第20日(2000年1月17日)

鵜沼-富山-鯖江

 ユースホステルを6時35分に出る。まだまだ外は寒いだろうと覚悟しつつ、コートの襟元を合わせて玄関から出ると、意外にもけっこう暖かい。しかし外はまだまだ暗く、急な下り階段を降りるのがなかなかに怖い。なにせ、足許がまったく見えないのだ。おっかなびっくり、慎重に降りていく。階段を降りきって舗装道路に出たころには、すっかり汗ばんでいた。犬山橋を渡ったあたりで空が白んでくる。向かってくる車のヘッドライトがまぶしい。

 鵜沼駅の改札で例の切符を提示すると、

「下車印か?」

「いえ、昨日降りてるんで」

「ふーん…何かわからん…」

このあと何か言うが、方言であれこれ話されても、こちらこそよくわからん、である。

 鵜沼駅から乗るのは、キハ43系の2連ワンマンである。車端部に人がたまってはいるものの、まだまだ隙間がある程度の入りである。右手には、木曽川がとうとうと流れる。

 無人の坂祝(さかほぎ)で交換する。ブレザー姿の女子高生がわらわらと乗ってくる。この時点で、車内には普段着のおっさん、おばさんが多い。だんだん人口が希薄な地帯へと突っ込んでいくせいだろう、通勤客らしき人はほとんどいない。

 左へと引き込み線が伸びる。砂利の山が積まれていたから、セメント工場だろうか。室温が高いせいか、窓が蒸気で曇る。

 左から長良川鉄道のレールが寄り添ってくると、美濃太田に到着。美濃加茂市の中心駅であり、さすがにここでは下車客が非常に多く、立ち客が一気に消える。かわりに高校生が三々五々乗ってくる。広くて白い橋上駅舎だ。以前下車したときは、和風で瓦を大儀そうに載せた平屋の駅舎だったのだが、ここもよくあるパターンの機能的なものに置き換わっている。旅客に対するインタフェースは、つい数年のうちに大きく変わるものだと、改めて思う。

 平地を進むが、徐々にゆるい上り坂へとさしかかっていく。水の供給地に比べて高いところを進んでいるのだろうか、周囲には水田より畑が多い。古井では、いったんドアが閉まるが、高校生が息せき切って走ってくるのを見て、再びドアが開く。短いトンネルを抜けると、木々に囲まれた風景が広がり、これを抜けると再び田園風景が広がる。

 中川辺は、しっかりした駅舎に屋根付きのホームであったが無人。駅ごとに乗客があるが、それ以上に多い下車客がいるので、車内はどんどんすいていく。このあたりでは、車内は全員高校生となる。

 下麻生で、上り列車と交換する。駅近くの工場らしき建物から、白煙がもうもうと上がっている。洗濯屋か何かであろうか。交換相手はキハ47系の3連であった。

 上麻生付近では、あちこちに茶畑が見える。気候が温暖なのだろうし、実際今朝は暖かいのだが、車内はもはや暖かいを通り越して暑い。ダウンジャケットは当然脱いでいるのだが、それでも暑いのでシャツの前をはだける。トンネルを越えると畑が途切れ、松を中心とした山林ばかりになる。

 白川口でかなりの客が下車する。特に2両目から、男子高校生がうじゃうじゃと降りていく。交換はしないが、しばらくの間停車する。ここで各ボックス1~2人という状態になるので、前の席に足を投げ出して座る。いままで曇っていた窓が一気に晴れてくる。

 杉やマツに囲まれながら川に沿って走り、しばしば川を渡る。川には大岩が転がっており、霧が山の斜面にぷかぷかと浮かんでいる。

 木材加工工場が多く目立つようになると、今度は川に丸い石が転がっている。あれれ、と思うと、すぐに水力発電所にさしかかる。これによって川の表情が変わるのだな、と納得。

 下油井では、特急「ひだ」と交換する。しっかりした駅舎を持つ無人駅で、乗降ともゼロであった。ここからは、川にはゴロゴロした石の固まりが転がっているようになる。

 飛騨金山で3分停車。ここでの交換はないが、有人駅で、駅スタンプが設置されていた。途中下車印の請求はせずに、改札外へいったん出て体をほぐす。水田や畑が線路と川との間に挟まるようになる。

 行き違いのために信号場でしばらく停車するが、この運転士はこの停車に関するアナウンスを一切しない。しかし、車内の乗客はすでにわかりきっているのか、これまた特に不審に思う様子もない。

 杉と竹に囲まれた中を進み、しだいに川が線路のすぐ真下に迫るようになる。右は断崖絶壁だ。

 焼石駅からは、真っ赤な「中原大橋」が対岸へとかかっている。いかにも「田舎の駅」然とした小ぶリの木造駅舎が暖かげだ。駅近くにある公園には、弥生時代の物見櫓を再現したような妙な建物があった。

 再び水力発電所があり、川に転がるゴロゴロ石が目にはいる。岩を食む流れに緩急の差が大きく、見ていて飽きない。川には、高さ3メートル近い石もある。このあたりで分水嶺を越えたのかどうか、下り坂を進んでいく。

 右側に川、そして旅館が建ち並ぶようになると、下呂。この付近では最大の温泉地であり、駅構内もかなり大きい。もっともこの列車は、観光客とは無縁のローカル列車なのであるが。

 平地が開けると、「中呂発電所」が目に入り、また自動車教習所がある。ほどなく禅昌寺に到着する。これまでの駅にはほとんど交換設備があったのだが、ここはどうやら1面1線のようだ。真新しいコンクリート製の駅舎だが、当然のように無人駅である。坂をさらに上り、集落は広い範囲で散らばっている。

 飛騨荻原は、スタンプのある有人駅。ここでは停車時間は短く、すぐに発車する。しばらくモスグリーンのバスと併走するが、あちらの方が速く、しだいに差が広がっていく。もっとも当方は、急ぎたいならお先へどうぞ、という心境となっている。

 無人駅の上呂で、特急「ひだ」との行き違いのために6分停車する。この時間を利用して、駅舎の写真を撮る。下呂と対照的な駅名だが、駅前の光景はまったく対照的ではなく、静かなものである。

 切り出した木材が大量に積まれているのを見ながら、飛騨小坂へ。保線係員がいるが、ここもワンマン扱いだ。下車客はけっこう多い。赤スレート帯の横長駅舎の駅長室には、人がいるように見えるのだが。

 渚駅の駅舎は簡素な新しいものだが、駅舎のデザインはなかなか斬新なものだった。このあたりから、木々の尾根に雪が載るようになり、あちこちに雪が散らばるようになる。地面もうっすらと白い。かなり標高が高くなってきたのだろう。

 2面3線の久々野も駅舎には係員がいるが、ワンマン扱いとなっている。ここにもスタンプが設置されていた。またまた特急「ひだ」と交換するが、ずいぶんと特急列車の比率が高い路線である。ここでは下車しない。

 家々の屋根もうっすらと白くなり、田んぼのあぜ道も雪に覆われるようになる。とくに除雪も必要なさそうな程度だが、山々はかなりの雪になっているのだろう。長いトンネルを抜けると、積雪は一気に増え、高山盆地に入る。

 高山10時8分着。飛騨地方随一の都市である。

 高山10時20分発の列車は、キハ120系2連ツーマン運転。JR西日本の車両で、車両の前面と後面とでカラーリングが異なっている。1両にボックスを4つ備えたセミクロスシート車である。高山本線は、岐阜県と富山県との県境にある猪谷駅を境として、同駅以南がJR東海、以北がJR西日本となっているため、高山本線の北側では、JR西日本の車両が使われることが多い。

 JR東海の車両よりも軽やかなアイドリング音を響かせながら、北へ向かって進む。DD51やキハ58系などが車庫に納まっていた。高山市内には積雪はほとんど見られない。駅を出てもなお下り坂が続き、もろもろの工場の間を縫って進んでいく。各ボックスに2~3人程度の乗りとなっており、ロングシート部分には3分の1程度が座り、立ち客はなしという乗車率である。工場が消えると、窓の外には樹木畑が続くようになる。

 蔵を模した駅舎を持つ飛騨古川で一気に降りる。もはや積雪は皆無であり、雪のかけらもない。

 飛騨細江で3人が下車する。小なりといえども堂々たる駅舎が待つ。保安の係員がおり、運転士はここでブラインドをおろす。谷が迫り、どんどん暗くなっていく。ここが県境付近であることを、改めて思い出させる。

 ここから、北へと流れていく川が平行する。神通川だろうか。谷がV字状になり、トンネルへ入る。

 トンネルを抜けると、あとは下り坂が続く。右側に伝う神通川はまことにきれいで、四大公害のひとつ「イタイイタイ病」の発祥地とは思えない。

 角川は、正面に神社の鳥居、狛犬、しめ縄があり、ホームから5メートル程度で境内である。駅と神社との境界がはっきりしていないのがおもしろい。

 次の坂上は、何らかの公共施設と駅舎を共用しているようだ。ログハウス風のやや分不相応に立派な駅舎である。ここで4人下車。このあたりから、線路は比較的川に忠実にカーブを描いていく。崩れた崖の岩肌がハッキリ見えたりする。道路工事の現場には、「富山空港直結道路全面改良」の文字が見える。

 杉原は、ホームより一段高いところに駅舎がある。「飛騨最北」の文字が見える。

 会社の境界線であり、神岡鉄道との乗換駅でもある猪谷でいったん改札外へ出て、トイレへ行く。ここまで乗ってきた列車にはトイレがないのである。改札の目の前に郵便局があるが、5分停車なので今回の訪問は断念する。列車の写真を撮る人が妙に多い。ここからJR西日本エリアに戻る。

 猪谷からはワンマン運転となり、またドアは半自動扉扱いとなる。左手斜面に段々畑が連なる。

 楡原は、ずいぶんとくたびれた地下道、そしてこれまたずいぶんとくたびれた待合室がある。駅の近くには高層のビルが建っている。役場か何かであろう。ローカル駅に地下道という組み合わせそのものも十分に珍しいのだが、高層ビルとのミスマッチはずいぶんと激しい。

 どんどん下り坂を降りていくうち、次第に谷の幅が広がり、水田も開けてくる。神通川を渡り農家が増えてくると、笹津。跨線橋の脇に「ささづ」とあり、駅舎に通じているが、ワンマン扱い。高山ではよく晴れていたが、富山県内にはいると黒い雲が西の空を覆う。再び神通川を渡ると、広い河原に白い石が転がる。もはやV字谷の面影はない。

 東八尾は1面1線、土手の上の何の変哲もない駅である。ここから右へとカーブし、どんどん下り、井田川を渡る。有人駅の越中八尾は、2面3線の古典的な駅舎。ここでかなりの乗車があり、特に高校生が多い。駅舎は白黒調だが土台は朱色に塗られており、しかも跨線橋(自由通路)は武家屋敷の通廊風というデザインが人目をひく。しかし、シンボルの元ネタがわからない。由緒ある神社でもあるのだろうか。

 このあたりから、車窓は田畑と住宅のみとなり、ごく平凡な田園地帯が広がる。富山平野は散村集落が典型的に見られる地域でもあり、農家はぽつぽつと散在している。

 千里ではDE10重連の石油輸送車と交換する。輸送車には「神岡鉱業」や「三井物産」の名も見える。駅自体は工場脇の無人駅だが、ちゃんと駅舎があった。

 ふたたび井田川を渡る。集落は意外と分散せず、まとまっている。生け垣をきちんと整備している家がちらほらと目にはいる。民家の軒先をかすめ、有人の速星に到着。木造横長の典型的な駅舎とともに何本もの側線があり、硫酸アンモニアや希硫酸の専用車が待機していた。高校生が下車するものの、おじさんおばさんの乗車も多い。ここでキハ120上り単行と交換する。日産化学の工場が駅の脇にある。

 みたび井田川を渡る。宅地造成が進んでおり、完全に富山市の郊外といった趣になる。西富山は無人で、一応交換可能駅だが、駅本屋側しか使用していないようで、対向ホームのレールは錆び付いていた。ワンマンミラーなどは設置されているので「休眠中」といったところか。構内踏切があるが、この様子では使われることはなさそうだ。

 右へとカーブし、最後にもう一度神通川を渡る。西側から富山駅に入り、12時9分着。

 富山12時11分発の北陸線列車には、走って何とか間に合うことができた。富山駅では何度も乗り降りしていたからできたことではある。モハ474のセミクロス車で、2扉3連。各ボックスに1人程度と、時間帯相応の乗り具合といえようか。

 ここから先は、のんびりといろいろな駅で乗降していけばいい。特に、富山-高岡はかなりの本数が走っているので、この区間でちまちまと乗り降りしようと考える。まずは、次の呉羽で降りることにする。

 呉羽駅では、

「どこに捺そうか…うーんすごい」

という、もはや見慣れた反応がまず返ってくるが、続いて

「あ、そのカメラ、私がもっているのと同じですけれど、これ重いんですよね。もうカビだらけだけど」

という続きがあった。

 呉羽で乗り降りした客の大半は、やはり高校生であった。郵便局をあちこち探すが、どうにも見あたらない。駅からほど近いところに「富山市民芸術創造センター」があり、構内が公園として整備されているが、人の気配がまったくしない。寂しいことこのうえなく、ハコモノ行政施設が使われていない典型例かもしれない。

 乗車時にはまた別の駅員が、

 「うっわー、すごいね…これ上から下まで全部まわっとんの……全部捺してったら、いい記念になるね……いっそのこと、別の用紙作って、それに捺すようにすればよかったのにね」

もちろん冗談なのだろうが、スタンプ帳じゃないんだから、と内心思う。

 呉羽12時59分発の列車は、寝台特急用583系改造を先頭とした5連であった。ほぼ全ボックスが埋まっている。周囲にはひたすら水田が広がる。雲の切れ端から太陽が顔をのぞかせる。住宅はほぼ例外なく樹木に囲まれているようだ。また、化学や薬品の工場が右に左に入れ替わり現れ、ここが“クスリの富山”であることを実感する。

 しばらく走ると、左手に水田、右手に住宅という図式になる。そのうち左手にも住宅が現れる。人家が密集してくると、小杉。下車客はかなりいるが、乗ってくる客も多く、車内は高校生、買い物帰りと思われるおばさん、ネクタイを締めたビジネスマンなどが混在する。高山本線のローカル列車とは客層が大きく違う。

 越中大門からはかなりの女子高生が乗り込むが、なぜかこの車両にはほとんど乗ってこない。古びた駅舎は相変わらずである。ここを出ると、左にカーブしつつ高架となり、幅の広い庄川を渡る。川沿いには新しい分譲住宅が多い。

 高架から下り、左に車両がいくらか見えてくると、高岡に到着する。旧国鉄色のキハ58なども停まっている。やはり相当多くの客が降りるが、乗る客もほぼ同じなので、車内の状況は似たようなものだ。旧貨物ホームは駐車場になっていた。

 発車するとすぐ高架になる。高層の建物がほとんどないので、視線は自然と家々に踊るいらかに向く。やや暗めの、しかし照りの良い色が目につく。住宅は続くが、次の西高岡まではかなりの距離があり、駅がないのが不思議だ。

 田園地帯に入り、右にカーブ。西高岡は相対式ホームを備えており、跨線橋で駅舎へと向かう構造。ここで上り特急とすれ違う。

 しだいに雲が厚くなり、空、特に南の空を覆う雲の量が多いため、太陽は出たり入ったりする。かなたの山々は雲に覆われ、全貌は明らかでない。

 福岡13時22分着。ここでいったん下車する。よく「福岡県は何県/何線の駅か」といった鉄道クイズのネタに使われる駅である。

 福岡では、下車印を探すのに手間取る。係員が胸につけていたプレートを見ると、業務委託のようである。そこそこ時間があるので、郵便局まで往復する。住宅地の真ん中をただ歩くだけであった。

 福岡13時58分発の列車は、3連セミクロス車。やはり半自動扉で、1ボックスに3人程度の乗車率である。福岡発車直後に検札がくるが、「捺すところありませんから捺しませんね」と返される。確かに、まともには捺しようがない状態になっている。

 右へ左へとゆるいカーブを重ねながら、少しずつ高度を上げていく。車内なのにマフラーや手袋をしている女の子が目立つが、暑くないのだろうか。こちらがちまちまと外を歩いてきたから寒いと思わないだけかもしれないが。

 石動は、改札口にラッチが並ぶ、国鉄型の典型的な駅舎。高校生がバラバラと降りていく。

 目の前に丘陵が立ちはだかる。突き抜けるように山へと分け入り、ぬらぬらと曲がりながらトンネルに入る。かなり長い。車内はおばちゃんたちの会話で賑やかなものである。

 トンネルを出ると、起伏のなだらかな丘を進み、島式ホームの倶利伽藍に到着する。源平合戦で有名な倶利伽羅峠を知らなければ、まず読めない駅名だろう。現在では使われなくなった旧ホームが見えるが、草に埋もれて朽ちかけていた。付近には人気がまるで感じられないが、木造の小振りな駅舎の脇には自動車がかなり多く止まっており、見えないところにそれなりの数の人家があるものと思われる。

 再び上りにはいり、かなり高い築堤上から下を見下ろす格好になる。そのうち平地が開け、左右に水田が広がり、住宅が多くなってくる。右から七尾線のレールが寄り添ってくると、津幡に到着。ここでぽろぽろと下車する。尻から伝わってくる暖房がずいぶん強く、暑い。

 ここからは完全に平地となり、まっすぐに突っ走る。森本も2面3線の駅であった。北陸自動車道の下をくぐる。しばし、左には建設中の北陸新幹線の高架線が並行する。

 東金沢駅の北側には、草ぼうぼうの更地が広がる。旧貨物駅の跡か何かだろうか。発車後すぐ、右手に特急電車の一群、ついで交直両用の普通列車がいっぱい止まっている。

 この地域の要衝といえる金沢ではまとまった時間停車するので、ここで未使用のままになることがほぼ確実な「青春18きっぷ」を払い戻すことにする。金沢駅の改札は下車口と乗車口とを分離していた。下車時には若い係員が「(下車印は)ここでいいですか?」と、比較的あっさり返したものだが、乗車時には「はぁー、すごいな…、7万ン千円…はぁー、ここに捺しとくね」という反応であった。各ボックス2~3人程度になる。

 犀川を渡ると、工場が続く。北陸鉄道との連絡駅である東金沢を通過する。貨物ホームの跡地は、民間会社の倉庫となっていた。

 松任には「市立中川一政記念館」の立て看板が見える。それにしてもおばさんパワーはすごく、車内で元気な声があちこちあがる。水田が広がる中に人家という、かなりステレオタイプ的な風景が広がる。

 松任の次の美川では、駅前に滑り台やブランコ、砂場などのある公園。しかし子どもの姿はなく、駅前駐車場の自家用車のみが見える。駅舎は鉄筋コンクリート造りの真新しいもので、改札などの様子はまったくわからなかった。

 左にカーブし、畑が増えてくる。小駅を通過する。民家がひしめいて線路に沿うが、これらは畑をつぶしたものと思われる。真新しい分譲住宅も多く、まだ家の建っていない更地も目に付く。

 再び水田地帯となる。通過した駅前の倉庫に「加賀 山いも」と大書してある。白山だろうか、左側のはるか遠い山に雪の姿が見える。梯川を渡ると再び畑が中心となる。どうも畑の近くにある家は貧相に見えるのだが、気のせいだろうか。

 小松駅の北側では、北陸新幹線の工事がたけなわであった。にょきにょきと建造中の橋脚が伸びており、あたかもタケノコのようだ。駅舎は仮駅舎で営業している模様である。エントツを屋根上に突き出した古典的な灯台のような工場が駅前にある。乗り込むおばはんたちの声は、野良での呼び声のような元気なものだ。

 さらに畑が続くが、人家の集積度は下がり、一方で工場が増えてくる。平行に走る国道、ドライブインやコンビニ、ガソリンスタンドなどが並ぶ。

 粟津では、無蓋貨車が3-4両停まっているが、いずれも赤錆びていた。地下道を通っていく形式の駅で、駅舎は木造であり。白を基調とした、やさしい感じの雰囲気の駅。貨物ホーム跡にはフォークリフトがいた。側線はずいぶんと広い。

 停車時間の長い加賀温泉で、いったん下車する。花壇にはハボタンがきれいに並んでいた。もっとも、構内踏切が健在だったと思われるころの通路に沿って作られているので、本屋側ホームの車両からしか見えない。駅そのものは2面4線の高架駅となっている。みやげもの屋で試食品をつまむ。今度は大阪弁のおっちゃんが賑やかになる。

 大聖寺駅の左手は工場となっており、ここで高校生がまとまって下車する。水田が尽きると、杉の林や竹林の中を進む。

 牛ノ谷は笹藪の中の駅で、幹線ではもはやすっかり珍しくなった構内踏切を渡るタイプであった。無人だが駅舎はある。林と林の合間に水田がある。

 細木は島式ホームだが、駅舎にはそれなりの風情があり、周囲にはかなりの人家がある。また、いろいろな会社の看板が立っており、工場が多いことをうかがわせる。

 芦原温泉は乗降とも意外と少ない。多くは特急に移ったのだろうし、駅の近くにはさほど大きな集落があるわけでもないから、これが普通列車では自然なのだろう。すぐに川を渡る。左にレンゴーの工場が見える。左前方の雪を上からかぶった山が遠目にも美しい。近場が平凡な眺めだけに、よけいにそう感じる。

 丸岡15時44分着。ここでいったん降りる。丸岡駅は丸岡町ではなく坂井町の中心部に近く、「丸岡駅」の近くに「坂井町役場」があった。

 丸岡からは、各ボックスに1人程度の乗りとなる。3両編成であった。

 春江で高校生が一斉に下車する。もとは京福電鉄との分岐駅であり、駅左側の空きスペースのごく一部に、コンクリート基盤が残っている。左側に工場、右側に水田という風景が続く。

 森田では、降りる以上に乗ってくる。もともと空いているのでどうということもないが。

 九頭竜川を渡ると、人家や住宅がずっと連なっていく。京福線がオーバークロスする。

 京福の駅を左に見つつ、福井駅に到着。スタンプ帳とメモ帳を置いていったん改札外に出、コンコースを一回り。地平の駅であり、大きな変化はないようだ。立ち食いそばを食べて戻ると、座っていた女子高生がそのメモ帳を読んでいた。どうするつもりだったのだろうか。

 発車後、各ボックスに1から2人程度の入り。すぐに川を渡る。左右に大きく留置線が広がる。左には旅客、右に貨物ホームという南福井貨物駅を過ぎると、ほどなく越美北線との分岐駅、越前花堂に到着する。越美北線のほうはみごとにローカル線然としているが、北陸線側はコンクリートの駅舎をもつ有人駅。両ホームはつながってはいるが、旅客の数や設備など、その格差は歴然としている。

 すでに太陽は西の彼方へと沈みかかっている。オジサンオバサンもけっこう乗っているが、実際には高校生の通学列車といえる。大土呂を出ると、ちょっとした丘が迫ってくる。北陸自動車道と併走し、右手にはうねる雲の列が見える。

 北鯖江は、駅の北側に工場があるが、駐車場には車がびっしりと停まっているのに、北側には出口がない。南側に人気がなく寂れた駅舎があるのみ。再び車窓は水田に戻る。

 鯖江16時53分着。まだ早いが、今日はここで休むことにする。

 駅前のビジネスホテルに泊まる。

 地元のテレビニュースでは、京福電鉄の新車両を中継で紹介していた。同社電鉄鉄道部長が、車両という言葉を使わずにさかんに「くるま」と話していたのが印象的であった。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
151st鵜沼720→高山1008703C→1713C
152nd高山1020→富山1209825D
153rd富山1211→呉羽1216438M
154th呉羽1259→福岡1322440M
155th福岡1358→丸岡1544548M→5548M
156th丸岡1618→鯖江1653350M
乗降駅一覧
(鵜沼、)飛騨金山[NEW]、上呂[NEW]、高山、呉羽[NEW]、福岡[NEW]、金沢、加賀温泉[NEW]、丸岡[NEW]、福井、鯖江[NEW]
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
福岡郵便局、坂井郵便局

2003年3月4日
2007年2月22日、修正

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