第2日(1999年12月17日)

網走-東釧路-新得-富良野-旭川

 少しうとうとすると、すぐに目を覚ますことを、いくたびか繰り返す。

 早朝出発など、いくたびとなく経験しているというのに、ガラにもなく緊張しているのだろうか。茫洋たる状態で、どれだけ寝たのかもはっきりわからないのだが、いたしかたない。目を覚ますために少し早めに起き出し、シャワーを浴びる。もちろん、早朝の道東であるから、きちんと身体を乾かしておかないと大変だ。濡れた髪をバスタオルでごしごし拭きながら、今日の日程を確認する。

 宿の外に一歩出ると、ビリッという感触が全身に響く。昨日は、睡眠十分の気合い十分、準備万端で出立したこともあって、さほど寒いとも感じなかったのだが。昨晩以上にカチカチとなっている路面の氷に注意しながら、駅へと向かう。「向かう」といったところで、泊まったホテルは駅の目の前なのだけれど、一応は道路を横断せねばならない。渡ろうと思うと、すぐに歩行者信号が点滅する。ふだんならば駆け足で渡ってしまうところだが、万が一転んだりしたら危険だし、なによりまだ暗いので、車も怖い。自重することにする。

 今日、まず乗ることになっている釧網本線は、「釧」路と「網」走とを結ぶ路線である。しかし、都市間を連絡する路線としてはほとんど機能しておらず、純然たるローカル線というのが実情だ。私が前回(1993年9月)に乗ったときには、車窓からシカが走っている姿を見ることができた。レイルウェイ・ライターを名乗る種村直樹氏は『鉄道旅行術』(JTB)の中で、この釧網本線をローカル線ナンバーワンとして推している。そんな路線であるだけに、冬の姿をじっくりと見てみたい。

 網走駅で待っていた釧路行き列車は、単行ワンマンのディーゼルカー。乗客は13人で、用務客や地元のおばさんらしき人が多く、通勤通学客という出で立ちの人はほとんどいない。昨日の「きたみ」用列車と同様、シート方向が固定されているクロスシート(レールと垂直方向のシート)車であったが、こちらは短距離の一般用という扱いなのだろう、自販機はない。

 定刻6時44分に発車する。一気に坂を上り、左手に網走市街を見る。

 中心地にほど近い駅、桂台で6人が乗りこんでくる。網走の駅は市の中心部よりもかなり西側に位置しており、実際にはこの駅を使う方が便はいいはずだが、釧網本線の列車本数は少ない。もっとも、網走特急「オホーツク」との接続が良かったとしても、列車を折り返しさせる設備もないから、この桂台まで列車を引き込むのは無理なのではあるが。

 桂台発車後、さらにトンネルと急坂を抜ければ、左手にオホーツク海が広がってくる。もちろん、まだ流氷などは見えないけれど、赤く照らされている東の空のかなたへ連なる海は、一昨日さんざん見てきた日本海に比べ、一見静かに、しかし、中に牙を隠しているような畏怖感を起こさせる。

 2人が乗った鱒浦の先に、「網走海鮮市場」が見える。サケやマスを中心とした遠洋漁業の拠点である網走のこと、ここに鮮度のよい魚が集まるのであろう。昨晩は適当なものをつまんだだけで寝てしまったが、今度はしっかりしたものを食べたいな、などと思う。

 わが列車が、並行道路を走るトラックを追い抜いていく。別にこちらが速いというのではなく、どちらかといえば向こうがのんびりと走っているような感じだ。もっとも、背景は林や荒れ地、あるいは雪に覆われた耕地なので、そもそも速度感覚の基準が麻痺しており、雪煙をたてて走る列車の速度がどの程度のものか、見当が付かない。走行中の列車のスピードを出すには、線路脇にあるキロポストから計算するという方法があるが、雪の中ではそんなものは見えない。

 北浜に到着。いつどこでだったかは忘れたが、「オホーツク海に一番近い駅」というフレーズを目にした記憶がある。名寄本線(名寄-紋別-中湧別-遠軽ほか)や湧網線(中湧別-網走)などが廃止された現在、オホーツク海を車窓に捉えられるのは、この釧網本線だけであり、その中でもこの駅が海に面していることから出てきたのだろう。確かこの駅は、古い木造駅舎が喫茶店として利用されていたはずだが、乗客以外の人気は感じられない。荒れている様子もなく廃業したとも思えない。はて、と思ったが、考えてみれば営業していないのは当然で、まだ朝の7時前である。立地によっては早朝営業する食堂や喫茶店はあるけれど、ここで朝一番に店を開ける必要など、まったくないだろう。

 左手には、岩に砕ける白い波が車窓を彩るが、この北浜を出発すると、オホーツク海とはお別れとなる。もっとも、この一帯はまだ平野部であって、実際には海と離れた場所を走るというだけである。人家が一気に減り、荒涼とした景色を作りながら、列車は別世界を囲い込む。右手前方に見える真っ赤な太陽が、左側のガラスに反射し、眩しい。平野部とはいえ、目に入る人工物はほとんど何もない。

 列車交換可能な浜小清水で、初めての下車客がある。ここで、北見行きの列車と行き違う。あちらは、各ボックスに2人程度は乗っている。通勤通学客がかなりおり、それらしき面々がほとんどいないこちらとは対照的である。駅舎は新築中で、3~4階建てのビルになりそうな様子である。

 再び、海を一瞬視界に入れる。右側の土地は、長方形状に区画整理されているので、耕地であるのは間違いないが、何の畑なのか、などはさっぱりわからない。

 止別(やむべつ)の駅舎では、屋根にペガサスが舞っていた。駅周辺に整備された公園に遊んでいたのは、ほかならぬ白い無機物ばかりで、人がそこに足を踏み入れている形跡はまったくない。

 やや大きめの集落が近づいてくる。川で遊んでいた水鳥たちが、列車の音を聞いて一斉に羽ばたく。

 立派な駅舎と屋根付きのホームを構える知床斜里に到着したのは、7時24分であった。知床半島方面への拠点駅である。

 知床斜里では、乗客の相当数が入れ替わる。ここで5分間停車する。駅員が常駐する駅は、網走以後ではここが最初となる。

 ここで列車の写真を撮るが、停車時間があまり長くないので、改札外に出るのは控える。ここから喫煙可能となるので気が重いが、さほど混んではいないし、天気もいいから、場合によっては多少窓を開けても大丈夫だろう。実際、少し離れた席から紫煙が漂ってきたことがあったが、窓を少し開けると気にしなくてもよい状態になった。もっとも、二重窓を開けるのは、ちょっと大変ではあったが。

 ぐっと右にカーブし、集落にはいり、中斜里、南斜里と停まる。耕地の中に、工場がぱらぱらと点在している。

 清里町駅は、無人ながらも交換可能駅であり、跨線橋や立派な駅舎もある。見ると、青地のホーロー板に白のひらがな書体という、国鉄時代によく見られた駅名標がある。ここで20人以上がぞろぞろと降りてしまうと、列車は急に閑散となり、車内の空気が動きやすくなる。駅を出ると、サイロが林立する。畑には、一方向への縞模様が描かれていた。耕耘機が作った痕だろうか。

 これ以降、防雪林と耕地とが交互に見える、という光景が続く。時おり、角材が大量に積まれていたりする。

 シンプルな駅名の、緑に到着。駅ホームにまで低木が茂っている。乗降ともに1人ずつ。ここを起終点とする列車も設定されているが、実態はごく小さな無人駅で、跨線橋さえない。駅の外に出て駅舎を眺めると、小さなトンガリ屋根を持っていた。かつて、岡山県東部を走っていたローカル私鉄、片上鉄道の駅舎群を思い出す。

 ここを発車すると、ひたすら原生林が続く。緑から、次の川湯温泉までのひと駅間の所要時間は15分だが、この間、ほとんど人家がない。時刻表を見ても、釧網本線の列車体系は、北側の網走-知床斜里・緑、南側の川湯温泉・摩周-釧路という区間列車が多くなっており、直通列車は4往復のみだ。直通列車が少ないだけなら別に問題はないけれど、緑-川湯温泉のひと駅間を走る列車は、これら直通列車だけなのである。要するに、区間列車を乗り継いで網走-釧路間を行き来することはできない。

 そんな区間であるから、列車の直近にまで迫った針葉樹が、わんさかと雪を載せて迫ってくる。以前、車内からシカを見掛けたのも、確かこの区間であった。厳寒期なら北浜付近のオホーツク海で流氷が見られるのであろうし、夏には釧路よりの区間で湿原に花が咲き乱れるのだろうが、それ以外の時期なら、この区間が釧網本線の白眉だ。宗谷本線には天塩川の淡々たる寒い風景が似合うが、釧網本線には野生の香り漂う原生林がよく似合う、などと勝手に思う。

 15分という時間はさほど長いものではないが、これだけの時間にわたって何もない状態が続くと、少しでも人工物が見えてきただけで、何だかホッとする。川湯温泉の駅舎は、石組みの上に、木を精巧に組みあげた重厚なものだった。一度降りてみたいが、今日はある程度先まで行きたい。この川湯温泉で10人が乗車する。緑と同様、跨線橋はなく、客は線路を渡って駅舎へと向かう。ハッキリと確認したわけではないが、構内踏切の遮断機らしきものも見えなかったように思う。

 下り勾配を進むにつれ、しだいに耕地が見えてくる。人間の手の入っている領域に“帰ってきた”ことを実感する。

 摩周でかなりの乗客があり、ぼつぼつ車内が混み合ってくる。もとは「弟子屈(てしかが)」という駅名だったのだが、摩周湖へのアプローチ拠点と言うことをアピールするために改称されたという経緯がある。もっとも、次の駅は「南弟子屈」のままだったりする。

 すでに、緊張を感じさせるような空間は車窓に描き出されることはなく、それとともに、列車の走りも惰性的な雰囲気を漂わせる。速度はむしろ上がっているはずなのだが、なぜかエンジン音から力強さを感じない。

 標茶(しべちゃ)で、爺さん婆さんが大挙して乗車し、このために車内には立ち客もでるという有様になる。これで単行というのはちとキツいように思う。この標茶からは、標津線というローカル線が分岐していたが、ご多分に漏れず廃線指定を受け、1989年4月29日かぎりで姿を消している。

 茅沼では、ツルが4羽ほど戯れていた。列車が近づいても驚く様子もなく、平然と雪をつついている。このあたりは、特別天然記念物であるタンチョウヅルの繁殖地として有名である。餌でもやっているのか、人間をさほど警戒していないようだ。

 隣席のおばさんが、ツルの所在だの何だのについて、いろいろと教えてくれ、落花生を分けてくれた。北海道まで来て落花生というのも妙な話ではあるが、ありがたくいただいておく。そういえば、旅に出るごとに、このように何かを分けてもらうという経験をすることが多い。このおばさんによれば、ツルたちは、牛舎近くのミミズをつついているとのことである。

 このあたりからは、ずっと湿地帯を進む。雪の湿地帯というのは、見ても別に楽しいわけでもなく、むしろ退屈さを催させる。しかし、積雪量自体はずいぶんと少なく、あちこちに土がのぞいている。時おり見掛けるビニールハウスなど、屋根をそのまま残している。それでも、車内の会話などでは、今年は雪が多いという。道東は、気温に比して雪が少ないことを実感する。

 住宅に囲まれている遠矢に到着すると、もう釧路市の郊外に入っており、かなりの乗車がある。もともと混んでいた車内は満員となる。そろそろと進む列車から見えるものといえば、廃車となったクルマだとか、セメント工場だとか、こういっては何だが、すこぶるおもしろみに欠けるものばかりである。ぼちぼち荷物をまとめだす。

 東釧路から、根室本線にひと駅乗り入れる。本線の分岐駅ということで、相当広い構内に複雑な配線が目を引くが、その実態はローカル線の分岐駅にすぎず、無人駅になっている。

 釧路到着は9時50分。単一の列車を3時間かけて乗ったことになるが、なかなか変化に富む路線でもあり、やはり期待を裏切ることはなかった。

 釧路駅では、自動改札機の設置工事が行われていた。旭川駅でも工事をしていたな、と、思い出す。

 次に乗る列車が出るまで、まだ1時間以上の間がある。ここいらで駅周辺を歩き、郵便局を押さえておこうと考える。

 みどりの窓口で帯広までの自由席特急券を買ってから、駅の外へ出る。快晴で風もほとんどなく、ずいぶんと暖かい。

 釧路市内では、以前「釧路駅前郵便局」を訪れているが、釧路クラスの都市ならば、ほかにも徒歩圏内に郵便局があるはず、と考え、駅前の書店に入り、地図を拝見する。すると、駅を出て右前方の道を行ったところに、釧路中央局があるのを発見し、直行する。

 足下のアスファルトは、グレーの色をしっかりと見せている。ところどころに雪があるのは確かだし、人が通らないところは、雪かきの結果であろう、うず高く雪が積まれていたりするけれど、ごく普通のスニーカーでも何の問題もない程度の積雪量である。道東に雪が少ないというのは知っていたが、道央や道北に比べ、ここまで差があるとは思わなかった。

 到着した郵便局は、中央郵便局であるにもかかわらずなぜかガラガラであり、旅行貯金、風景印押印とも、すぐに済んでしまった。釧路の郵便局マップをもらう。さすがに、そうあちこち行くことはできないけれど、また次に来ることがあったら有用だろうと考え、ありがたくちょうだいしておく。この種の「おみやげ」が、結果的に自室のスペースを食いつぶしているのだが、旅先ではそういった判断はストップしてしまう。

 駅に戻ると、すでに「おおぞら6号」改札の行列ができていた。取りあえずその最後尾に陣取り、ひとまず牛乳を飲む。旅先では通じが悪くなることがときどきあるのだが、私の場合、1日1回牛乳を飲んでおけば、まず問題ないため、これが旅先での習慣と化している。

 改札が始まり、ぞろぞろと人の列が動き始める。例の切符を差し出すと、「はぁー、ご苦労様です」と、ため息とも何ともつかぬものが混ざった声で通してくれる。

 目標の特急「おおぞら」は、改札の真正面がちょうど禁煙自由席という、非常に都合のよい位置に停まっていた。乗り込もうとすると、「足下が滑りますからお気をつけ下さい」と、ドア口に立った職員が、1人ずつに声を掛けている。注意をしているだけなのだけれど、「出迎え」を受けているような錯覚を感じる。1番線への入線といい、この措置といい、特急と普通との間に厳然と横たわる格差を実感する。

 荷物だけ車内に置き、列車写真撮影などのためにホームに降りる。駅員が、バケツを手に持ち、ホームに青い粉を撒いている。何かとたずねると、融雪剤とのこと。ホームが滑ると危ないので、ひしゃくで凍りやすいところに撒くのです、と教えてくれた。

 特急「おおぞら6号」は、10時55分、定刻に発車する。普通列車とは比較にならない加速で、ぐんぐんと進む。時間柄か、車内にはビジネスマンが多い。スポーツ紙やマンガを開く人、文庫本に目を落とす人などさまざまだ。

 ガスタンクが並ぶ。川をわたると、左手にレールの剥がされた跡があった。これ以降、鉄道用地が広がり、次の大楽毛(おたのしけ)駅まで続く。ここからは荒れ地が目立ち出す。

 車内放送によると、トンネルでの事故防止のため徐行するので、数分の遅れが予想されます、とのこと。当方が乗るのは帯広までであり、ここにはまとまったトンネルはほとんどないから、さほど気にする必要はないだろうが、根室本線は単線である。下りが遅れれば上りも遅れるので、どうなるかはわからない。何もなければいいが、という程度のことを考える。5両編成の特急に乗務する車掌は3人とのことであった。

 阿寒川を渡る。水面は氷結しているが、雪はない。窓の外にも、日当たりが悪いところには雪が残るが、「積雪」はない、といってよい状態である。左側に見える海はずいぶんと優しそうに感じる。先ほどのオホーツク海とは、表情がまるで違うのがわかる。

 11時14分、白糠に到着。この駅からは、白糠線というローカル線が分岐していたが、国鉄末期に制定された法律の基準で選定された「特定地方交通線」(廃止対象のローカル線)として、いち早く1983年10月22日をもって廃止された。その白糠線の痕跡がないものかと、右側の窓を見てみたが、それとわかるような明確なものは見つからなかった。もう16年以上もたっており、自然に帰っていてもおかしくはなかろう。ここから、次の池田まで、1時間以上停車せずに突っ走るのだから、特急というのはすごいものだと思う。

 南側の席ゆえ、日差しを強く受けるのでなかなかに暑いが、それさえもなぜか心地よく感じる。列車に乗っていればそれでいいや、すでにそんな感じになりつつあるのだろうか。

 広大な湿原が広がる。枯れたススキのような植物がたくさん首を伸ばしているが、根本の水は軒並み凍っており、それが日の光を浴びてキラキラと光っている。

 音別を越えたあたりから、雪が少しずつ増えてくる。

 車内販売が回ってくる。考えてみれば、車販の乗るような列車は、これが初めてだ。ビールを頼むと、サッポロビールの「2000年記念醸造」なるビールがあるとのことなので、これを買う。2000年を「ミレニアム」と称して騒ぐ気運があるが、たまたま現行の西暦でキリのいい数値になったに過ぎず、異なる暦法を採用していればたちまちのうちに意味を失う「記念」に対し、どうにも意味を見出しがたいので、私は別に興味はないのだが、独自ビールとなればたちまち「それはそれとして」という言葉を引き出したくなる。飲んでみると、なかなかよい味であった。

 次第にいい気分になってくるが、列車は緩い傾斜地を登り、曲がる。釧網本線とは比較にならないスピードは、根室本線が道東の大動脈であることを物語っている。

 池田で、行き違いのために4分停車。十勝ワインの産地で、駅の裏にある丘の上に「ワイン城」が建つ。以前に一度行ったことはあるが、もともとワインにはほとんど興味がないこともあって、さほど印象には残っていない。

 この池田からは、北海道ちほく高原鉄道が分岐する。北海道内の特定地方交通線は、その大部分が廃線・バス化されたが、唯一第三セクター鉄道として存続したのが、この旧・池北線である。もっとも、沿線人口が少ないうえに旅客流動も小さく、経営は相当に苦しいと聞く。

 十勝川を渡る。河原は雪に覆われ、その表面が凍って光る。枝流の水面は見事に氷結しており、所々に雪が載っている。もはや釧路とはまったく違う地域にあることを感じる。

 12時38分、帯広到着。遅れを生じることはなかった。

 帯広駅は、いつの間にか高架駅へと変貌を遂げていた。次の列車は、12時44分発の滝川行きである。

 普通列車のホームへと移動すると、単行ワンマン列車はすでにかなりの乗客で埋まっていた。何とか空席を見つけて座るものの、座席を占領しているのは、大半が高校生である。

 発車すると、十字に走る道路を斜めに横切っていく。北海道の都市は碁盤目状に整備されているが、これを高架上から眺めようとすれば、この帯広付近が最適のように思える。

 高架上に設けられた片面ホームのみの柏林台で、高校生たちが一斉に下車、車内は各ボックスに1~2人程度になる。車内に残ったのは、爺さま婆さまが中心に。それにしても北海道の郊外には「柏」のつく地名が多いような感じがする。

 次の西帯広で、列車行き違いのために5分停車となる。この間に列車の写真だけ撮って車内に戻るが、発車時刻になると、

「下り列車遅れのため、あととおふんとまります」

というアナウンスが入る。「きゅう」と区別するため、10のことを「とお」と表現することはよくあるけれど、一般客に対する言葉として使うのは初めて耳にする。あるいは、この地方では日常的に使われる表現なのかも知れない。どのみち意味は通じる。

 それだけ時間があるのなら、と、ワンマン運転士に断ったうえで、いったん駅の外に出る。駅舎こそあるものの、跨線橋から直接外へ出られるようになっている構造を見ると、相当前から無人化されているようだ。古い駅舎は待合室となっているが、別に駅舎を通らずともホームには入れるので、どの程度使われているのかはよくわからない。

 下り特急列車とすれ違い、15分遅れで発車。徐々に勾配を登る。周囲に見える景色は、十勝平野の広大な農地。そのスケールの大きさは、ここが日本であることを忘れさせそうなものであるが、雪はそういった錯覚に、また別の錯覚を積み重ね、地形の相違をなきものにしてくれる。

 芽室で、爺さま婆さまが半分ばかり下車し、車内はずいぶんと空いてくる。このあたりから、うつらうつらと居眠りをする。食堂車であれやこれやと口にしている夢を見る。目が覚めてから、空腹に気づき、苦笑する。

 ひたすら、淡々と平原を走り続け、そして次第に、緩やかな上り勾配が続く。十勝清水、そして新得と停車していくと、もはや車内はがらがらとなった。やはり特急絡みの遅れのため、この新得でも待ち合わせである。新得では、以前ユースホステルに宿泊したこともあり、駅の北西側の丘から街を眺めたことを思い出す。

 新得を、17分遅れで出発。発車するとすぐに右へとカーブし、トンネルにはいる。ガラガラなので、脚を前の座席に投げ出して座る。はいていた靴が重かったので、ずいぶんと脚が楽になる。

 カーブと勾配、そしてトンネルがえんえんと続く。蒸機時代は、さらに急な勾配であったというから、どれほどのものだったのか、と、経験できない過去に思いを馳せる。トンネルやスノーシェルターの合間には、スキー場と牧場しかないようで、あとは山林が雪を頂いている。右に、そして左にとカーブを続けるうちに、十勝平野が遠望できるようになる。北海道の広さを、あらためて感じる。

 14時20分、上落合信号場を通過する。この信号場は、根室本線と石勝線(南千歳-新得ほか)の分岐点となっている。特急はすべてこの石勝線を走り、根室本線の富良野方面を経由する特急列車はない。すなわち、根室本線の方がローカル線然となっているしだいである。

 トンネルを出ると、周囲は完全な雪原になっているが、ところどころに柵が見える。放牧場だろう。

 乗客わずか5人のディーゼルカーは、再びトンネルの中をひた走る。その先に何があるのか、そういった問いを許さないかのように、ただただ、ひたむきに走る。

 木々にはさまれた谷の間を進んでいると、寂寥感に包まれた宗谷本線に引き戻されたような錯覚を覚える。外に雪が舞ってくると、やっと最初の駅である落合に停車。ここで1人乗車。無人駅ではあるが、堂々たる跨線橋があり、以前は有人駅であったという風格が漂う。ここで準備を整えてから峠越えに挑んでいたのであろう。

 太陽はすでに霞を纏いながら、西の空へと沈みつつある。つくづく、北の太陽は短い、と思う。このぶんでは、富良野から先は真っ暗になってしまうと思われる。

 雪が本降りになり、列車に打ち付けるように流れる。並行道路を走る車も、明らかにスピードを落として走っているが、我が列車はお構いなしである。むしろ、特急接続での遅れを回復せんと、必死に頑張っている。

 左にカーブし、右手に集落が見えてくると、幾寅である。ホームからずっと下、階段の奥に駅舎が見える。ここで高校生が20人ばかり乗り、車内は帯広発車時のような喧噪を取り戻す。

 いくつかの小駅を過ぎたころ、だんだん空がどんよりと濁ってくる。モノトーンの世界が車窓に描かれ、遠景に山、近景に木々という構図が定着してくる。

 列車1両分ほどを残してホーム全体が雪まみれになっている小駅、山部で、高校生の大半が下車。ここで下り列車と交換する。

 いつしか、列車は急峻な山岳地帯から下り、富良野盆地に入る。春はラベンダー畑になるであろう土地も、今は雪という布の掛かったキャンバスに過ぎない。

 空知川を渡る。周囲の積雪は凄まじく、富良野盆地が北海道随一の豪雪地帯というのもうなずる。見渡すかぎり、目にはいるのは雪ばかりだ。「雪の畑」が広がっている、という感じである。

 列車は、富良野に15時37分に到着した。結局、遅れを完全に回復したことになる。それだけ、ダイヤには余裕を持たせているということなのだろうか。ラベンダー畑で有名な観光地だが、この季節には観光客も何もないだろう。

 富良野には、1993年に一度訪れており、その際に富良野郵便局に行っている。しかし、もう1個所くらい行けるところがあるかも知れない、と思い、駅の地図を見ると、駅を出てすぐ左側を真っ直ぐ行ったところにあるという。郵便貯金の扱いは16時までであり、まだ20分ほどある。地図上ではだいたい1キロ弱といったところなので、早足で歩けば何とかなるだろう。

 じゃく、じゃく、と、足を踏みしめる。雪の中に靴がめり込んでいくものの、その雪自体が軽いので、ふわっとしたクッションのように感じる。ただ、日暮れ前という時間帯もあって、ときどき、ずぼっと踏み込むことがある。足下が空に浮く感触を感じ、あわてて足を上げると、その下は排水溝だったということもあった。

 さほど強くはないが、雪がしんしんと降る。それを払いのけながら進む。マメに雪を払っていく分には、傘はいらない程度の雪である。それにしても、この積雪の中、軽やかに自転車で私を追い越していくおじさんがいるのには驚く。私なら、平地であれば自転車をスイスイこげるけれど、こんな雪の中で乗ろうものなら、いったいどうなることやら見当もつかない。ひたすら真っ直ぐ行くだけなので、郵便局はすぐにわかった。徒歩10分程度というところか。残念ながら、風景印はなかった。

 再び富良野駅に戻る。すでに外は夜のとばりが降り掛かっており、視界もあまりよくない。

 さすがに寒くなってきた上、腹も減っているので、駅そばをすする。麺が太く、そして黒い。割とうまいが、ややぬるいと感じる。丼が冷えている状態で出されたようだ。

 次の列車は、富良野16時47分発の旭川行きである。

 高校生たちが一斉に乗り込むが、乗車には秩序も何もなく、突き飛ばされかかる。当方は巨大な荷物を背負っているから、下手な姿勢で転ぶと起きあがるのにも難渋するので、取りあえず体勢を起こす。その時点で人の流れが停まる。後ろからの圧力が掛かる。すると反作用であろうか、後ろの方で誰かが転ぶ音が聞こえる。

 2両のワンマン運転。車内はすべての席が埋まる上に、かなり多くの立ち客がいる。車両は、進行方向左側は2人掛け、右側は1人掛けのボックスシートとなっている。2人+2人としないのは、通学時の混雑緩和のためであり、こういうレイアウトはJR東日本の車両にも見られるが、「1人掛けのボックスシート」よりはロングシートにした方が座れる人数は増えると思うのだが。

 まだ5時前だが、すでに外は真っ暗であり、なかなか景色を楽しむというわけにもいかない状況となる。傍らに、コンテナ車が停まっている。

 次の学田では、停車すると、目の前に踏切がある。要するに、先頭車の1両分しかホーム長がなく、停車すると後ろの車両はホームからはみ出し、踏切をふさいでしまう形となってしまうわけである。学田に限らず、富良野線にはこういった仮乗降場的なスタイルの小駅が非常に多く、こんな光景も、しばらくすると慣れてしまう。外は、雪がまさに「舞うように」降っている。車内の喧噪は相変わらずで、特に携帯電話をアソビの道具として使っている。Eメールでのやり取りがなされている。当方が持っている旧態依然のPHSにはそんな機能はあるはずもなく、通話専用の簡易型携帯電話としてロートルの仲間入りしていることを、あらためて感じる。

 上富良野で、高校生の大半が下車し、車内は急に寂しくなる。賑やかな間はうるさいものだが、静かになるともの悲しさを覚えたりするものだから、旅人の感性とは勝手なものだ。

 ユースホステルが隣接する美馬牛で、反対列車と行き違う。向こうも2両編成だが、割合混んでいる。

 美瑛で数人が乗車する。無骨な感じの駅舎が、吹き交う雪風など意に介さぬといった面もちで鎮座していた。

 西神楽から先は、上川盆地の緩い下り勾配を淡々と走るのみで、並行道路を走る自動車のテールランプを眺めるくらいしか、変化というものがない。西瑞穂でかなり乗り、神楽岡でかなり降りるなど、駅の結構とは直接関係ない乗降客数にちょっと意外さを感じるものの、早く旭川に着きたい、という気が起こってくる。

 旭川到着、17時55分。広大な旭川駅の中で、一番南の端っこに隔離されたような感じの富良野線ホームから、乗客はぞろぞろと降りていく。地下通路はエスカレーターの設置工事中で、改札口は自動改札機の導入準備中と、なかなか落ち着きに欠く駅であるが、それでも、すでに3度目の旭川駅である。釧網本線の原生林も、落合越えの雪原も、もはやここでは彼岸のハナシだ。旭川には、人がいる。

 今日の宿は、すでに予約してあるビジネスホテルなので、特に気にすることもない。

 まずは宿に荷物を置くが先決、と、ホテルに直行する。ホテルらしからぬ、オフィスビルのような外観のホテルである。

 チェックインを済ませ、荷物を解いて身軽になってから、買い物へと出かける。本来なら、なにかうまいものを食べよう、ということになるのだが、今回のような長丁場の旅となると、相当の物入りなので、削れるところから削らないと大変である。序盤で少しお金を使いすぎたので、慎重になっているという面もある。

 街の中心部にあるスーパーで、閉店前の安売り商品などをあれこれと買い込む。ホテルには冷蔵庫が備え付けてあったので、酒類や飲み物も仕入れる。また、別のフロアに入っていた書店で、あれこれの本を眺める。この2日間、時刻表以外の活字から離れていたこともあってか、手に取る本から漢字を吸収していくような感覚になる。旭川まで来て何をやっているんだか。

 冬の上川盆地。経験したことのない経験であるが、明日は、さらに「明け方」という条件が付加された形での体験になる。「北海道の冬」とはどんなものなのか、そんなことを、ホテルのベッドの中で思う。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
7th網走644→釧路9504725D
8th釧路1055→帯広12384006D(特急・おおぞら6号)
9th帯広1244→富良野15372548D→2436D
10th富良野1647→旭川1755736D
乗降駅一覧
(網走、)緑[NEW]、釧路、西帯広[NEW]、富良野、旭川
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
釧路中央郵便局、富良野若葉郵便局(貯金のみ)

2000年1月7日
2005年6月14日、修正

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