第5日(1999年12月21日)

五稜郭-木古内-中小国-青森-好摩-大館-弘前

 どのようにして目をさましたのかは覚えていないけれど、とにかく、列車がホームに入っている、とのアナウンスを耳にしたことだけは、確かな記憶となっている。夜行急行「はまなす」の発車は2時52分だが、機関車のつけかえなどの作業のため、ここで12分停まるのだ。

 まだ7、8分程度の時間があるので、一時的に開いた表玄関の扉を開けて、駅前のコンビニで発泡酒を2本購入する。寒い空気に触れた身体が眠りを拒否してしまうと、後がつらいので、睡眠薬代わりである。

 車内に入る。禁煙自由席車はガラガラだったので、席を向かい合わせにする。車内には3、4人程度しか乗っていないのである。がっくん、という衝撃とともに発車、それとともに缶の蓋を開ける。一気に2本干すと、すぐに眠りにはいる。この列車の乗車時間は、わずかに2時間31分。函館駅で仮眠を取っていた時間より、さらに短いのである。

 眠ろう眠ろうとすると、かえって眠れなくなることが多いものであるが、不思議とあっさり眠りに落ちた。

 つと気が付くと、すでに5時を回っている。もう青森は目の前である。何もそんなに急ぐこともないのに、などと勝手なことを考える。定刻より少し遅れ、5時23分、青森に到着。この駅は、もうJR東日本のものであり、発車メロディも「東日本だな」と思わせるものである。北海道パートがこの列車をもって終わったことを、寝不足の頭で感じる。

 ここから乗り継ぐ5時41分「はつかり2号」は、485系という国鉄時代からのスタンダードな特急電車であったが、シートは新しいものになっていた。

 少し発車まで時間があるので、早くも営業していた立ち食いそばをすする。寒いうえ、昨日のアルコールが完全に抜けきっておらず体が糖分を求めていることもあって、非常に美味に思える。椅子に座って落ち着いて食べても美味いと思えるかどうかはわからないが、こういう状況での立ち食いそばの味は、まことによい。やや白っぽく、あっさりとしたそばであった。

 車内に戻る。禁煙自由席車には10人程度が乗っている。肘掛け下には、ボタンが2つついており、上の「1」ボタンでシートの背ずりが倒れ、下の「2」ボタンで尻を載せる部分が前後に動く仕組みである。リクライニングシートは特急列車の標準設備と化している観があるけれど、乗用車のシートのように座席を前後に動かせる車両は、初めてであった。もちろん、フリーストップ式のリクライニングシートである。

 次の停車駅は、野辺地である。寝過ごしたら大変、と、寝ないようにと自分に言い聞かせるが、やはり暖かいそばなど胃に納めたせいであろう、とろとろと眠ってしまう。ふと気が付くと、まもなく野辺地である。タイミングがよいというか何というか。6時9分、定刻に野辺地に着いた。

 野辺地は、下北方面へと延びる大湊線が分岐していることもあって、鉄道の要衝といってよかろう。つい最近までは、七戸まで、南部縦貫鉄道の老朽レールバスも走っていたのだが、諸般の事情で営業休止となっており、運転再開の目処はまったくたっていない。届け出が「廃止」になっていないのが不思議なくらいである。

 そんな野辺地からは、6時21分発の花巻行き普通列車に乗り継ぐ。しかし、このあたりを走っている普通列車は、みな同じ面構えをしたロングシートの電車ばかりなので、どれがどれだか実にわかりにくい。「はつかり」からの乗り換え案内が指示した番線に停まっていた電車に乗り込むが、どうも様子が変だ。運転士に尋ねると、これは青森行きであり、花巻行きは前の方に停まっている車両だという。見ると、確かに、同じ番線に仲良く2両編成の列車が、2編成入っている。4両編成の電車を切り離したものだが、こういう器用な芸当につき合わされる客としては大変である。実際に乗る人は勝手を知っている人なので、あわあわしていたのは私一人だけであったが。

 花巻行き普通列車は、車掌乗務の2両である。遅れている上り貨物列車を待っての発車となる。やはり東北本線は貨物幹線なのだな、と実感するが、東北新幹線が延伸されたら、果たしてどうなることやら。先頭車両には10人程度の乗車であった。

 車内は暖房がほどよく効き、窓ガラスが次第に曇る。駅ごとに高校生が乗り込んでくるが、彼らの行動や会話に向けられる注意力は残っておらず、うとうととする。八戸で一斉に彼らが降り、一時的に電車が空き、そしてまた徐々に乗り込み、主要駅で降りる、これを繰り返す。やはり、朝のラッシュ時に2連というのはずいぶん苦しいようで、いつまでたっても立ち客が吊革に下がる。ロングシートゆえ、車内が混んでいると、向かいの景色もほとんど眺められない。観念して、そのまま寝てしまう。

 好摩到着、8時36分。定刻より3分の遅れであった。

 好摩から乗る花輪線の列車は、10時21分発である。ずいぶんと接続が悪いが、もともと八戸方面から花輪線への乗り継ぎ需要などほとんどないのであろう。

 改札を出る。例の切符を出すと、ありゃりゃ、これはすごいねぇ、まだ始まったばかりですか、という反応が返ってきた。

 郵便局で旅行貯金と風景印押印、そしてコンビニで軽い朝食その2、といったところで時間をつぶし、やっと入ってきた列車に乗り込む。3両編成のディーゼルカーで、嬉しいことに、デッキ付きの急行型列車で、シートも身体にフィットしやすいバケットシートになっていた。1両あたり15人という、いささか寂しい状態で発車する。

 すぐに東北本線と分かれ、登り坂やトンネルと向かい合うことになる。トンネルを出ると、一面に雪を被った水田が出現するが、切り株の頭がちょこちょこのぞく程度の積雪になっている。左手には、頂上に雪を頂く岩手山が美しい。

 大更(おおぶけ)で列車交換。ここで、それまで携帯電話を使って大声を上げていたビジネスマンが下車する。車内を回っていた車掌が、下車間際ではあったが、ビジネスマン氏に対してきちんと注意していたのは良し。案内放送では誰も彼も「ご遠慮下さい」と言うのではあるが、放送だけで画一的に流しても効果がほとんどないことを苦々しく思っているのだが、車掌がこのように注意するというのは、その権限上難しいことなのであろうか。

 ここから、うねうねと曲がりながら、谷間へと分け入るように走り、平地が開けると、今度は田畑の中を走る。これを繰り返すこととなる。以前、花輪線に乗り通したときは、逆方向に進んだこともあって、ひたすら坂を下りていく路線、というイメージがあったのだが、今度はだいぶん印象が違う。一回乗っただけであれこれ語ってはいかん、と思う。

 ギリギリと登り続け、松尾八幡平に到着。ここで上り列車と交換する。赤紫色といってよいのかどうか、独特の色調の屋根を持った駅舎が健在であった。

 登りが続くが、ときどきは下り坂になる。そのたびにエンジン音のトーンが変わるのが楽しい。窓の外は雪景色、その光景は目の中にのみ冷気を浮かべさせる。ただ、原始林の中を突き進み続けた北海道の鉄道などとは大きく異なり、人工的なものは絶えない。安比高原あたりなど、スキーその他のリゾート関連産業に地元経済が全面的に依存しているのがよくわかる光景が続く。それに、雪の表情自体も、北海道とはずいぶんと違うようで、水分が多いのか、もっこりと丸みを帯びた形で積もっている。

 ホームの雪が、心なしか高くなってきた。無人駅では、車掌がこまめに下車客から切符を集札しているが、見ていると実に忙しそうである。JR北海道などとはずいぶん違う。

 まとまった集落が見えてくると、荒屋新町に到着。歴とした有人駅で、改札口が扉の内側にあるという、北海道の家屋を連想させる駅舎であった。

 田山で、いろんな看板が壁面を飾る妙な建物を発見。正体のわからないものというのはなにがしか気にかかるもので、気に掛けさせるのが看板の役目なのだろうが、正体不明のままでは、その役目を果たしたとはいえなかろう。

 東北自動車道が並行するが、自動車は一台も走っていない。別に大雪が降っているというわけでもないのだが、いったいどうしたことか。通行量がかなり多い道路だと思うのだが、なにぶん私自身は東北道を走ったことなど一度もないので、もともとこの区間はガラガラなのかも知れない。

 しばらくうとうとし、鹿角花輪で目を覚ます。日本有数の大銅山のあった尾去沢という地名の方が通りがよい鹿角市の中心駅である。ここでかなりの乗客が入れ替わる。屋根のある車庫があるなど、かなりの規模の駅である。集落そのものはさほど大きいという印象はない。

 12時1分、十和田南に到着。ここで列車の向きが入れ替わり、また列車交換があるので、しばらく停車する。集落の名は毛馬内(けまない)といい、十和田湖や大湯温泉への玄関口である。いったん改札外に出ると、12月4日以降、別の会社に業務委託した旨の掲示があった。もっとも、駅員の制服はJR東日本と同じものであり、ただ胸のプレートが違っているだけ。実際には、旅行業務を行わなくなっただけで、「みどりの窓口」の営業はこれまでどおり行う模様である。

 ここから西へと向かう。米代川がずっと沿って流れるようになる。これ以降は、あまり急な坂は出てこなくなり、比較的沿線の人口も多いようである。ただ、集落がある割には、駅はずいぶんと寂しいものが多く、土深井、沢尻など、無人駅はずいぶんと素っ気ないものである。そんな駅でも、1人、2人と、駅ごとに乗降がある。

 大滝温泉から、じいさまばあさまが、かなりまとまって乗ってくる。駅の左手は林となっており、枝に積もった雪が、どさどさっ、と落ちる。大滝温泉駅自体が無人とは思えないけれど、この駅を発車した後、2人の車掌は切符の発行に大忙しである。

 次第に人家が密集するようになり、東大館に到着。大館市の中心部に近い駅であるが、交換設備は撤去されていた。以前、大館駅からこの駅まで歩き、道に迷って難儀したことを思い出す。

 大館の街を右側に巻き込むように築堤を上がり、いったん奥羽本線をオーバークロスしてから、これに合流し、終着の大館には12時46分、定刻に到着した。

 ここから乗り継ぐ列車の発車には1時間ほど時間があるので、改札口を出て、旅客営業を廃止した小坂精錬線の大館駅に行ってみる。貨物鉄道としては今なお現役で、駅舎やホームそのものはほとんど手つかずで残されていた。しかし、この駅自体が、JR大館駅と大館市街との間に大きく横たわっていることもあるのだろう、この駅のすぐ脇を横切る形で踏切を作り、道路を通す工事が行われていた。道路が開通すれば人の流れも変わるだろうし、そうなればこの駅舎も「名残」を長く留めることもなかろう。どことなく安っぽい駅舎を見ながら、小坂までゆらゆらと列車に揺られた日のことを回想した。

 大館13時52分発の青森行き普通列車は、やはりロングシートのワンマン2両編成の電車であった。後ろの車両に乗り込む。だいたい15人ぐらいが乗っている。

 淡々と走り、長い国境のトンネルを走る。ロングシートになると、車窓が印象に残りにくいのはなぜだろうか。

 碇ヶ関に停車。比較的大きい駅に見えるが、実際にはワンマン扱いであある。以前、長時間停車中に途中下車したことがあったが、そのときは簡易委託であった。ばしゃばしゃっと、落ちた雪が地面に跳ね返る音がする。

 さらに進むと、大鰐温泉。この駅は、弘南鉄道大鰐線と通路を共用している。JRは「大鰐温泉」、弘南は「大鰐」と、まったくの同一駅なのに駅名が違うのは、JRのみが駅名を変更し、弘南はそのままになっているためである。いつのことかははっきり覚えていないけれど、そう古い話ではなかったと思う。弘南鉄道のホームには、旧・東急のステンレス電車が止まっており、その脇には、凸型の電気機関車が控えていた。さらに、おそらくは現役を引退したと見られる、やはり旧・東急の相当に古い電車もいた。

 大鰐温泉を出、川に沿って北上していく。弘南鉄道のコンクリート高架橋が、高々と上を乗り越えていく。下はただの水田で、築堤でないのが不思議だが、この路線が開通したのは1952年と比較的新しいことを考えれば、建設当時の食糧難から、水田を極力残すような要請があったものと推測される。

 ここからは、水田がひたすら左右に広がる。岩木山が北西側に見えてくるが、上のほうは雪をかぶっており、その全容を見ることはかなわない。

 弘前には、14時35分に到着。立派な駅ビルのある大きな駅舎だが、もう何度も乗り降りしているうえ、行きにもここを通っているので、ああまたここに来たな、という程度の感慨しかない。

 この先乗るのは、五所川原、深浦を経て東能代へ至る五能線である。しかし、この先の接続が悪く、次の列車は16時52分発となる。

 さらに、この列車に乗っても、深浦着が19時7分。ここで19時36分発の列車に接続し、東能代到着は21時17分となってしまう。外が見える区間はほとんどないことになってしまう。

 しかし、五能線は、本州のローカル線の中では屈指の路線であり、ぜひとも明るいうちに乗りたい。とりあえず五所川原あたりまで行くという手もあるが、弘前方面から東能代方面へと乗り継げるのは、1日にわずか3本なのである。週末であれば、「リゾートしらかみ」という列車があるが、今日も明日も残念ながら平日である。

 そんなわけで、今日は弘前に泊まることにする。以前も泊まったことのある弘前市内のユースホステルに、ホームからPHSで予約を入れる。明日は、弘前発10時1分で間に合うので、非常に気楽である。昨晩はずいぶんと変則的な睡眠をとったことだし、ここで体調を回復しておくのがよいだろう。

 宿が決まったとはいえ、時間があり余っていることに変わりはない。弘前城や武家屋敷といったところは以前にも見たので、ここから出ている弘南鉄道弘南線に、久々に乗ってみようかと思う。以前に乗ったのは1993年で、当時は川部-黒石間の弘南鉄道黒石線が走っていた。このとき、川部-黒石-弘前と乗ったのだが、その後黒石線が廃止になったため、終着駅の黒石駅が未乗降のままとなっているのである。あまり心地よいものではないので、何にも用事はないけれど、黒石まで往復することにする。

 JRと同様、ロングシート車でワンマンカーなのだが、こちらの方がずっと土臭さがあるのはなぜなのだろう。バラスト(枕木の下に敷かれている砂利)が薄いのか、どうもよく揺れる。地元の人間でないと聞き取れそうにない会話が飛び交う。

 黒石という街は、駅前に温泉街が広がっているものと思いこんでいたが、実際には何と言うこともない地方都市で、それもあまり活気というものが感じられなかった。通りを歩いても、すれ違うのは高校生かじいさんばあさんばかりで、働いている年齢層の人や子供が全然見当たらないのである。郵便局を探しても見当たらなかったのが残念だが、ひとまずは訪問に満足できたので、それはそれでよし。

 宿泊したユースホステルでは、同宿者と夜遅くまで盛り上がることになった。その中でも、明日は津軽鉄道の「ストーブ列車」に乗りに行く、という女性がいた。「ストーブ列車」とは、五所川原から分岐している津軽鉄道が冬季に走らせている客車列車のことで、もともとは暖房設備を備えていない車両だったために、座席の一部を取り外してダルマストーブを置く、というものだったが、いつの間にか観光資源と化してしまったというシロモノである。彼女は、弘前10時1分発の列車に乗るそうなので、何のことはない、私と同じ列車というわけだ。彼女の方が少し早めに出るということなので、明日、車内にて会うことを約した後、寝室へと移動する。疲れていたのか、すぐにぐっすりと寝てしまった。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
21st函館252→青森523202(急行・はまなす)
22nd青森541→野辺地6091002M(特急・はつかり2号)
23rd野辺地625→好摩836562M
24th好摩1021→大館12461929D
25th大館1352→弘前1435651M
乗降駅一覧
(函館、)好摩[NEW]、十和田南、大館、弘前<、黒石>
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
好摩郵便局

2000年2月1日

ご意見、ご感想などは、脇坂 健までお願いいたします。
Copyright ©1999-2007 Wakisaka Ken. All Rights Reserved.