金辺トンネルを超えて、採銅所というなんだか銅山の坑口前に設けられたような名前の駅に到着すると、はっとするような立派な駅舎が出迎えます。
駅本屋側の片面ホームと、かつて島式ホームだったうち外側線のみを使っている、やや変則的な2面2線となっており、夜明方の構内踏切で連絡しています。筑豊地域の駅に多く残っている、ホーム中ほどの切り欠き式階段を通るものではなく、ホーム端に回る方式になっています。以前島式ホームの内側には線路跡があるのみで、レールは撤去されています。
駅舎は木造平屋建てで、石原町と同様に駅務室部分が垂直になっていますが、こちらはペディメント部分の木目が残っており、創建当初の面影をより色濃く残しています。その一方で、縦長の昇降窓の大半が板で塞がれているのは、完全無人化されて日が長いためだからなのでしょうが、残念。外壁は下見板貼りになっています。
内装も凝っており、天井の座繰りをみるとなかなかの照明器具が設置されていたようで、単に古いだけでなくかなり手をかけてつくったものと思われます。現在では簡素な蛍光灯があるのみで、取って付けたような自動券売機の明かりがぼうっと浮き上がっているようになっており、少し不気味ではありました。
もっとも、今となっては老朽化が著しく、壁面の剥離や歪みも深刻です。
駅名こそ「採銅所」ですが、これは純然たる地名です。もちろん、現在では銅の採掘など行われておらず、駅の西側に日本セメントの工場で石灰石の採掘が行われているのみです。近くには採銅所小学校があり、それなりの集落になっています。
快速は停車しません。
番線表示は確認できませんでした。
「文字どおり、銅山のあったところで、約千年前に宇佐神宮の神鏡を鋳造したと伝えられている」とのこと[1]。
路線開通当時からの駅です。
特になし。
2008年11月26日