第15日(2000年1月12日)

松田-沼津-富士-甲府-八王子-新横浜-小田原-三島-新富士-静岡-豊橋

 今日から、いよいよ西へと向かう。これまでは東日本編であったが、これからは西日本編に突入するわけである。もっとも、今日は富士山の周りをぐるっと回るというルートなので、少なくとも今日に関するかぎりは、どこをどうとっても「西日本」などではない。それでも、これまで乗ってきた路線は大半がJR北海道とJR東日本であったが、これからはJR東海・JR西日本・JR九州が主体となることを考えれば、この日が分岐点になることは確かだろう。

 そんな今日の起点は、御殿場線の松田駅である。

 5時30分に起き、最寄り駅の厚木から、小田急線の下り電車に乗る。7人掛けの各シートに1人が座るかどうか、という程度の乗車率である。

 新松田で降り、小田急の改札通路の向かいにある松田駅の連絡改札に、件の乗車券を提示する。「下車印捺しますか?」と聞いてくるが、昨日すでに捺されているので、いいえけっこうです、と応える。裏口から入るような感じではあるが、列車の接続ではこの便がちょうどよく、表口まで回っていては列車が出てしまうのだ。

 松田6時37分発の電車は、真新しい313系ツーマンの2連で、各ボックス1~2人程度の入りである。上り坂を軽やかに駆けあがる。左下に酒匂川、そして住宅がグイグイと下がっていく。

 一面一線の東山北で、かなりの下車がある。意外な感じもする。

 山北では、「車掌がホームで切符を回収します」のアナウンス。早朝は無人ということらしい。御殿場線の小田急直通特急「あさぎり」がJR線内では急行だったときには、この山北も停車駅だったのだが、現在は通過駅となっている。ここで上りと交換、あちらも4連だが立ち客もかなりいる。こちらが着くと向こうはすぐに発車する。駅の左手には小さな公園があり、SLが鎮座していた。以前、ここには自家用車で立ち寄ったことがある。ここから一気に「山越え」となり、トンネルを二つくぐる。

 蛇行する川を渡り、またトンネル。谷峨(やが)は、河原脇の土手上の駅であった。ここで気がつくが、人の乗降に関係なく、すべてのドアを開閉している。この時期は寒いし、乗降の時だけボタンで乗客が開閉する半自動でよいと思うのだが。

 ひたすら川に沿った登り勾配が続く。蒸機の時代には相当に苦労したであろうことが、容易に想像できる。向こう側にバラバラと人家が見える。

 崖の脇にある駿河小山からは、高校生が大挙して乗り込む。構内も割と広く、川との間に工場がある。川沿いには畑が広がる。登り勾配はなお続く。

 足柄で113系4連と交換。おなじみの「湘南型電車」である。むこうは各ボックス3人は乗っているが、当方はそれよりはまだまだ空いている。

 さらに上っていくように感じるが、急に左右の視界が開け、畑がずらりと並ぶ。さらに、家が建て込んでくる。大きい道路が上を渡ると、御殿場に到着。大きな橋上駅舎を備える、御殿場線内では最大の駅である。若干の下車客もいるが、かなりの乗車があり、全席が一気に埋まる。ドア口に高校生が溜まり、なかなか乗れない。

 一気に通勤通学電車としての顔を見せ始めた電車は、ゆっくりと走り出す。人家が多い割には、木立がなかなか途切れないのが不思議だ。

 次の南御殿場でも高校生がかなり乗り、車内は見事に満員となる。次の藤岡で交換、ここでも乗ってくる。混雑ぶりは相当なものであり、毎朝こんな状況なのか、と思う。

 岩波で少し降りるが、やはりそれ以上の乗車。女子高生が、対向列車の若い車掌を値踏みしている。ここで113系4連と交換。今度は、向こうのほうが空いている。少し眠くなってくる。

 裾野では、高校生がかなり降りるが、またもそれ以上に乗ってくる。やはりドア口に固まり、なかなか発車できない。

 下土狩でも交換。全線が単線であるせいか、主な駅で軒並み列車交換しているような印象を受ける。それにしても、女子高生のスカートの丈がずいぶん短い。これまで北日本などの雪国を回ってきたからそう思うだけだろうか。

 御殿場線は、丹那トンネル開通前は「東海道本線」であったという歴史的経緯もあり、複線用の用地や橋脚がくっきり残る。特に、沼津側では線路脇に多くの空き地が残っている。

 大岡で高校生がどっと下車し、車内は若干余裕が出る。片面のみのホームは高校生でぎっしりとなるが、それでも、ドア付近だけでなくシート脇にも人がびっしりである。

 沼津着8時2分。時間帯を考えれば当然だが、特に御殿場以西では、ずいぶん窮屈な電車であった。

 満員電車から押し出されるようにしてホームに降りると、風が冷たく心地よい。見上げた空は、どんよりと曇っている。ここからは、しばらく東海道本線で西へと向かうことになる。

 沼津8時6分発の電車は、通勤客をそれなりに乗せていた。左手に貨物駅を見ながら進む。

 原は、蔵をかたどった駅舎を備えていた。ここでかなりの下車客があり、空席が出る。東田子ノ浦のホームは、駅舎よりも少し低いところにあり、階段を五段ほどのぼって改札口へ出る格好になっている。

 吉原駅には、お目に掛かる機会がめっきり減った貨車が何両も停まっていた。茶色が大半だが、中には青色のものも混じっている。乗降ともそこそこあり、下車客の大半は、ここで接続している岳南鉄道の乗り換え口へと移動していった。乗り場には、オレンジ色に塗装された井ノ頭線改造車が停まっていたが、大学教養時代に毎日乗っていた電車がここで使われていると、どうにも不思議な感じがする。このあたり、民家や田畑もそれなりにあるものの、基本的にはひたすら工場が続く。

 富士8時25分着。富士市の中心地は、岳南鉄道の本吉原付近であり、ここは交通の要衝としての役割が濃い。

 富士で、身延線の列車に乗り換え、甲府へと進むことになる。この身延線の前身は富士身延鉄道という私鉄で、戦前から電化されており長距離の電車運転が行われていた。路線距離の割に駅の数が多く、また市街地を縫うように走り余剰の土地が少ないあたり、「私鉄」らしさを濃く残している路線である。天気が良ければ富士山が綺麗に見えるのだが、この天気では期待できそうにない。

 富士8時37分発の身延行き電車は、313系ワンマン2連。もう8時半というのに、なぜか高校生が多い。集団遅刻ということもないだろうし、学期初めは授業開始時刻が遅いのだろうか。各ボックスに2人程度の乗り。

 発車後、すぐに東海道線と別れ、右へと急カーブ。高架上の単線を走り、すぐに市街地の真ん中の交換可能駅に到着。柚木である。ワンマン扱いであった。

 駅間距離は短く、ちょっと走ると、また次の竪堀。ここで高校生の大半が下車する。それにしても、手ぶらの高校生が多いのはなぜか。ここで各ボックス1人程度になる。

 工場から立ちのぼる煙が、右手にたくさん見える。富士市が製紙を中心とした化学工業都市であることを実感する。さらに右へとカーブする。

 入山瀬から、次第に上り坂となる。民家や工場の間を、右へ左へとカーブを重ねる。次の藤江は、製紙工場の裏手にあるような島式ホームの駅で、ここもワンマン扱いである。

 富士宮で大半の乗客が下車する。ここで交換、留置線が広がる。浅間神社の鳥居前町だが、それ以上に大石寺への最寄り駅として名高い。以前はここまで大量の参詣団体列車が入っていたというが、現在は広い構内を持て余しているようだ。この富士宮までが複線区間で、ここからは単線となる。

 西富士宮では、ホーム反対側に単行ワンマン電車が待機していた。この西富士宮までが都市間連絡区間であり、この先は純然たるローカル線となる。いわばジャンクションにあたる駅である。

 正面に山が迫り、このまま進むとレールがウンとのけぞってしまうかのような錯覚に陥る。それを避けるかのように、列車は左へとカーブを描く。山の斜面を登る。左手に富士宮市街が一望できる。沿線の人家も一気に減り、林の中、雑草をかき分けるように進んでいく。

 沼久保を出ると杉並木が連なる。左手には富士川が寄り添う。

 柴川では、構内踏切が健在であった。駅前に、ごちゃごちゃと民家が密集している。川に河原、そして杉、カーブ、これが続く。山の中へと分け入っていくような感じがする。

 十島で、311系ワンマンと交換する。このあたりの駅は、ずっとワンマン扱いの駅が続くが、乗降ともないという駅がずいぶん多い。堰があり、右手に水力発電所がある。川の蛇行も激しい。

 内船(うつぶな)で車内の半分以上の客が下車する。甲斐大島の手前で、富士川の河原は巨大となり、水より河原石の方が目につくようになる。

 身延9時44分着。日蓮宗総本山身延山久遠寺の門前町である。

 時刻表によれば、身延からの列車は、10時21分発となっている。したがって、単純に考えれば、37分の待ち合わせということになるのだが、これまで乗ってきた電車は、行き先表示を「甲府」と出し、そのままホームにとどまっている。つまり、「富士→身延」と「身延→甲府」という二つの列車として扱われている(列車番号が違う、など)のだが、実質的には同一の列車なのである。勝手を知っている人は座っているままで降りないので、側面の行き先表示が「ワンマン 甲府」となっているのを確認し、リュックを置いた状態でちょっと外に出る。

 駅前は、和風の白壁調で統一されている。観光客向けに整備されているのであろう。あまり遠くまで足を運ぶことはできないが、郵便局に立ち寄る程度の時間はあった。大河内郵便局の局員氏は、「ご苦労さまです、お気をつけて」と声をかけてくれた。

 ホームに戻ると、上り特急列車「ふじかわ」2連が到着する。それと入れ違うように発車する。

 塩ノ沢駅には、駅の左手(ホームと反対側)にパトカーがとまっていた。ポツポツと雨が落ちてくる。車窓は田畑が主だが、荒れ地となっているところも多い。幅の広い谷に田園ができているというところか。身延以南と異なり、ずいぶんと視界が広がる。

 波高島(はだかじま)では保線車両が停まっており、ここで何人か乗る。ワンマン方式に慣れていない人が焦って乗り込み、「バスの要領なんだね」という声も聞こえる。ここから、ずっと川が沿う。

 沿線有数の観光駅である下部温泉駅は、さすがに有人駅であった。駅近くにある大きな「下部ホテル」では、松にコモが巻かれている。結構乗り込むが、下車客も多いので差し引き変化はなし。

 谷がしだいに狭くなり、藁を直方体に編み上げた上に樽を載せた妙なオブジェが見え始めると、鰍沢口駅に到着、ここで富士行きと交換する。集落から上へ浮かび上がるような高みに位置する島式ホームである。ここからは列車本数が多くなるが、単線であることには変わりない。

 右へとカーブをしながら坂を登っていく。すでに甲府盆地に入り、視界が広くなる。川の水面が高い。

 派手な駅舎とゆったりした構内をもつ市川大門は現在も無人だが、乗降ともかなりの人数にのぼる。芦川でも数人が乗車。乗っても扉を閉めない人が多い。

 交換可能な甲斐上野で、二人が下車する。幅狭の島式ホームであり、構内踏切で本屋へ出入りする。市川大門のように拠点駅として大きな構内をもつ駅をのぞけば、おおむね元私鉄という雰囲気を残しているところが多い。

 左手に大きい工場が見え、左にカーブし、笛吹川を渡る。もはや完全に甲府盆地の中に入っている。団地や同一規格の分譲住宅の中を走り抜けていく。

 有人駅の東花輪で交換する。それなりの乗車がある。三角形を基調とした屋根を持つ駅舎が好感を持てる。側線も広がっており、かつてはかなりの規模だったのだろう。

 ごく小さなコンクリート駅舎、やはりごく狭小な島式ホームという常永で、思いがけぬ大量乗車があり、ここから立ち客が出る。国母(こくぼ)でもやはりまとまった人数が乗車。甲斐住吉からは家がずっと連なり、高層マンションも出現する。

 南甲府の駅舎は、電車側から見ると白く塗られていた。塗り替えが行われたのかどうかは定かでない。やはり特急停車駅で、かなりの人数が乗る。左に広がる側線。富士身延鉄道の本社社屋を兼ねていた駅舎は、その大きな図体を持て余しているようだ。

 左へと急カーブし、曲がっているホームに停車すると、善光寺。甲府市の郊外であり、かなりの乗客がここで降りる。曲がった築堤上に停車して窓外を見るのもどことなく面白い。

 狭いホームと駅舎の金手(かねんて)で乗車があるが、もちろん中央線側にはホームはない。八高線のところで触れたような、本線側には駅がなくローカル線側に駅がある、という例である。

 甲府11時29分着。切り欠け式ホームに入線する。甲府駅はJR東日本が管理しているが、この乗り場は身延線電車専用なので、JR東海の駅設備になれてきた目には、ちょっと違和感がある。

 甲府からは、中央線の上りに乗り換える。関東圏から富士、甲府を経て、また関東圏に戻るという、いったい何をやっているのかさっぱりわからない行程であるが、意味を見いだせない営為を敢えて為すのが「最長片道切符の旅」なのである。

 甲府では、うっかり小淵沢行き電車の中に荷物を置いてしまい、発車2分前になってやっとあたふたと持ち出す。危ないところであった。万一逆方向へ行ってしまうと、洒落にならない状態になる。今日は、身延線をのぞけば幹線ばかりという行程だし、中央線には特急電車も走っているから、夜遅くなっても構わないのならばどうにでも取り返しはつくが、冷や汗をかく。

 正しい電車は、横須賀線カラー(通称「スカ色」)113系6連の高尾行きで、各ボックスに1人程度。甲府を11時41分に出発した。

 高架上を快走する。甲府盆地ということで、沿線にはブドウ畑が多い。積雪対策であろう、屋根を外されてホネだけとなっているビニルハウスが並ぶ。

 次の酒折で、いきなりかなりの下車客がある。身延線からくると、いちいち駅のスケールが大きいのに驚く。万事大げさともいえようか。

 石和温泉駅には、駅前に「サティ」を中軸としたショッピングセンターが整備されていた。ここでかなり乗る。温泉ホテルもあるが、ごく普通の地方都市に見える。左手の山は、ラクダのコブのように見える。根本から大きく分かれる枝を持つ樹木の畑が多い。甲斐特産のモモであろう。

 川を渡ると、山梨市。駅本屋と反対側に、日本カーボンの工場がそびえる。

 東山梨駅周辺には大規模な団地があるが、駅自体は静かな無人駅である。下り特急が駆け抜けていった。待ち時間なしのすれ違いから、あらためてめて「複線」を実感する。このあたりから、緩いながらも上り坂に差し掛かる。

 塩山では「大菩薩峠・西(東)沢渓谷下車駅」の標柱があった。二面三線から成る橋上駅舎を持っている。ここを出ると、線路はじわじわと右へ曲がっていき、右手に甲府盆地が一望できる。すこし靄がかかってはいるが、良い眺めだ。もうもうと煙が立っているのは何だろうか。

 トンネルを二つ抜ける。勝沼ぶどう郷駅は、ずいぶんと地平より高いところにある駅だが、観光客を呼び寄せようという魂胆があまりにもみえみえの駅名であり、個人的にはどうにも好きになれないのだが、きれい事ばかり言っていても致しかたないのだろうか。

 長大な大日影トンネルを超えると、甲州街道が沿う。窓の外には靄が覆う。

 山の落ち込んだ中に設けられたような甲斐大和駅には、「武田家終えんの地」とある。織田信忠に追われた武田勝頼一党が自刃した天目山がほど近い。ここで、雪がばしゃばしゃと降ってくる。

 非常に長いトンネルを越え、島式ホームの笹子に到着。有名であったスイッチバックはもう使われておらず、レールは剥がされている。駅は集落の端に位置している。まだ山梨県内ではあるが、これで分水嶺を越えたことになる。

 川に沿って、というより谷に沿って、家が並び、線路は一段高いところを走る。ボーっとしている間に、川も集落も左側へと動く。初狩は、左へと急カーブを描く駅で、傾斜もかなり急。こちらのスイッチバックは、現在も使われているようだ。

 谷の幅が次第に広がり、家は断続的に続く。河岸段丘の上の方では畑になっているが、段丘崖が目視ではっきりわかるほど明瞭なものではない。勾配をかなりの勢いで下る。

 富士急行線の接続駅である大月で、かなりの下車がある。接続放送に流れる「富士急行線 特急」に、一瞬えっ、と思う。富士急行が有料特急の運転を始めたことを思い出すまで、少しの時間を必要とした。これまでも、長野電鉄や富山地方鉄道は有料特急を運転しているが、基本的に地方ローカル私鉄の有料特急は珍しいのである。駅弁の立ち売りがおり、キャスター付きのカゴを押していた。

 四方津で特急の通過待ちをする。雪ともミゾレともつかぬものが流れてくる。

 上野原には自動改札が入っている。かなり乗客は多く、傘を差している人もずいぶん目立つ。

 藤野の先のトンネルも長く、かつ、急な下り坂である。トンネルを出ると、すぐに相模湖駅で、さらにトンネルをいくつかくぐる。そのうちの一つが長い。やはりかなりの下り。このあたりだけ、中央本線は神奈川県をちょっとかすめる。

 ぐんぐんと下っていく。周囲は雑木林の間に畑が見える。ミゾレが強い風に乗って横殴りに吹く。

 トンネルを出て人家が並んでくると、すでに「山を抜けたな」という気になってくる。

 高尾13時14分着。ここからは、ロングシートの通勤電車区間に戻る。

 高尾駅では、雪がショボショボと降っており、非常に寒い。

 ここで接続しているのは、高尾13時15分発の特別快速である。中央線の快速電車など、これまで何回乗ったか数えきれるものではなく、飽き飽きしているのだが、致し方ない。発車メロディはJR東日本標準音であった。

 沖電気の工場を過ぎると同時に、びっしりと人家がひしめく。平凡な住宅のみが目に留まる。

 西八王子でかなりの乗車があり、席のほとんどが埋まる。駅そのものは対向式ホームの橋上駅舎と、面白みもない。

 八王子13時22分着。横浜線や八高線をも分ける、非常に大きな駅である。

 八王子からは、横浜線に乗って新横浜へ行く。八王子では、勝手はわかっているつもりだったのだが、乗り換えに意外と時間がかかる。3分あれば充分と踏んでいたのだが、エスカレータが工事中であり、人の流れが滞っていたこともあり、乗り換えてみるとギリギリであった。

 八王子13時27分発の横浜線電車は、ロングシートに五人程度の乗車率であった。発車後、右へカーブし、京王高尾線の高架をくぐる。特に右側に新しい住宅が多い。

 新しい駅である八王子みなみ野は、右側がコンクリ壁、左側が開発途上用地と農地。スタイルとしては橋上駅舎と呼べようか。ショベルカーが何基もあり、開発がこれからであることを物語る。

 相原周辺はさほど変わっていない模様だが、下車客はすいぶん多い。この駅を最寄り駅とする大学があるためだろうか。

 相模線および京王相模原線の乗り換え駅である橋本周辺では、大規模な建築工事がさかんに行われていた。発車すると、ほどなく京王相模原線の高架の下をくぐる。左に大きな車庫があり、かなりの編成が止まっている。工場の間をゴロゴロと進む。

 左手に米軍キャンプ、右手に高層住宅という風景になると、相模原。雪の粒が心なしか大きくなったような気がする。ショッピング街やマンションがびっしりと並ぶ。左手には鉄条網がいつまでも途切れない。これまた見慣れた風景なのではあるが、違和感を抱くほうが本来は自然なのだろう。

 矢部は島式ホームの橋上駅舎。駅入り口の「矢部駅」の文字(書体)がユニークである。

 次の淵野辺は、もともと造兵廠が置かれ、戦後は米軍基地となった関係上であろう、多くの側線跡があるが、今では使い道もないのか、草むしていた。ここでかなり乗ってくる。

 古淵は、浅めの切り通しの中にある駅で、対向ホーム。切り通しを出ると境川に沿い、団地が続く。

 ビル群の中に入り、小田急線をアンダークロスし、町田へ到着。横浜線の中間駅では文句なしに最大規模であり、ここで乗客の半分以上が入れ替わる。降りた客のほうが多く、立ち客はほとんど居なくなる。ここで2分停車する。外気が吹き込んで非常に寒い。もともと私は相模大野に住んでいたこともあり、町田は今でもごく日常的に訪れる街だが、小田急線沿線住民にとっては、横浜線の地平ホームから見る眺めは目新しく感じる。歩き慣れた繁華街を裏から見ているようで、面白い。

 この先、起伏はあるものの、住宅を雑木林と農地がはさむのみで、車窓は平凡でつまらなくなる。横浜市内に入ると、やはり横浜へのベッドタウンという雰囲気が強くなっていく。

 新横浜駅14時15分着。駅ホームは工事中であった。

 新横浜ではいったん改札を出て、ここから新幹線に乗り換える。なぜわざわざ新幹線を使うのかというと、横浜-小田原を、別線扱いとされる新幹線ルートを含めることで二回通ることができるからである。

 ここから乗るのは、新横浜14時27分発の新幹線である。新横浜発車時、座席はほぼすべて埋まっているものの、立ち客はほとんどないという入り。車内の音もモーターのうなり音のみという状態のため、自分が高速で移動しているという実感もなく、どうにも感覚が鈍る。

 ほどなく東名高速と並行して走る。右へゆるかなカーブ。トンネル・切り通しが続く。丘に貼り付くような住宅が見える。パチパチという雪音が、窓に視線を移させる。またトンネルを三つ通過。走れど走れど人家が見えるのは、トーキョーという化け物のなせるせいか。そのうち荒れ地や雑木林が増えてくる。切り通しの区間が長く眺望は良くない。畑地が中心となっていく。

 新幹線新駅設置への動きがある相模線をオーバークロスし、相模川を通過すると、左にもくもくと白煙を出す煙突がある。平地になると、人家と水田が広がる。整然と区画された中を斜めに切っていく。人家が密集し始め、小さな川を渡る。左手前方に小高い山が見える。

 再びトンネルと切り通しとの繰り返し。今度は右手の丘陵に人家がびっしり。さらにトンネル。雪か雨かは判然としないが、やむ気配はなさそうである。陰鬱とした表情の空だが、車内は煌々たる蛍光灯が、まるで現実を映像のように実感のないものとしている。

 小田原14時45分着。ホームに降りると、キュッとからだが締まったような気がした。

 小田原14時50分発の東海道線熱海行き列車は、ロングシート車であった。時間帯を考えれば空いているかと思ったのだが、意外にもほぼすべての席が埋まる。

 雨はさほど強くないようだが、霞がかってしまい、浜辺の松林がなんとか見える程度である。東海道線の中でもこの付近は景色が非常に佳く、在来線で昼間に通過するときは必ず窓の外に目をやるものだが、これではどうしようもない。空の色と海の色とが近接しているような印象を受ける。

 無人駅の根府川で、数人下車。一度下車したことがあるが、東海道本線という大幹線の中で、忘れ去られているような静かな駅、という印象がある。

 窓の外、貼り付くように狭い地域に人家が集中すると、真鶴。シュロの樹が植わっている。とにかく坂だらけの街に見える。

 湯河原になると、土地それ自体はずいぶんと広くなる。駅前は街の中でもかなり高いところにあり、さらに駅は本屋の上に位置するために眺望はよいはずなのだが、何も見えやしない。

 熱海15時13分着。真鶴や湯河原を凌駕する、著名な温泉町である。また、丹那トンネルへの入り口にもあたる。

 熱海では、わざわざ地下道を通って乗り換えなければならない。熱海以東がJR東日本、以西がJR東海という会社別の区切りもあるのだろうが、非常に不便だ。接続時間が2分と短いこともあって、多数の乗客がドドッと走る。

 熱海15時15分発の電車は、3扉ロングシートであった。左側に、伊東線の来宮駅を見つつ直進すると、すぐに丹那トンネルに入る。

 長大なトンネルを抜けると、さまざまな保安車輌などがある函南に到着する。駅よりも低いところに、駅本屋がある。駅舎も良さげだし、一度降りてみたい、と思う。発車後、左手の凹地に集落が見られる。

 ほどなく、三島に到着する。この列車とは、三島で別れる。

 三島からは、再び東海道新幹線に乗る。今朝、在来線の沼津-富士に乗車しているので、複乗を避けるために新幹線の三島-新富士-静岡というルートを使うわけである。結局、富士山のまわりをぐるりと一周したことになる。

 三島15時37分発のこだま号は、新横浜-小田原と違ってガラガラであった。ダイヤの繁閑の差のために、前の便に乗客が偏ったのであろう。窓の外には、ひたすら茶畑が連なる。雨が屋根にパンパンと当たる。新幹線随一の好景ともいえる富士山も、今日はまったく見えない。

 新富士は、工場地帯のド真ん中であった。意外にも、そこそこの人が降りる。在来線の駅がないため、やむなく新幹線を使う人であろうか。トンネルを抜けると、住宅と小工場とが混在するようになる。

 静岡16時着。典型的な新幹線ターミナル駅である。

 再び在来線にもどり、静岡16時6分発の電車に乗り込む。113系の3両編成は満員であったが、前に3両を増結し、計6両となる。増結分になんとか座席を確保する。進行方向は右側窓側。山はすっかり雲を被っている。全席が埋まり、立つ人もかなりいる。

 雨の中、ビールを飲みつつ、ボーっとする。あとは豊橋までまっすぐゆらゆらと揺られて行くだけだし、酔いも回ってきたせいか、いろいろつまらんことを考える。家に帰るころになって大地震でも起きて帰れなくなったらどないしよ、などと、縁起でもないことを思ったりする。

 窓の外には工場が連なる。車掌が、駅に停車するごとに「停車時間が短くなっております」を繰り返す。何を基準に「短くなって」いるのか、この放送だけでは何のことだかよくわからない。ダイヤ改正によって実際に停車時間が短縮されたのかも知れないが、静岡近辺を通るたびにこのアナウンスを耳にするような気もする。

 焼津で高校生たちが相当乗車。新幹線とクロスする。西焼津付近で、今度はメールの確認をするが、特に何も入っていないようだ。

 雨のせいで水が濁った大井川を渡る。その幅の広さに、今さらながらに驚く。川を渡ってすぐの駅である金谷では、SL列車で有名な大井川鉄道の駅が見える。ホームには、南海デラックスズームカーのペイント車輌が見えた。ここでも高校生がかなり降りる。そろそろ空が暗くなってきたので、MDを聴く。

 掛川で半分以上降りる。このあたりから、しばらくうとうとし、検札で目覚める。

 磐田あたりから、もう建物の輪郭がわかる程度になる。天竜川を渡るころには、すでに各ボックスに一人状態となり、浜松到着時は真っ暗となっていた。まだまだ日が短い。

 下車客を上まわる乗客はいるが、それでも1ボックスに2人程度である。静岡発車時の混雑が嘘のようだ。

 何も見えなくなった浜名湖畔を走り、豊橋駅に17時56分到着。「最長片道切符」のルートでは、ここから飯田線に乗り換えることになるが、今日はここまでにしたい。

 駅のスタンドで軽く食べてから、駅前のビジネスホテルへ足を運ぶ。侘びしいが部屋だけは広いというシングルルームで、だらんと足を延ばす。

 最初の身延線や中央線はともかく、そのあとはひたすら変化に乏しい路線であったために、どうにもしまりのつかない後半戦突入と相成ったが、明日はいきなり大物の飯田線と中央西線が待っている。楽しみだ。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
109th松田654→沼津8022525M
110th沼津806→富士825325M
111st富士837→甲府11293531G→3735G
112nd甲府1141→高尾1314540M
113rd高尾1315→八王子13221340H(中央特快)
114th八王子1327→新横浜14151332K
115th新横浜1427→小田原1445423A
(新幹線・こだま423号)
116th小田原1450→熱海15133761M
117th熱海1515→三島1528455M
118th三島1537→静岡1600467A
(新幹線・こだま467号)
119th静岡1606→豊橋1756949M
乗降駅一覧
(松田、)身延[NEW]、新横浜[NEW]、豊橋
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
大河内郵便局(貯金のみ)

2001年9月21日
2007年2月20日、修正

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