雑記帳


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12月22日(火)
末尾にナビゲーションを付けました

本日アップロードした「駅の写真館」ページの末尾に、前のページと次のページへのリンクを置き、あわせてアクセスキーを設置しました。「駅の写真館」では、地域→事業者→線区の順でディレクトリを分けており、その中で各ファイルを配置していますが、ページ内には「次の駅」はあるものの、終着駅になってから次のページを引き続き見てみたいという場合など、斜め読み的にぱらぱらと本をめくっていくようなアクセスはしにくくなっていました。link要素では次のページへのリンクを設定しているのですが、これにデフォルトで対応しているWebブラウザはごく限られているのが現状なので、本文中に入れ込むことにしました。まだ試験的につけているだけですが、問題がなければ、今後更新するページにも付していきたいと思います。

ページ数の多いサイトでもあり、各ページへのアクセスについてはこれまでも試行錯誤してきましたが、各ページ「から」のアクセスについては、まだまだ課題が多いと思っております。今回の変更についても、ご意見やご提言などいただければ幸いです。

なお、IE 5.5およびIE 7では、中央の部分がポコッとへこむ妙な形状になっていますが、可読性には影響なく、またIE 8ではこちらの意図に近い状態で表示されるので、ここは修正せずにいきます(Firefox、Opera、Safariでは問題ありません)。

12月18日(金)
所沢駅改築

西武鉄道、所沢駅初の建て替えへ ホームの上に駅舎・飲食店(日本経済新聞・関東、2009年12月17日):西武鉄道本社所在地にして主要路線の結節点でもある、西武鉄道立て替えの話。「初の立て替え」が何をもって初なのかがはっきりしませんが、いずれにせよ現在の所沢駅は、大規模な地平駅の東西両側に改札があり、構内は跨線橋での連絡という形状で、時代にそぐわなくなっていることは間違いありません。地下にするとモニュメントとしての駅が埋没してしまうでしょうから、橋上化して商業施設を入居させるのは妥当なところでしょう。

逆にいえば、首都圏における大手私鉄の拠点分岐駅で、ホームが地平にあるもののうち、橋上駅化も地下駅化もしていない駅は、京王線調布駅が地下化(現在は暫定的に橋上駅化)したこともあって、所沢が最後になっていました。工事が本格着工する前に、いちど所沢駅を再訪したいと思います。西武バスの大34系統(大宮駅西口-所沢駅東口)というロングラン路線バスにも乗ってみたいですし。

12月13日(日)
あやしげな見出し

はるかな栄華 川は忘れぬ JR木津駅(朝日新聞・関西、2009年12月12日):この見出しを目にして最初に連想するのは、通常なんでしょうか。鴨長明の一節「ゆく河の流れは絶えずして…」といった、諸行無常を思い浮かべる人が多いのではないかと思います。しかし記事を実際に読んでみると、さまざまな遺構があるとか、もろもろの取り組みがあるとか、そういったもの。どうみても、過去の栄華が水とともに消えてしまったという印象を与えるものではありません。かといって「川は忘れじ」では「忘れずにいつまでも待っています」といったニュアンスになってしまいます。ここは口語体で「川は忘れず」としめておくのがよかったのでは。

つまらないツッコミと思われるかもしれませんが、見出しは本文内容を端的に導入させるための重要ツールです。ものを書いたり編集したりをなりわいとする人であれば、見出しひとつのために何時間もウンウンとうなった経験が誰しもあるはず。さればこそ、単なる文法語法レベルでのミスで意味が変じてしまうのは困ったもの。

むろん他人事ではなく、私もやりかねない話でありますし、他山の石としたいところです。

12月4日(金)
古い駅舎でポッキリ

文化財級・JR鳥栖駅の玄関柱まがったまま(読売新聞、2009年11月9日)、鳥栖駅の折れた門柱復活、違和感ない姿に(毎日新聞、2009年12月2日):ちょっと間抜けな話題。以前も本欄で書いたとおり、九州内で建造日が特定できる駅舎としては最古のもので、立派な産業文化財といえる鳥栖駅の玄関がこうむった事故の話。とりあえず大きな問題が発生することなく修復ができたようで、何よりです。現在、近くでは九州新幹線の工事が佳境を迎えておりますが、鳥栖駅の今後はどうなるのでしょうか。

なお、建造年代については駅舎が建てられた1889年当時のまま(読売)、現在の駅舎は1903(明治36)年ごろ建造されたらしい(毎日)と書かれていますが、どちらも情報の出所はかかれておらず、そう書いてしまってよいのかという疑問が残ります。検証については、現時点では既述の、磯田桂史「九州旅客鉄道(株)鳥栖駅舎の建築年代について(日本近代:官衛・鉄道、建築歴史・意匠)」『学術講演便概集 F-2、建築歴史・意匠』vol.2006、409-410ページ、日本建築学会がいちばん信頼できると考えますが、いかに。

12月3日(木)
首都圏バス共通カード廃止へ

本文中に挿入している写真の掲載方法ですが、試しに解像度の高い(画面が広い)環境下で表示を確認したところ、テキストの配置が散漫なことこのうえなく、見栄え以前の問題として読みにくいことおびただしいことがわかりました。このため、振り分けを「写真=左列」「文字テキスト=右列」と固定してみました(CSSそのものはそのままです)。しばらく更新はこれをベースにしていきますが、また気がついたことがあれば変更する可能性も十分にあります。今月中はレイアウトが安定しないかもしれませんが、ご容赦ください。

さて表題の件、首都圏における主要バス事業者が導入している「バス共通カード」について、加入事業者の大多数が廃止を表明しているとのこと。12月3日現在、東京都のみが唯一アナウンスをしていませんが、ほかは3月ごろにカードの販売を終了、7月末をもって使用停止にするとのこと(川崎市は少しずれこむ模様)。各バスに設置しなければならないカードリーダーの維持コストなどを考慮すると、磁気カードを廃止してICカードへシフトさせたいと事業者が考えるのは当然のことでしょう。

しかし、問題はこれに伴うサービス内容の変化。従来のバス共通カードは、プレミア額がハッキリしており有効期限もないため、毎日のように路線バスを使うほどではないにせよ「雨のときだけ使う」という人などにもお得感があり、非常に使い勝手のよいものでした。これに替わるサービスとして、PASMOやSuicaで導入している「バス特」サービスが盛んに宣伝されていますが、このサービスでは蓄積されるポイントが1か月単位でリセットされるポイントによって得られる「バスチケット」は当該PASMO/Suicaを使用すると強制的に消費される(チャージからの引き落としができない)事業者ごとにサービス内容が異なるため複数事業者を利用する場合の使い勝手が悪いといった問題点があり、どうみてもサービス向上には思えません。

かくいう私も路線バスで通勤していますが、定期券以外でのPASMO/Suicaの利用はかなり多く、バス共通カードの利用者より多いことは確かです。バス共通カードの存在がそこまで知られていないとも思えませんが、財布の中に入れておくカードの数を整理しておければそれでよく、百円単位の損得は気にしないという利用者が多いのでしょう。さて、死蔵状態にある記念カード、果たして使い切れるものやら…。

12月1日(火)
名松線山岳部分廃止へ

名松線の今後の輸送計画について(JR東海公式Webサイト、2009年10月29日):すでに1個月が経過してしまいましたが、三重県を走るローカル線、JR東海の名松線をめぐる発表。多雨地域であることから国鉄時代より水害による運休が多く、末端区間に列車が封じ込められたこともある路線ですが、近年では無人列車の暴走(2006年8月20日に一回、2009年4月19日にもう一回)といったろくでもない話題でニュースになることが多い路線です。もともと国鉄時代より輸送量は少なく、国鉄末期に廃止対象路線(第二次特定地方交通線)の候補に挙げられたものの、平行輸送道路が未整備であることから国への廃止申請が撤回されたという経緯をもつ路線です。

この名松線のうち、末端区間、すなわち山岳地域を走る区間について、2009年10月8日以降運転を休止しているところ、今後の復興の見通しと輸送需要の実情を考慮し、鉄道を廃止して路線バスに転換するというものです。この種の“被害状況”報告は過大に提示するケースもままあるため、現地を確認していない以上なんともいえませんが、復旧にはそれなりの経費はかかるとみてよいでしょう。

私も名松線には何度か乗っていますが、便数が少ないせいかそこそこの乗車があり、かつて廃止対象に取り上げられたなかではまだマシなほうという印象があります。しかし、松阪寄りの人口密度が高い地域は近鉄が平行、中間のそこそこ民家がある地域は整備された道路が平行、競争力がありそうな山間部ではそもそも人口密度が希薄と、なかなかに難儀な路線であることも確かで、沿線の観光需要なども望み薄であることから、全線廃止の可能性が高いと思っていたところ、松阪・家城間は鉄道でという表明にはいささか驚きました。リニアを自前で建設することについて議論の渦中にある上場企業でもあり、株主にとって駅になる判断かとなると微妙ですが、鉄道会社としての矜恃を示しつつ、「ローカル線切り捨て」として企業イメージが低下することをくいとめた、ということでしょうか。

少しくわかりにくいのは現行の運賃等の考え方は維持していくことというくだり。バス代替となる家城-伊勢奥津の区間運賃を現行のJR鉄道運賃と同等水準にするというのならわかりますが、このページでの表明は名松線全体のものと思え(①の記述からも明らか)、そうであれば松阪-家城-伊勢奥津を現行のJR鉄道運賃と同等にする、ということでしょうか。そうすると、JRが今後も代行バスを運行するという形になるものと思われ(実際の運行はおそらく三重交通が受託するのでしょうが)、国鉄末期における旧士幌線(糠平-十勝三俣)の鉄道代行バス運行を想起させます。

また、バス転換区間が「家城-伊勢奥津」となっていますが、今回の災害で被害が出ていない家城-伊勢竹原もろとも廃止区間に入れてしまうのも不可思議な話。全線一閉塞にして合理化するには、家城から先がきれいさっぱりなくなるほうが運転上は合理的なのでしょうが、どうにもすっきりしないものが残ります。



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