2004年9月の雑記帳


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過去の「雑記帳」

9月30日(木)

 またまた台風の襲来で、こんどは紀勢本線が紀伊長島町内にて橋脚流出とか。橋桁どころか橋脚まで流されるとなると、復旧しようとすると、河川改修工事をまず行わなければならず、長期間にわたる工事と多額の費用が必要になることは避けられません。

 会社こそ違うものの、現在も福井県の越美北線が、橋脚流出により列車の運行再開のめどが付かない状態になっており、先行きが心配です。

9月29日(水)

 ご存じの方もおられるでしょうが、神戸電鉄の菊水山駅が来年3月下旬に営業休止となります。駅周辺に集落とよべるものがまったくないため、新開地−鈴蘭台の区間普通列車のみが停車する駅で、なぜ営業が続いていたのかよくわからない存在でした。私は、神戸市内にあった高校に通っていたとき、六甲山を徒歩で縦断したのですが、この際、菊水山駅のすぐ脇を通ったことがあります。すでに暗くなっており、とにかくさっさと帰ろうと急いだことくらいしか覚えていません。停車する電車がある時間帯でもなかったため、いそいそと近くの道へ出てしまいました。

 それにしても、神戸電鉄は、新有馬という「万年休止駅」をほかにも抱えていますが、廃止にしないのはなぜなのでしょうか。

9月28日(火)

 一昨日は蒸し暑かったのですが、昨日は一転して寒いぐらいになり、今日はとうとう室内でも長袖を着る羽目になりました。また、日が暮れるのもずいぶんと早くなり、生活のパターンを変えないといけないな、と思う昨今です。

 それでも変わらないのが鉄道の運行状況なのですが、列車が走る音が聞こえない環境に転居して2年半、だんだん朝の生活がだらしくなってしまったようです。レールが刻む「タタン」という音で目を覚ますのが、昔のパターンだったのですが…。いえ、今でも、隣の某社社宅の駐車場で「ヴオン!」という爆音が聞こえて、夜中の2時に目を覚ますだとか、そういのはあるんですけれど。

9月27日(月)

 続いて、今度は「駅の写真館」の個別ページのレイアウトを変更しました。具体的には、従来はHTML 4.01ベースの記述だったのをXHTML 1.0ベースにし、従来メイン写真と各種データをtable要素を用いて配置していたのを、CSSを用いて左右に並べる格好にしました。ただし、Windows版Internet ExplorerのCSS対応状況があまりよろしくないこともあって、主要なWebブラウザの標準状態で表示した場合、かえって素っ気ない表示になってしまったかもしれません。

 これに伴い、写真のない駅については、従来は単純にセル内部に「(写真なし)」としていたものを、通常の写真サイズと同じ画像を用意して「写真なし」と表示しました……が、見るからに大きくて、全体のバランスがやや崩れている観があります。もうちょっと調整が必要そうです。また「会社別リスト」で、XHTML 1.0で記述すると、やはりIEの表示が明らかにおかしくなるので(XHTMLの文法上は問題ないはずです)、こちらは当面HTML 4.01ベースのままとします。

9月26日(日)

 昨日に引き続き、レイアウトの微修正を行いました。従来は、Netscape Communicator4.xでの閲覧に配慮し、CSSに@importルールを適用し、NCユーザーに対してはトップページにかぎってCSSを強制非適用するという方法を取ってきました。しかし、すでにNetscapeの新バージョンがリリースされてからかなり経過していること、およびCSSを本格的に採用しているWebサイトが増加しておりユーザー側で対処法がある程度固まっているであろうと思われることの2つの理由で、通常のlink要素でCSSファイルをリンクするスタイルを取りました。一応、当方で確認可能な主要Webブラウザでは、大きな表示の崩れなどはありませんでしたが、問題がある、あるいはもともとのHTMLやCSSに間違いがあるといった場合は、ご連絡いただけると助かります。

 あわせて、「駅の写真館」のメニューを拡充していますが、けっこう時間がかかりそうです。従来のメニューに対しては、当面現状維持でいく予定ですので、ゆっくり進めていきたいと思います。

9月25日(土)

 トップページのデザインを、ちょっと変えてみました。もっとも、table要素を使ってメニューを表示していましたものを、CSSを使ってレイアウトを行うようにしただけで、実際の表示部分は大して変わっていないのですが、レンダリング処理に必要な負荷が、多少なりとも改善されたかと思います。

 また、「駅の写真館」のメニューを、従来の地域ブロック別の表組みリストのほか、会社別リストを加え、各線区ごとに簡単な説明を施すようにしました。こちらも、整備していくのにはかなり時間がかかりそうで、今日はひとまず、京王線の枠作りだけにとどめました。随時、コメントを充実させていくとともに、ほかの線区についてもリストを作っていくつもりです。

9月24日(金)

 先日、ちょっと用事があって、ある路線バスに乗りました。勝手がわかっている私は、あらかじめプリペイドカード(バスカード)を用意しておき、スリットに通してすんなり乗りこみました。ところが、なかなかすんなりと乗れる人ばかりではないようです。

 あまりバスに乗ることがないらしいおじいさんが、バス停に止まったバスの後ろのドアから乗り込もうとしたのですが、このバスは前乗り。運転士氏が「すいません、前に回ってください」と指示し、おじいさんはそれに従っていったん降り、前ドアに回りました。さらに、このバスは運賃均一制で、前払いになっており、運賃箱に運賃を投入しなければ発車しないようになっています。ところが、このおじいさん、そのことに気づかず、運賃を出そうとしないため、運転士氏が「すいません、料金前払いなので、(運賃箱を指して)ここに入れてください」と。今度は小銭がないため、1万円札の両替。ほぼ定時にバス停に到着したのが、最終的には3分ほど遅れて発車することになりました。

 この光景を見て思ったのですが、バリアフリーの流れの中で、低床車の導入が進んでいるバス業界ですが、ふだん乗り慣れない路線に乗る場合に抵抗がいちばん大きい公共交通機関は、実はバスなのではないでしょうか。

 航空機の場合は、チケットあるいはそれにかわるものをあらかじめ手配しておくのが当然です。鉄道の場合も、ストアードフェア方式のプリペイドカードやICカードで前払いをする場合以外は、いったん切符を買ってから乗ります。これらのいずれも、購入手続の段階で、何らかの確認をすることができるわけです。鉄道で無人駅からワンマン列車に乗る場合は別ですが、この場合とて、乗ってから(列車が発車してから)判断する余裕はいちおうあるわけです。

 ところがバスの場合は、支払い方法などを、確認することができません。全面に表示されている運賃表示器なども、だんだん上がっていくものの、目的に着くまでいくらなのかわからないことが多いのです。

 少数の輸送に対しても、きめ細かく対応できるのが、バスの強みであり、それが一部都心や郊外拠点駅でのコミュニティバス運行につながっているといえます。しかしその一方で、“一見さんお断り”の要素を最もよく残している輸送機関という面も、否定できないのではないか、と思えます。

 こういう声はあまり聞かれないのですが、バスというものは、一般的に「乗り降りする際の手順がラクな乗り物」として認知されているのでしょうかねえ。

9月23日(木)

 JR西日本のWebサイトに掲載されているニュースリリースを見ると「鉄道文化財」という文字が。ずいぶん懐かしいコトバだな、と思うと同時に、まだあったのか、という感じでもあります。

 鉄道文化財とは、歴史的な評価の高い鉄道関連の施設・車両などについて、国鉄が指定したものです。最初に指定を受けたのは、交通博物館に所蔵されている1号機関車で、1958年のことでした。しかし、この鉄道文化財は、国鉄という一事業者が私的に指定したもので、公的・法的な裏付けのあるものではありません。また、指定の対象が国鉄関連のもの、そして車両と鉄道施設に偏っているという限界がありました。

 それでも、文化財保護法で定義されている重要文化財や有形文化財とは異なってはいますが、事業者がその重要性を認識して保存を心がけることを表明したものともいえるのですから、こういう制度は、近代遺産を残していくためには、非常に有効に働くものといえるでしょう。

9月22日(水)

 来年3月末かぎりで、のと鉄道能登線(穴水−蛸島)、および、名古屋鉄道岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の廃止がほぼ確実で、日立電鉄もその線が濃厚になってきました。日立電鉄については、この春に実際に乗ってきたときに「末期症状かもしれないな」と思ったケースがままあったのですが、前2者はいったいどのような状態なのでしょうか。

 のと鉄道は、初めて能登を訪れた1995年3月以来乗っていないため、現在どうなっているのかわかりませんが、名鉄のほうは、だれにも相手にされていないような状態になっていったという感じがあります。駅前の再開発に伴い運転が休止されている岐阜駅前にこそしっかりした安全地帯があったものの、乗降客が最も多いであろう新岐阜、そして岐阜市の中心街であった徹明町など、道路の真ん中にグリーンのペインティングが施されているのみ。確かに、道路交通法上、これらの表示は安全地帯と同等の効果を持つのですけれど、車が走っているなか、路面で電車を待つというのは怖いものです。段差がないというメリットがないでもありませんが、利便性よりも安全性のほうが優先されるのはいうまでもありません。こういった、利用者が「使う気になる」交通機関になり得なかったのが、現在の名鉄岐阜市内線および周辺各線が衰退した最大の原因でしょう。

 さらにその原因は、となると、軽々しく断じることはできません。郊外店の発展や中央商店街の衰退という面も無視できませんし(実際、揖斐線のターミナルである忠節の駅ビルからは、商業施設が撤退してしまいました)、駅前が空洞化しているのも事実でしょう。これに対して、鉄道会社が打つべき手は何だったのか、行政の姿勢はどうあるべきだったのか、といった点での検討も、必要になっていくでしょう。

 今後はバスで代替輸送が行われることになるでしょうが、揖斐線はともかく、ほかのルートでバス輸送がどこまで持ちこたえられるのか。「鉄道がダメ」というより「公共交通機関がダメ」というのが現状に近いと思われるだけに、暗澹たる気にさせられてしまいます。

9月21日(火)

 名前というものは、すべて人間が付けたものです。地名もまたしかり、そこに納められた文字は、その地が担っている歴史を体現しているものといえます。その歴史というものも、連綿と続く伝統を表現する格調高いものや、何かの拍子で勘違いしてしまったものが残ってしまったものまで、いろいろあるでしょう。

 その一方で、何の妙味もなく、地名の背後に重みがまったく感じられないものもあります。「台」「丘」「野」「原」といった接尾辞が付く駅名など、もはや何がなんだかわかりません。その地に自生していた植物などが冠されている場合が多いものの、その地が住宅地として新しく開発された、ということしかわからないわけです。開発される以前は人がまったく住んでおらず、完全にゼロから地名を付けたのであればよいのですが、以前の地名を覆して“新しい地名”をかぶせてしまうのは、どうにも寂しいものがあります。もちろん、不動産を売り出す場合のイメージアップになるといった効用は大きいのでしょうし、一概に否定するわけにはいかないのですが、受け継がれてきたものをやすやすと捨て去ってしまうのは、感性が貧しいことの裏返しのようにも思えます。

9月20日(月)

 最近の「駅の写真館」では、各駅の近くにあるさまざまなスポットを取り上げてきました。ここでは、これまでは私が行ったところ、および行きたいところを等しなみにピックアップしてきたのですが、やはり実際に訪れたことがある場所とそうでない場所とを明確化するため、今後の更新で記述するものについては、未訪の場合はその旨を明記するようにします。

 このほか、現在各地域ブロック別に作成している駅名リストに加え、線区別のリストを新たに加えようと検討中です。この場合、各線区ごとに簡単な説明を施し――いったんは国内の鉄道全線に乗ったので、ある程度のことは書けると思います――、それとともに各駅のリンクを加える、というスタイルを考えております。実際には、労力と時間をどの程度さけるかによって変わってきますが、異なるアプローチとして有効かと。「見どころ」が充実してくれば、それに沿ったインデクスもほしいでしょうが、まだそこまで揃っていないので、これは後のお楽しみということで。

9月19日(日)

 旅の醍醐味が何にあるのか、と問われたとき、答えは人によって、またその時によってさまざまでしょう。かくいう私自身、明快な回答など出せるはずもありません。しかし、その中の1つの有力な候補として、何の面識もない人と、断片的にであれ接することができる、ということがあるように思います。

 これは、私が基本的に一人旅愛好派ということも大きいのでしょうが、旅に出れば、必ずなにがしかの形で、見知らぬ人と会話をかわし、それによって、自分の知らない世界に触れる――錯覚かもしれませんが――ことができます。もちろん、いろいろと腹を立てたりうんざりしたりすることもたくさんありますが、単純に精神衛生上の良否を考量するような性質のものではありません。

 “百聞は一見にしかず”といいますが、この時代、情報を集めるために必要な時間やコストは大幅に低下しているので、百聞どころか千聞くらい容易に可能なのかもしれません。しかし、単純に情報の質や量だけを求めるのではなく、人という、いわばノイズの塊に触れられる機会など、日常の仕事をしているだけではまず望み得ないことは明らかです。そろそろどこかへ行きたいな、などと思いつつ、そんなことを考えてしまいました。

9月18日(土)

 これを書いている17日午後9時12分の段階で、日本プロ野球が週末ストライキに突入することが決定しました。労使双方の主張が食い違ったままというのは確かでしょうが、経営者側が、選手会サイドの動きを不当ないし不法と断定することが多く、それらの主張をメディアがそのまま伝えていることが多いような気がします。

 それ以上に気になるのは、ストライキ是非に対する該当アンケート――適切な母集団を選ぶべくサンプリングを行った結果ではないうえ、メディアに映る意見には偏りがあると見るのが妥当でしょうが――での反応で、ストライキを労働争議とみなしている人がきわめて少ないように思える点です。個人事業主の連合体であるプロ野球選手会そのものを労働組合と認知することに抵抗があるのか、あるいは、公共性が高いわけでもない事業における争議権行使といえども合理性には疑問を抱きやすいのか。当面の試合を見られる、見られないといった視点からの回答が多いのはいたしかたないのかもしれません。しかし、“労働争議”の方法的な是非に対して冷淡な人が多いことを鑑みるに、日本という社会は、労働というものに対する認識が弱いものなのか、と思えてなりませんでした。

 パ・リーグ随一の老舗である近鉄が事実上消えることは避け得ないのかもしれませんが、やはり寂しさはぬぐえません。3年後には、いったいどうなっていることやら。

 (午後10時40分追記)当初は上のように思ったのですが、その後テレビで映るインタビューなどを見ると、「ファンのために」ストライキを支持する、という見解がかなり増えておりました。かなり世論がかわってきているような印象です。

9月17日(金)

 写真の整理を毎日少しずつ続けていますが、銀塩写真のスキャニングがなかなか上手にできません。デジタル写真の場合は取り込みや加工は非常に簡単なのですが、銀塩の場合、フィルムスキャナでいったん取り込む必要があるうえ、このスキャナがかなり古く、メインで利用しているWindowsXPには対応していないため、古いPC経由で取り込むことになるため、なかなか利用がおっくうになってしまいます。

 枚数がさほど多くないのであれば、PhotoCDなどで一括デジタル化という方法もあるのですが、ネガとポジを合計すると3桁に届いてしまう量があるので、いったいどうすればよいものやら。

9月16日(木)

 「駅の写真館」に掲載する情報が肥大化してきているので、そのうち「目的別お勧め駅」みたいな形でまとめていこうかな、と考えております。もっとも、私が下車したことのある駅は、大都市およびその近郊をのぞけば決して多いわけではありませんから、全国を網羅することなどとてもできるものではないのですけれど、それでも、駅を降りて歩くだけの価値がある、と思えるスポットはけっこう多いものです。

 鉄道ファンともタウンウォーキング愛好家ともつかない、どちらかといえば、どっちつかずに近いスタンスで進めていくことになりそうですけれど、このほうがむしろ競合(?)も少なく、良質な視点を提供できるかもしれない、と思います。もっとも、駅はともかくとして、ご紹介するスポットには興味関心のあるものばかりになりそうなので「なんでコレがないの!」ということが往々にしておこりそうではありますが。

9月15日(水)

 一昨日の東京に続き、こんどは本川越でページを肥大化させてしまいました。川越という街にはみどころが多く、街歩きが好きな人にはたまらない観光地なのですが、場所によってはガイドブック片手のにぎやかなかたがたに占拠されてしまうところもあるのがちょっと難。実際、そういう場所はさっさと通り過ぎてしまいましたが、埼玉りそな銀行川越支店などは、平日に訪れて店内を見てみたいと思います。一応りそな銀行の口座を持っているので、預金の出し入れという大義名分もありますし。

 もっとも、東京駅とは違って、肝心の駅はサラッと流す……というより、ほとんど書いていないのですけれど。

9月14日(火)

 ダイヤルアップ環境を使う機会があったので、当サイトのうち「駅の写真館」パートを確認してみたのですが、駅の多い地方の一覧表が表示されるのにかなり時間がかかることに気が付きました。駅の数があまり多くない甲信越地方などはいいのですが、関東地方などの場合、相当ゆっくりしたペースになってしまいます。これではまずいので、近日中に簡易版のリストを作ることにいたしました。まず、関東と近畿の両地方から手がけていく予定です。

 しばらくは試行錯誤になると思いますので、そのぶん更新の頻度が低下する可能性があります。乗降済みながらまだ書いていない駅については順次アップしていきますが、データなどの追記や加筆などは後回しになることが多いと思います。ご了承ください。

9月13日(月)

 本日の更新に使った時間のうち半分近くは、東京駅の記述に費やしました。近代国家としての日本の拠点となるターミナルとしての役割を担った駅ですが、皇居に向き合う存在として、そして不特定多数の民間人が出入りする存在として、その調和を図りつつ設計された建造物が、今にいたるまで形を変えながら残っているわけです。丸の内界隈の建造物には歴史的に貴重なものもありましたが、高度成長期から現在にいたるまで、その大半が姿を消していった中、東京駅が頑として生き残ったのは、赤レンガというビジュアルのみならず、人々の心に残る何かを持っていたのかもしれません。

 国家事業として造られた壮大な近代建築である以上、政治的、あるいは経済的な権力の存在がつきまとうため、身近で親しみやすいという存在になることはできなかった駅ではありますが、現在では重要文化財に指定され、さらに建造時の姿で改築・復活するとのこと。個人的には、戦禍を残している東京駅もまたひとつの景観として定着してきているゆえ、改築には反対の立場だったのですが、決定してしまった以上、「平成の辰野建築」の完成を楽しみに待つことにいたします。

9月12日(日)

 先日日本を縦断した台風18号の爪痕は大きく、建造物や農作物の受けた被害は甚大でした。毎日新聞によると「厳島神社など文化財被害61件」とのことで、これからしばらくは、名所旧跡を訪れても、ビニールシートなどで覆われている可能性が高くなってしまうように思えます。札幌ではポプラ並木が倒壊幌加内ではソバ畑が壊滅など、従来台風から直接被害を受けることの少なかった北海道の影響が特に大きいようですし、それゆえに北海道に行ってみたくなりました……が、なかなか時間と予算を確保するのは難しそうです。それに、えちぜん鉄道や九州新幹線など、開業後も放置している鉄道もあるので、こちらにも行きたいですし。躰が複数あればなあ、などと、つまらないことを考えてしまったりしております。

9月11日(土)

 4日の本欄、および掲示板にて、温泉偽装問題を話題にしておりましたが、温泉を配湯している自治体が水道水を温泉旅館などに供給していたというニュースまで出てきました(9月10日付北海道新聞「「もう来ない」憤る利用者」)。こうなると、観光業者も被害者ということになってしまうわけで、もう何がなにやらわからない、というのが実のところになってしまいます。毎日お湯を取り扱う旅館経営者などがほんとうにわからないのだろうか、とか、温泉以外の観光資源に大きく依存する行政機関が何の圧力もないままこういう問題を黙って押し通すものだろうか、といった疑問がないではありませんが、自分の眼以外には信頼すべきものがない、ということになるのでしょうか。

 大都市に近い温泉であれば、仕事帰りに車で立ち寄るような人も多いわけですし、観光や旅行に限った話ではありません。消費者が声高に叫ぶ問題という気にはなりませんが、あまり進んで行きたくはないな、と思えてきます。

9月10日(金)

 あるサイトのプロフィール欄に「鉄ちゃんたちに100の質問。」というものがあったので、私もやってみました。………が、なんだか設問に違和感があるんですね。こういう質問に対してどう答えたらいいのかわからない、とか、そもそも意味がよくわからない、とか。このほか、私にはそもそも無縁、という項目もかなりありました。

 やはり、私にとって「鉄道」というものは、純然たる趣味の対象というよりは、旅行という趣味の一部としての手段なのかもしれません。現在、当サイトの2大コンテンツのうちの1つが駅の紹介になっているのは、人が行き来するためのインタフェースであり、動きを集約して具現化する拠点だからなのかもしれないな、と思ったしだいです。

9月9日(木)

 現在、「駅の写真館」の各ファイルをチェックしながら、順次再アップロードしているところですが、このコーナーの作成を開始したころに手がけた写真の画像が、どうにも汚いことが気に掛かってきました。オリジナルの撮影写真がヘボというのはどうしようもありませんが、写真の取り込みを大量に短い時間で行ったため、フィルムスキャナのセッティングが甘かったり、その後のレタッチ処理が不十分だったりしたものが多く、「このままアップしていくのもなあ…」と思ったりしています。デジタル画像は、保存しているDVDから読み直してリサイズすれば済むだけですが、フィルム画像はなかなか手軽に再取得というわけにはいきません。

 「駅の写真館」は、乗り降りした駅の個人的なアルバムという側面も強いだけに、時間を作って、再スキャン&レタッチをしていきたいな、と思っておりますが、手を着けられるのはまだまだ先になりそうです。

9月6日(月)

 5日の19時すぎ、何をするともなくテレビのニュースを見ていると、地震の情報が入ってきました。東京都在住の私には何もわからなかったのですが、奈良から和歌山にかけて震度5弱の地方があったようです。

 その後、各震度ごとの地域が自治体名で読み上げられていったのですが、「しんど4が、やまがたし、…」と聞こえたときには、思わず耳を疑いました。しかしこれ、まちがいではなかったのですね。山形県山形市ではなく、岐阜県山県市だったわけです。同名異字の地名で、しかも一方の知名度がはるかに高いと、こういうときに混乱します。

 広島県と東京都に府中市がそれぞれあるのは有名な話ですが、あらたな例として、岩手県宮古市のほかに、沖縄県にも6市町村合併により宮古市ができるそうです。旧自治省の通達では、手続き上(なし崩し的に)通ってしまった府中を例外として、同名市は認めないことになっていたのですが、この障壁がなくなったということのようで。もともと、長い年月を経て作られてきた――地名は、すべて人為的なものです――ものに対し、“早い者勝ち”の論理を通してしまうほうに無理があったのですし、町村はダブリOKで市は不可というのも筋の通らない話でした。今後は、こういった“混乱”がまた見られるのかもしれません。

9月5日(日)

 地図や地名辞典を眺めていると、思いもよらない字画の組み合わせが見られたりして、まことに興味深いものがあります。もともと漢字が定着した時期がまるで異なる北海道は別として、人が住んできた証をいろんな形でうかがうことができます。

 その一方で、「…台」「…が丘」「…野」といった、新興住宅地やニュータウンに多く使われている地名は、ここ40年程度以内にむりに作りましたといったことがハッキリわかってしまいます。「さつき台」や「あざみ野」といった具合に、開発前に多く自省していた植物などを反映させる例が多いのですけれど、やはり「位置を示す座標」以上のものをうかがうことはできません。

 こういった“新興地名”も、それが住民の間で定着すれば、いつしか、それなりの味も出てくるだろうと確信します。しかしそれは、いつのことになるのでしょうか。

9月4日(土)

 「駅の写真館」記載の市町村名欄に、今年4月1日以降の市町村合併による変更をいっさい反映していなかったので、今回の更新ですべて反映させました。もっとも、実際に乗降している駅の数はかぎられているので、あまり大きな影響はありませんが。

 さて、ここ最近“ニセ温泉”がらみのニュースが毎日のように目に入ってきて、どうにもうんざりします。私もこれまで何十回となく温泉に入ったものですが、実際には1日浸かった程度で、何らかの目に見える効能があるとも思えなかったため、入浴するときにはほとんど気にとめていませんでした。しかし、ただの湯沸かしという例が多発すると、「そもそも温泉に入るのってどうしてだろう」という気がしてきます。

 私は20代後半以降になると、旅先では、むしろ気軽な銭湯に入る機会が多くなったのですが、これは、温泉に入るということそのものに対して、あまり満足を得られなくなってきたからかもしれません。一連の問題とは直接関係ありませんが、オンセンというフィーリングを楽しむには、やはり限界があるのではないか、そのように感じたしだいです。

9月1日(水)

 各駅の項目を増やしてから、さまざまな資料類と首っ引きになる機会が増えました。『駅名事典』(中央書院)や『停車場変遷大辞典』(JTB)などの基本文献にとどまらず、家にあるさまざまなデータ類を引いてくるため、雑誌類が机のまわりにうずたかく積もるようになってしまいました。また、もろもろの地図類も参照することになるので、なにがしかの地図帳を脇に広げておくことになり……。はてさて、現在のフォーマットでどこまで拡大できることやら。ただ、書いていて楽しいあいだは、このまま続けていこうと思っております。



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