に沿って西へ進みます。三岐線に比べて早くから開発が進み沿線人口も多い反面、軽便鉄道として建設されたこともあり急曲線が多いのが特徴です。車庫は北大社信号場(2005年に駅から格下げ)に設けられています。

もともと近鉄が営業していた路線でしたが、累積赤字の増大により廃止の方針が打ち出された際に、沿線自治体が全面的にバックアップしたうえで三岐鉄道が譲受したという経緯もあって、さまざまな活性化策が打ち出されています。駅の整理と再配置や急曲線の解消によるスピードアップ、老朽施設の改修などが行われており、パーク&ライドのための駅周辺整備も積極的に進められるようになりました。また現在はJRおよび近鉄と離れている西桑名駅を移転して乗り継ぎの便を図る計画があります。

北勢鉄道によって1914年4月5日に大山田(現、西桑名)-楚原が最初に開通、1931年7月8日には阿下喜までが全通しました。1931年に電化され1934年6月には北勢電気鉄道と改称、営業実績は良好でしたが、戦時統合によって1944年2月11日に三重交通に合併しました。三重交通は1965年4月1日に近鉄に合併、長らく近鉄北勢線として運行されましたが、2003年4月に三岐鉄道に移管されました。

(2007年4月2日)

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乗車履歴

  • 西桑名-阿下喜 2003年4月5日

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