第31日(2000年1月29日)

肥前山口-諫早-早岐-肥前山口

 いよいよ、「最長片道切符の旅」最終日である。本来ならば気がたってきて早く目が覚めるものなのだろうが、長い間の粗食のせいか、なかなか身体が動かなくなってきた。おまけに、何だか寒い。気温そのものが低いこともあるのだろうけれど、風邪を引いたかな、と思う。

 肥前山口からは、長崎本線で海沿いに諫早へ行き、ここで大村線を北上して早岐(はいき)に達し、最後は佐世保線を東進してこの肥前山口に戻るという、時計回りのルートとなっている。肥前山口→早岐→諫早→肥前山口というルートでもいっこうにかまわないのだけれど、今回は時計回りにした。「今回は」と書いたけれど、もちろん、次があるという保証などない。

 シルバーメタリックに凹凸を施すという派手な外観の列車が、これから諫早まで厄介になるものだ。定刻の6時2分に発車する。先頭車に乗り込むと、若い女性が1人、黙々と弁当を食べていた。

 外はまだ真っ暗である。無人駅に停車するたびに、高校生が1人ずつ、2人ずつといったぐあいに乗り込んでくる。

 朱塗りの柱を持つ肥前鹿島には、愛知の豊川、京都の伏見と並ぶ三大稲荷の1つ、祐徳稲荷神社の案内板が立っている。参拝客を意識した駅になっているものと推測されるが、列車の中からでは駅舎を見ることはできなかった。

 肥前浜で、門司港行きの上り電車と行き違いを行う。肥前山口以西は単線になっているのだ。向こうは旧国鉄型4連だが、オールロング化されている。ロングシートで門司港まで行くのはしんどいだろうと思うが、この列車で終点まで乗り通す人はいないだろう。

 多良でも、上り列車と交換する。私が乗っているのと同じ車両だが、1両に数人が乗っている。当方の2両目は、私1人だけで、車内が寒い。そういえば、駅舎を確認していない肥前鹿島を除けば、ここまですべての駅が無人である。もっとも、早朝のみ無人なのかもしれないが。

 左手の海岸に、シュロの樹がたくさん植わっているのが見えてくる。まだまだ外は暗いが、物の輪郭がシルエットでぼうっとわかる程度にはなる。

 肥前大浦で、はじめてこの車両にも人が乗ってくる。肥前大浦を出ると、若い車掌が検札に回ってきた。

「切符を拝見します」

「はい」

「はぁー、稚内から片道ですか…」

 2枚目の経由別紙を、きちんと見ている。いったん肥前山口を通っていることを何か聞くかと思ったが、特に何もない。最後に「ありがとうございます」。

 左手には、明かりに海が照らし出され、波が窓の下にゆっさゆっさと立つ。ぼうっと浮き上がっているのは、島原半島だろうか。

 小長井で高校生が大量に乗り込み、車内は一気に賑やかになる。本当に海に近い駅だ。平行する道路に、赤いテールランプが流れる。この先、湯江、小江と、似たような名前の駅に停まるごとに、高校生を拾い上げていく。外が明るくなるとともに、車内の乗客の息によるのだろう、ガラス窓が曇ってくる。

 いつしか海が離れ、人家が増えてくると、築堤上の東諌早に停車する。ここで、車内を大きく占拠していた高校生の半数以上が降りる。駅の近くに学校があったが、ここに向かうのだろうか。交換のために4分停車。駅そのものはシンプルなものである。

 7時17分、諫早に到着する。長崎本線、大村線、島原鉄道線が集まる、交通の要衝である。

 諫早では、いったん改札外に出る。例の切符を示すと、改札氏は

「経由が切符に書いてない」

などと、ブツブツ1人でなにやら言っている。終始仏頂面で、特に難癖を付けられるわけではなかったけれど、あまり感じがよろしくない。

 ここから乗る大村線の列車は、7時37分発の快速「シーサイドライナー」2連である。外観は急行型のディーゼルカーだが、中に入ると、特急用のフリーストップ型リクライニングシートがずらりと並んでいる。足置きこそないが、何の追加料金を払うこともなく、グリーン車並みの設備を利用できる。今回の旅で最後となるディーゼルカーだが、JR九州のローカル線に乗ると、こういった列車に出会えることが多くてうれしい。

 農耕地と住宅地が続いていく。諫早から大村にかけては人口が多く、民家が途切れることがない。

 諫早から2つ目の大村で、乗っていた高校生がほとんど降りてしまうと、立ち客さえあった車内は閑散としてしまう。私が乗っている2両目には、全部で20人程度の入りとなる。

 住宅地の真ん中にある竹松で、さらに多くの乗客が降りていく。堂々とした木造白塗りの大仰な駅舎は、一度ゆっくりと見てみたいものだ。出札口には、駅員が直立不動で立っている。駅の脇にある畑にはうっすらと霜が降りている。

 ほどなく海が見えるようになると、列車は海岸線に忠実に沿って走り、うねうねと身体を揺らす。漁師が小舟でタモを繰り、魚を狙うカモメが、そのまわりを飛んでいる。ほんとうに穏やかな海は、「静けさ」というこういうものだ、と語っているようだ。

 彼杵は、山陰本線の萩駅を小ぶりにしたような木造駅舎で、網目状のガラス窓が目を引く。ここで何人か乗ってくる。嬉野温泉方面へのJRバス乗換駅という案内がある。

 しばし畑の中を進むが、トンネルを抜けると、再び海が見える。左手の遠方に、灯台のある岬がぼーっと望まれる。しかし近づいてみると、実際には灯台ではなく、白い煙を上げる工場の煙突であった。波は穏やかだが、場所によっては、岩がごろごろしている。

 川棚で交換のため、3分停車。けっこう乗客の入れ替わりがあり、完全に「地元の足」として定着しているようだ。この駅もそうだが、大村線には味のある駅舎が多い。

 再び海沿いを進む。少しの間だけ南に進む区間があり、このため朝日が左側から当たる。しかし、複雑な海岸線を描くリアス式海岸に完全につき合っていてはキリがないから、列車はときどきトンネルでショートカットする。

 のどかな風景が続く中、どうにも違和感に満ちあふれた高層建造物群が突然出現すると、ハウステンボスに到着する。大規模テーマパークの玄関口で、ここで降りるのは観光客だろう。若い女性が多い。

 早岐には、8時32分に到着した。

 早岐の改札口で、例の切符を出すと、

「うわー…、下車印? どこに捺そうか…。えーと九州は…あ、ここでいい?」

という反応が返ってきた。ここでも、「肥前山口環状線一周」への言及はない。特に手慣れていると言った雰囲気でもなかったが。

 郵便局に足を運んでから、あらためて早岐の駅を見ると、実に堂々としたいい駅舎だ。軍港である佐世保や大村、あるいはそれらの間に点在する各種の施設を結ぶ要衝だったこともあり、往年は単なる接続駅にとどまらない、重要な役割を担っていたことを語っている。

 ここから乗る佐世保線の列車は、早岐を定刻の9時20分に発車した。左へと佐世保方面行きのレールが分かれる。この列車は佐世保から早岐経由で鳥栖にいたるのだが、佐世保から乗ってくると、早岐で進行方向が変わる。ところが、シートの向きを変えない人が意外と多く、後ろ向きの乗客が、1両に12人程度乗るという構図になっている。

 左右は丘陵地帯となっており、その間に造成された水田や畑に囲まれて列車が進んでいく。佐世保線では、地形の変化がさほどあるわけではなく、個々の町にそれなりの特徴があるため、何とか車窓のバリエーションを維持している観がある路線である。

 三川内は比較的新しい、社務所のようなデザインの駅舎である。交換可能だが、当然のように無人。近くには大きなゴルフ場があるが、利用者と関係ありそうな客は見当たらない。

 淡々と田畑の中を進む。雲はさほど多くなく、ほどよい天気だ。窯の煙突が見えてくると、焼き物の町として全国にその名を知らしめている、有田に到着する。ここで乗客が入れ替わる。対面ホームに「MR-302」なる、松浦鉄道の最新型レールバスが待っていた。有田駅は、松浦鉄道の接続駅でもある。

 次の上有田には、「有田陶器市下車駅」の看板がかかっている。白壁をベースにした、なかなか美しそうな木造駅舎だが、白壁には落書きが目立つ。ここにも窯がいくつか見える。

 「みまさか」という駅名標が目にはいる。あれっ、と思うと「三間坂」であった。兵庫県で育ったせいか、ミマサカという音を聞くと「美作」がすぐに出てくる。重厚な瓦屋根を持つ、どっしりした木造駅舎を構えている。ずいぶんと古めかしいものだが、なかなかいい感じの有人駅である。青いホーロー板の駅名標が、駅の壁に掛かっていた。

 これが「最長片道」最後の列車か、という気がしてくる。すると、これまで乗ってきた列車の1つ1つが、急に思い出される。人間は、いまわの際に、短い時間に過去のあれこれを急に回想するようになるというけれど、これも似たようなものかもしれない。

 永尾は、ホームこそ新設駅のような細いものながら、風格のある木造駅舎を擁している。なぜか玄関の部分が切り欠けになっており、駅舎が五角形になっている。

 電車は、たったった、たったった、と、適度な速さで進む。しかし、どことなくゆったりした感じに思える。これが「最長片道」最後の列車ということもあり、もう時間がどうなってもかまわない。

 「JRバス嬉野温泉行きは、12時15分発です」という鉄道並みの乗り換え案内放送があり、武雄温泉に到着する。ホームでも同様の放送を流している。おばさんが降り、高校生や、旅行客と思われる海外の女性が乗ってくる。この若い外国人女性は、私が高校時代に使っていた、黄色で大きいウォークマンを持ち、ヘッドフォンを耳にあてていた。

 人名のような名前の、高橋で下り列車と交換する。ここでも高校生が乗ってくる。形ばかりの待合室があるのみの、シンプルな無人駅だ。大村線や佐世保線には味のある駅舎が多い中で、ずいぶんと寂しい。貨物ホームの跡地が見えるものの、コンクリートのホームが残るのみである。このあたりは水路が縦横に流れており、水田が広がっている。

 次の北方にも、白塗りの横に長い立派な駅舎があった。板張りの木造で、ここもまたなかなかの年期ものと見受けられる。駅員は出ていないが事務室に人の姿があったので、委託駅なのだろう。早岐を小さくしたような駅舎に見える。

 いよいよ、「最長片道切符」の終点である、2度目の肥前山口に到着する。

 「最長片道切符」が有効な区間は、ここまでである。規則では、使い終わった切符は、係員に引き渡さなければいけないことになっているが、さすがにこの切符はぜひとも記念に永久保存しなければならない。

 改札口で出迎えていたのは、昨日とは違う駅員であった。あの無愛想な駅員に対して「融通をきかせてくれ」といった頼み事をするのは、どうにも気が進まないので、ひとまずほっとする。

 ちょっと緊張しながら、切符を差し出して、手元に残したい旨を告げると、駅員氏は切符を手に取って、

「はー、稚内からですか…」

 ためつすがめつ眺めたのちに、

「それじゃ、無効印を捺しましょう」

 ちょっと驚きながらも、きちんと対応してくれた。

 最長片道切符の旅は終わった。そして、役目を終えた切符が手元に残った。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
228th肥前山口602→諫早717823M
229th諫早737→早岐8323222D(快速・シーサイドライナー2号)
230th早岐920→肥前山口10082928M
乗降駅一覧
(肥前山口、)、諫早、早岐
訪問郵便局一覧
早岐郵便局(風景印のみ)

2004年8月14日

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