第3日(1999年12月18日)

旭川-岩見沢-沼ノ端-白石-小樽

 日本は南北に長い。

 その結果として、夏はどこでもみな暑くなるのだけれど、冬になると、暖かいところと寒いところの格差が著しくなる。その、寒いほうの筆頭格にあたる地域のひとつが、北海道の上川盆地だ。

 旭川は、そんな上川盆地の中心地。冬の寒さがどうのといわれても、内地の人間にはなかなか想像できない。

 そのせいかどうかはさておき、というよりも直接の関係などないのだけれど、ふと目を開けて時計を見ると、列車の発車時刻20分前である。駅から近いビジネスホテルとはいえ、ここまで時間が迫っていると、余裕も何もあったものではない。まだなんとか間に合うタイミングではあるが、とにかく焦る。忘れ物がないか確認し、急いでチェックアウトする。エレベーターが降りていく間さえ、じりじりするありさまである。

 ホテルが入っているビルの外に出ると、ものすごい霧だ。今朝は、ふだんよりも気温が高いのだろうか。そのせいもあるのだろうが、足下は案外滑らない。昨日の網走では路面がツルツルで、重心の移動に苦労したのだが。気がせいていることもあって、早足でしゃかしゃかと進む。

 ホテルは駅からほど近いところにあるが、それでも小走りだったから、コンコースに入ったときには、ちょっと汗ばんでしまった。改札口には自動改札機がお目見えしており、稼働を開始している。昨日の時点では、まだ設定工事中だったので、今日から動き始めたのだろう。もっとも、当方の「最長片道切符」は、手書き発券であり、自動改札機とは無縁のものだが、逆に、有人改札口を通る人が限定されるので、改札に手間が掛からないのは助かる。

 6時30分発の小樽行き普通列車は、改札口真正面のホームにすでに入っていた。赤塗りの電車3両編成である。JR北海道の車両といえば、白系統をベースとし、コーポレートカラーであるライトグリーン帯を巻く、というスタイルが一般的だ。しかし、この電車は、国鉄時代の北海道車両標準色をそのまま残している。もっとも、私が最初に渡道したのは1993年であり、国鉄時代の北海道など知る由もなく、知識として知っているのみである。そもそもこの電車、塗装が変更されぬままだったのか、はたまたリバイバル列車のように旧塗装に直されたのか、そのあたりも定かでない。

 ここから、函館本線という、北海道随一の大動脈を進むことになる。車掌が乗務する普通列車(快速を含む)に乗るのは、「最長片道切符」を使用開始してから初めてである。

 先頭車に乗るが、発車時点での乗客は、わずか2名であった。朝一番で札幌に向かうのであれば、50分後に発車する特急「スーパーホワイトアロー2号」に乗れば、この列車よりも15分早く目的地に着く。朝の50分は貴重だし、特急料金を惜しんで無理にこの列車に乗る必要などまったくない。私だって、仕事で朝一番に札幌へ行くとなれば、特急を使うにきまっている。仕事などというものと無縁の営為だからこその選択なのである。

 列車は、がたん、という振動とともに走り出す。ディーゼルカーばかりに乗ってきたこともあって、モーター音の振動がなかなかに新鮮に感じられる。外を見てみるが、景色の輪郭だけが辛うじて目に入るという程度である。

 旭川の次の近文では、窓から見えるホームの雪がうず高くなっており、乗りたくても乗れる状況ではない。もし、この先頭車から降りようとすれば、えらい大変である。そもそも人影など見えなかったが、定位置からでないと乗降は不可能のようだ。勝手知ったる人のみが利用できる駅になってしまっている。

 留萌本線が分岐する深川で、唯一の相客でもあったおっさんが下車するが、替わりに数人が乗ってくる。

 雪の中から、ぽっ、と突き出ている民家。そして雪の上に、まるで敷き詰められたように広がる濃霧。そこに、赤みを帯びた朝の光があたり、キラキラと輝いている。このような景色、まさに北国ならではのものであろう。表現できる語彙を必死に探せど、何も頭に伝わってこないようなもどかしさを感じる。神秘的とか、そういう手垢の付いた言葉はとうていなじまないのだ。車窓に捉えられる光景とは思えない、これだけは間違いがない。

 妹背牛(もせうし)の先で石狩川を渡る。このあたりの駅は多くが無人化されているため、車掌氏の動きがあわただしい。JR北海道では、Sきっぷ(割引切符)などを追加料金払いでフレキシブルに使用できるため、利用者にとっては非常に便利なのだが、車掌が携帯端末機を操作する手は、忙しさを無言で語っている。

 江部乙(えべおつ)から、まとまった人数が乗車する。駅前の旅館には、「えべおつ温泉」という大看板が出ている。意外なところに温泉があるもので、この辺に泊まってみるのもオツだったかも、と思う。

 いよいよ、赤い太陽が、その姿をのっそりと現し出す。切り通しに入ると、吹き溜まりか雪穴あたりに落ち込んだような気になる。

 人家がしだいに増え、学校などがちらほらと現れ始めるが、それに対応する駅はない。昨日の富良野線では、家があればこまめに駅を設置していたのだが、これが幹線とローカル線の格の違いなのだろうか。

 左から根室本線が寄り添ってくると、7時14分、滝川に到着。中央バスの大ターミナルがあり、大手スーパーもあるなど、「街」としての外観をきちんと整えている。旭川よりも規模はずっと小さいが、石狩川中流域の拠点であり、「都市」だな、と思う。どうも、北海道に来てから、「街」あるいは「都市」というものに対する尺度が、かなりずれてきているようだ。

 滝川駅を出ると、ほどなく空知川を渡る。河原には雪ばかりという光景だが、水面は氷結していない。川を見ながら、これを上流へと遡れば、昨日の富良野に辿り着くことを思う。

 砂川では、高校生が数人乗り込んでくる。以前、ここから上砂川へと走っていた支線があった(1994年6月15日かぎりで廃止)。その乗り場は駅舎とは反対側、駅構内の東のはしっこにあり、延々と長い跨線橋を渡らされたものである。跨線橋は今でも顕在であり、列車から見る限りはそのままのようであった。もちろん、列車の来なくなった乗り場は無用の長物であり、入り口は塞がれているに違いないのであるが。

 ますます霧が濃くなり、200メートル先もよく見えないという状態になる。それにしても、暖房が効きすぎて、尻が熱い。ダウンジャケットを脱いでも汗が出てくる。北海道の人は、屋内での強い暖房に慣れているのか、暖房が効いていても上着を着たままということが多いけれど、周りを見ると、地元の人でも、誰も上着など着ていない。デッキ付き2扉という古典的な車両であるから、保温性も高い。

 駅ごとに乗ってきた高校生たちは、美唄で一斉に下車した。入れ替わりに、別の高校生が乗り込んでくる。始業前ということで眠そうな連中もいるが、比較的つつましやかなボリュームで会話が交わされている。時期が時期ということもあり、進学や大学入試に関する話題が多いようだ。「センター」という言葉が頻繁に行き交う。大学入試センター試験のことであろう。

 交通の要衝、岩見沢に到着したのは、7時56分であった。

 岩見沢で、函館本線から室蘭本線へと乗り換える。次の列車は9時2分発で、1時間以上の待ち時間がある。まだ朝早いので、行き場もない。

 北海道での3大幹線といえば、函館本線、室蘭本線、根室本線であり、室蘭本線を千歳線が、根室本線を石勝線がフォローするような恰好になっている。実際、北海道の鉄道で「幹線」として扱われるのは、この5線のみであり、あとはすべて「地方交通線」、すなわちローカル線扱いなのである。青函トンネルをくぐる海峡線でさえ、地方交通線なのだ。

 そんな「幹線」どうしの乗り換えなのだから、さぞかし頻繁に列車が行き交うものかと思いきや、私がこれから乗る岩見沢から沼ノ端までの区間は、実質的に「ローカル線」といってよい。札幌を無視したルートなので、旅客流動量が小さいのだ。

 この9時2分の前の列車は6時5分発で、これでは外がまだ真っ暗、何も見えやしない。次の列車に合わせようにも、三番列車は12時51分発と、4時間近い間が空いてしまう。文字通り間が抜けているわけである。そんなしだいで、今日のスケジュールは、9時2分発の列車を軸に調整した。

 時間があり余っているので、駅前をぶらつくものの、やはり、まだ店もほとんど開いていない。仕方なく、駅前のコンビニでちまちましたものを買い込み、待合室にて腹ごなしをする。

 この岩見沢駅にも自動改札機が設置されていたが、列車別改札は現在もそのままのようで、列車の発車時刻が近づくと「只今から改札を始めます」というアナウンスが流れる。客の方も、その案内放送に従って行動しており、さっさと改札を通っていく人はほとんどいない。自動改札機が、各列車や方向を識別しているかどうかは、定かではない。

 9時2分発、苫小牧行きのディーゼルカーは、例によって単行ワンマンであった。

 ひとまず荷物を車内に置いてホームに出で、列車の写真を納めてから車内に戻ると、運転士が「これあなたの?」と、私の荷物を差し出す。どうやら、忘れ物と勘違いしたようだ。本当に忘れたのなら、ありがとうございます、と答えただろうが、意外な状況でもあり、はぁ、と、間延びした返答しか返せない。俺のものがどうしてここに、という顔つきをしていたのだろう、運転士は怪訝そうな顔つきである。席に戻ると、すでに他の人が座っている。別の席にはまだ空きがあったのが幸いではある。

 発車後、左手に広大な空間が広がる。もともと、函館・室蘭両本線のほか、北海道で最古の部類に属していた幌内線(1987年7月13日かぎりで廃止。岩見沢-幾春別・三笠-幌内)なども分岐しており、石炭輸送で大いに賑わっていたのであろう。現在は石炭輸送以前に、石狩から炭田がすべて姿を消してしまっており、往年の盛況は見る影もない。大半は遊休地と化しているようだ。もっとも、かつての運炭線そのものがほとんど廃止されている現在となっては、古い当時の雰囲気を回想できる、貴重な区間でもある。これ以外では、石勝線の夕張支線(新夕張-夕張)があるが、6年前に乗った当時、果たしていつまで残るものやら、といった程度の乗車率であったことが頭に浮かぶ。

 除雪の行き届いた片道2車線の国道12号線をアンダークロスし、左へ左へとカーブしていく。雪に覆われた水田の畝が、列車と垂直の線を描いている。

 志文には、ずいぶんと広いプラットフォームに、やや分不相応とも見えるこぎれいな待合室があり、女の子が見送りをしていた。ここから分岐していた万字線(現在は廃止。志文-万字炭山)が廃止された後に作られたもののようである。立派な跨線橋が、往時の繁忙ぶりを無言で語っている。

 万字線のレール跡が左へとカーブを切って消えていく。屋根のかかったままとなっているビニールハウスが並ぶ。

 次の栗沢で数人が下車する。志文同様、ホームや跨線橋は立派なものだが、その反面、待合室はずいぶんとコンパクトである。外からステンドグラスが見えた。ここから、栗沢、栗丘、栗山と、栗のつく駅名が3つも並ぶ。クリが自生していたのにちなんだ駅名なのかも知れないが、開拓当初の地名の少なさを示しているように見える。

 ここまでは人家がずっと車窓に並んでいたが、栗沢を出ると、急に荒れ地が増えてくる。左側には水田が広がっているが、集落とは離れているようだ。

 栗山は、町の規模も比較的大きいうえ、年代物の跨線橋、堂々としたホーム、それに側線も少ないながら目に留まるなど、中間駅の中ではそれなりの貫禄を示している。以前は、函館本線の野幌(のっぽろ)と夕張とを結ぶ夕張鉄道(現在は廃止)が、この駅で室蘭本線と交わっていたこともあって、ただものではない、という雰囲気が強く残っている。駅自体は無人化されているが、駅舎は真新しい建物で、おそらく自治体の所有ではないかと思われる。駅前はいろいろと再開発工事が行われているようで、交通の要衝としての面影はどんどん薄らいでいくに違いない。なんとも寂しいが、列車を出迎える場所が確保されているだけでも、よしとすべきなのだろう。

 栗山を発車してしばらく進むと、左手にゆるやかなカーブを描くあぜ道がある。夕張鉄道の線路跡だろうか。左右には、さほど高くはない丘陵が連なっている。川を渡ると、ところどころが氷結している。どこまでが河原なのかが判然としない。

 比較的新しい住宅が増えてくると、由仁に入る。風格のあるがっしりした駅舎が、この駅では健在であった。今までの駅とは違って重要性が低かったため、かえって長く生き延びたのであろうか。跨線橋は、左手にある公共施設へと、ダイレクトにつながっていた。

 ひたすら水田が続く。どことなく抜けたような響きである古山(ふるさん)は、貧弱なホームであったが、跨線橋は現役であった。そういえば、これまでの駅のすべてに跨線橋があり、しかも多くが現役というのは、実際の輸送量を考えれば大したものである。栗丘だけは、おそらく老朽化のためであろう、通行禁止になっていたが。

 水田と荒れ地、そして左右に丘陵。単調さに目が倦みだしたころ、左から立派な線路が寄り添ってくる。石勝線である。「石」狩と十「勝」とを結ぶ路線で、特急「おおぞら」などが走る、正真正銘の幹線だ。もとは「夕張線」として石炭輸送に活躍したが、石炭炭田が斜陽すると石勝線へとその名を変え、現在は大変貌を遂げている。

 その石勝線との分岐駅である、追分に到着する。夕張線時代に貨物列車が盛んに行き来した名残が感じられる。構内は広大で、停車時間も長い。もっとも、停車時間が長いのは室蘭本線のほうで、石勝線の特急列車はせわしなく出発してしまうのではあるが。現在もかなりのレールが錆びつくことなく現役で使われているようだ。今となっては、駅の規模に見合うほどの人の出入りがあるはずもなく、設備もややくたびれている印象は否めないが、これまでとは違ってごくオーソドックスな駅舎がそのまま使われており、現役の駅らしい空気が漂う。ホームの屋根が真っ赤に赤錆びている。

 相当に多くの客が下車し、運転士もここで入れ替わる。ここで、後ろに1両を増結するが、ワンマンであることには変わりない。しかし、連結に際して何分間停車する、といった旨のアナウンスがないのは遺憾だ。停車時間が長ければ、ホームに降りたり、ちょっとした買い物などをしたりといったことをしたくなるものなのであるが、そんなことをする客は、ほとんどいないのだろうか。あるいは、ホームをちょろちょろと動かれては迷惑だ、という判断か。連結作業はなかなかうまくいかないようで、ガツン、ガツンという衝撃が何度も伝わってくる。携行している中型時刻表をみると、なんと19分も停車するとのこと。しかし、定時であれば、もう5分ほどで発車という時刻なので、おとなしく待つことにする。

 しかし、発車時刻間近になって、接続の特急列車待ち合わせのため、4分ほど遅れるとのアナウンスが入ってくる。これは大変だ。なにせ、この先には、沼ノ端で3分接続という、非常にきわどい乗り換えが待っている。通常、この追分から札幌方面に向かうのであれば、素直に石勝線を使うはずなので、そんな乗客が他にいるとも思えない。千歳線の駅間距離は長いし、相手は電車だから、ある程度時間の融通は利くはずだ、と思うが、保証はない。このため運転士に、沼ノ端で乗り換えるのですが、と伝える。これなら、遅延が大幅にならない限り、待ってくれるであろう。

 結局、アナウンス通りの4分遅れで発車。左手には、人力車のようなマークがついたアパートが並ぶ。場所柄、JRのアパートかと推測されるが、あのマークは動輪をかたどっているのだろうか。そういえば、追分という地は、最後まで蒸気機関車が頑張っていた土地であった。私は、現役当時の蒸気機関車を全然知らない世代なので、あくまでも「知識」として知るに過ぎないけれど、ある程度以上の年齢の方であれば、また別の感慨をもよおすかもしれない。

 石勝線をいったん左に分け、その線路が上を横切って右手に走る。平面交差でも問題なさそうな輸送量なのであるが。

 次の安平(あびら)では、広大な構内が完全に草蒸していた。ごく簡素な駅舎がある。駅の真正面から、道路が一直線に伸びている。この程度の駅であっても、集落の中心となり得ていたことをうかがわせる。

 それにしても、田畑の面積が非常に大きい。線路脇から丘の麓まで、びっしりと耕地、というケースも多い。あるいは牧草地かも知れないが、それを区別するには、全てを覆う雪が邪魔をしている。

 比較的新しい家が増え、橋などの建築工事がいろいろと行われるという風景が目にはいるようになると、早来(はやきた)。かなり人家も多い。ここでまとまった人数が下車。例によって無人駅だが、時計台のようなデザインの屋根を持つ、横長の新しい駅舎が楽しい。降りた人数以上の乗客がある。広い構内では、ショベルカーがアームを動かしていた。国鉄時代、駅に多く見られた、濃い茶色をした木の柵が、はずれの方に残っていたが、間もなく取り外される運命であろう。

 列車は道路と並行して走る。あちらには大型トラックが多いので、列車がスイスイと追い抜いていく。

 次の遠浅(とあさ)も、やはり古典的な木の柵が残っているが、今となっては昔の栄華はほのかな香りをわずかに残すのみとなっている。

 ここまで、比較的平らな場所のみを走ってきたが、ここで切り通しを走る。抜けると、カッ、と、太陽の光が目に射し込む。窓の下に広がる湿原には、積雪がほとんどない。

 沼ノ端に到着したのは、10時33分。2分の遅れであった。

 ここから乗る千歳線の接続列車は、34分発である。

 沼ノ端駅では、以前も同様に乗り換えを行ったことがある。その時は数分の時間があったので、いったん途中下車をすることができた。今回はそんな余裕はないが、経験済みの駅であるため、跨線橋をすいすいと上がり、そして降りる。すでに列車はホームに入っていた。こんな乗り継ぎをする客などほかにはいないだろうと思っていたが、意外にも2人のおばさんが、私のあとを追いかけてきてくる。追分から先の駅で乗ってきたのかもしれない。

 1分接続は無事に乗り継ぎ終了となり、すぐにドアが閉まる。3扉の転換クロスシートだが、京阪神の新快速車両などとは違い、すべてのドア部にデッキがついている。車両中央部にデッキがあり、その外側にシートが並ぶという構造に、JR九州の特急列車、ハイパーサルーンを思い出す。

 それにしても、1両に10人も乗っておらず、見事にガラガラである。

 ごく小さな無人駅を2つ、いともあっさりと通過する。車窓に広がる荒れ地は、これまで乗ってきた室蘭本線の沿線と大差ないはずだが、列車の速度と車内の設備が、窓の外までもがまるで別の世界であるかのような錯覚を作り上げる。

 10時45分、次の南千歳に到着。この列車に乗っていれば、そのまま札幌まで行けるのだが、途中で快速列車に抜かれるので、この南千歳で降りることにする。いったん改札を出るが、特に見るべきものは何もない乗り換え用の駅なので、すぐに戻る。

 南千歳を10時51分に発車する快速「エアポート107号」は、札幌から特急「ライラック7号」になる。言い換えると、特急用の車両が、札幌までは快速として開放されているわけで、これはよし、と思う。

 ところが、これにちょうど接続していた航空便でもあったのか、ものすごい混雑で、すでにデッキにまで人があふれている。こうなると、特急用車両は非常にたちが悪い。冬の北海道ということもあって、スキー板やらスノーボードやらと乗客の荷物が大きいので、まったく身動きが取れない。

 車掌が、そんな中、縫うように歩く。車掌が先頭の指定席車に入ると、まもなく数人の乗客がこちらへ出てくる。無札乗車の客が追い出されたのであろう。

 千歳からもかなり乗り込んでくるが、地元の人は「えー、なんでこんなに混んでるの? 土日だからかな」という。根本原因はわからないが、この状況が日常的なものではないのは確かであろう。

 足場を確保するのがやっとで、外を見ることもままならず、ただデッキの壁ばかりを見て過ごす。札幌到着は11時27分、大した時間ではなかったのだが、とにかく退屈でもあり、空気も悪いので、非常に長い距離に思えた。札幌でホームに降り立ち、冷たい空気を吸い込んだときには、生き返るような心持ちになった。

 このあとは、小樽に行けば、今日の日程は終わりである。札幌と小樽の間には、頻繁に列車が運転されているので、わざわざ時刻表を確認する必要などない。

 まっすぐ小樽に行ってもいいし、接続列車に乗れば12時24分には小樽に着くのだが、そこまで急ぐ必要はまったくないので、いったん外に出ることにする。

 地下街をあちらこちらへと歩くが、その変貌ぶりには驚く。以前は、どことなく野暮ったさがあり、いわゆる「駅ビルデパート」が地下に拡散しているような印象であったが、すっかりリニューアルされている。逆にいえば、都会らしく洗練された雰囲気になってしまい、おもしろさも何もなくなってしまった。地下街を伝って東急百貨店まで行ってみるが、もはやここまで来ると、私にとってはなじみの深い東京郊外の繁華街、例えば吉祥寺や町田あたりを歩くのと大差ない。

 あちらこちらへと寄り道しながら、再び札幌駅へ戻る。

 ホームに上ると、次の列車は、小樽行き快速マリンライナー、12時32分発である。

 しばらく待っていると、シルバーカラーにライトグリーン帯という、6両編成の電車が入ってくる。中を見ると、デッキなしのロングシートである。さらに、シートの区切りにはポールが立つなど、京浜東北線か何かに乗っているような気になる。違うところといえば、ドア脇に設置されている補助席の存在であろうか。

 ドアが開いた直後にはさしたる客数でもなかったのが、発車する時には、すべての席が埋まり、各ドア口に10人程度が立つという状態であった。

 高架線上をそろりそろりと進む。左手に北大農学部キャンパスが、右手に北大本部が見える。都心にありながら、これだけ環境も立地もよい大学も珍しいのではないか。

 桑園を過ぎ、右手に札沼線(桑園-新十津川)を分ける。もとは、石狩「沼」田まで走っていた路線だが、輸送量の少ない新十津川以遠は、かなり早くに廃止されている。現在でも、北海道医療大学以遠は閑散線であり、末端区間である浦臼-新十津川にいたっては、1日にわずか3往復である。並行区間のバスに比べて本数がはるかに少ない現状を見ると、いつ消えてもおかしくはなく、また、長いことワンマン化されなかった、すなわち合理化に向けた設備投資が控えられていたため、「いつか消えるのだろう」と思っていたのだが、しぶとく生き残り、比較的最近になってワンマン化が行われた。もちろん、鉄道ファンとしては残しておいてほしいものだが、バス路線との共倒れ状態にならないか、気にかかる。

 琴似から、工場が増えてくる。高架の上から見ると、雪に包まれたくすんだ市街は、静かに、しかし黙々と動いているように感じられる。左に見える手稲山には、まださほどの雪はない。

 最初の停車駅、手稲に到着。札幌-小樽間快速は、小樽市内の主要駅すべてに停車するものの、純然たる中間駅で停車するのは、この手稲だけである。駅の工事がまだ行われている。下車客より、むしろ乗り込んでくるほうが多い。

 右手には、巨大な車庫スペースが広がる。車両の整備でも行っているようだ。

 次第に、右手に海が見えるようになる。日本海なのだが、意外とその表情はおとなしく感じる。今日は暖かい快晴、風もあまりないという、素晴らしい好天という要素もあろうが、湾内だとこんなものなのか、とも思う。

 小樽築港で、ぞろぞろと、相当数の客が下車する。この駅は、つい先日オープンした大規模な複合商業施設「マイカル小樽」へと直結している。そこへ向かう客であろう。ホームには、札幌方面行き列車を待つ人がかなりいる。開業間もないしご祝儀客や見物客の比率が高いのも確かだろうが、マイカルの集客力の大きさを感じる。

 ここから左へとカーブし、市街地を迂回するように山側へと入る。南小樽周辺は、工場と住宅とが混在する地域で、切り通しの中にある同駅には、どことなく古めかしさが漂う。上を渡る橋下の壁面には、小樽運河のペインティングがあった。

 ゆるやかなカーブを続けながら、終着駅の小樽に到着。13時6分。地下道を通ってそのまま改札口へ行くと、ここでも例によって自動改札がお出迎え。しかし、それを納めている駅舎は相変わらずで、年輪を感じさせる面構えは健在であり、ああ、小樽に来たな、と思う。

 小樽には父方の親戚がいるので、今日はそちらへ厄介になることにしている。このため、宿の心配などは一切なく、暗くなる前に向こうに着けばよいので、非常に気が楽である。しかも、小樽には以前も来たことがあるから、ある程度の土地勘はある。無節操に歩いても迷う心配はないけれど、市街地では、足下の雪が半端に溶けてぐちゃぐちゃになっているのが難儀ではある。

 今日は土曜日なので、旅行貯金はできない。しかし、郵便業務を行っていれば、風景印の押印は可能である。大きめの普通郵便局であれば、土曜日でも営業している可能性が高いので、まずは小樽局へ行く。予想通り、窓口は開いていたので、ここで風景印を捺してもらう。

 次いで、「歴史的建造物」群を見ながら、ゆっくりのんびりとぶらつく。その中でも、やはり独特の迫力を感じさせるのが、旧・日本郵船小樽支店だ。この建物は、国から重要文化財の指定を受けている。

 さらに西へと進むと、小樽交通記念館が見えてくる。昔は「鉄道記念館」というネーミングだったが、リニューアルオープンによって名前を変更している。以前小樽に来たときは、まだリニューアル工事中であり、中に入れず、非常に残念な思いをしたので、今回こそは、と思う。しかし、手宮のゲートに人気はなく、門も閉まっている。うず高い雪を、ぶすっ、と踏みしめながら前進し、ようやく看板が読めるところまでたどり着く。なんでも、冬季は、このゲートを閉鎖しているとのこと。

 憮然としながらきびすを返し、高島方面へと通じる道路を歩く。歩く人などほとんどいないのであろう、車道に比べて歩道の雪は非常に高い。こちらはしっかりした靴を履いているので、多少の雪なら平気だけれど、日常的には、ゴム長でも履かないかぎり歩くのは無理そうだ。

 左手に崖、右手に交通記念館という道を歩くと、手宮洞窟が見えてくる。洞窟内に描かれた独特の壁画は国の史跡に指定されている。地元の人は「古代文字」と呼んでいるようだが、文字ではなく絵画であるというのが、考古学会の通説となっている。ここも、以前小樽に来たときには整備中であったが、今回は無料で一般に公開されている。

 洞窟のまわりは、鉄筋コンクリートで覆われており、遺跡の保存体勢は万全のようだ。もっとも、発見されてから整備されるまで、相当長い時間野ざらし状態だったようで、かなり痛みもあるようだが。

 受付にいたおじさんに、数枚の案内パンフレットをもらって中に入ると、すうっと冷たい空気が肌を刺す。展示はそれなりに凝っており、解説にも工夫が見られるものの、考古学には「ほどほど」程度の興味しかない観光客の興を惹くようなものではない。実際には、保存されている壁画をじかに見られるだけでも十分であるが、入館料を取って展示を充実させる方がよいのでは、と感じた。

 手宮洞窟で20分ほど過ごしたのち、向かいにある交通記念館へ。食事でもとるか、と思ったが、レストランは10月17日をもって閉店したとの由。そこまで人が入らないのか、と思う。のちほど、親戚宅で話を聞いたところ、相当額の赤字が出ており、小樽市も対応に苦慮しているらしい。

 屋内展示はそれなりに楽しく、特に模型とビデオとの連係が実にうまくいっているのは特筆すべきであろうが、交通の発展というプラス面ばかりが強調されているように思えてならない。石北本線の常紋トンネルを引き合いに出すまでもなく、タコ部屋労働者の酷使など、北海道の鉄道建設に際しては、現代の鉄道利用者が目を背けてはいけない問題点がいくらでもあるし、そういった点も、後世に語り伝えていかなくてはいけないと思うのだが。

 また、冬季は原則として「展示は屋内のみ」となっているようで、屋外の展示車両は雪に埋もれていた。もちろん、すっぽりと雪に覆われているわけではないのだが、展示車両を見ようと歩いていくこと自体が大変である。てっきり、通路部分は除雪されているものと思っていたのだが、当てが外れた。それでも、意地になって半分くらいの車両を歩いて回る。回るたびに、人が踏み入れていない雪に、ざくっ、と足が入る。車両を見ているというより、雪の中、足跡をつけて歩いているとでも評する方が適切な行動を繰り返す。

 鉄道記念館は1時間程度で切り上げ、ここから、高島にある親戚宅へと直行する。バスに乗ってもいいが、歩いても一時間とかからないはずであるし、まだ3時半、これなら歩きで十分である。脇を走る車の数に比べ、歩道の閑散たる様子は、雪国ではどれだけ車が必要であるか、そして定着しているかを物語っているようでもあった。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
11th旭川630→岩見沢7562144M
12th岩見沢902→沼ノ端10331466D
13th沼ノ端1034→南千歳10462757M
14th南千歳1051→札幌11273871M(快速・エアポート107号)
15th札幌1233→小樽13063186M(快速・マリンライナー)
乗降駅一覧
(旭川、)岩見沢、南千歳、札幌、小樽

2000年1月11日
2005年6月14日、修正

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