相対式ホーム2面2線から成る駅で、ホーム八木方にある地下道内に改札が設けられており、線路の両側へと地下道を通って外へ出ることができます。
かつては地上駅で、現在でも線路の西側に旧駅舎が残っていますが、駅本屋としての機能はすでに持っていません。旧駅舎は明らかに橿原神宮前の駅舎を意識しており、大和棟風の鉄筋のものですが、玄関の支柱が太く安定感があります。
駅の西口は閑静な住宅地になっており、ひっそりとしています。いっぽう東口には
宮内庁によって神武天皇陵と比定されている、畝傍山東北陵への最寄り駅であることから付けられたものです。現駅名に改称されたのは天皇家の権威を政治的に高めようとされた時期でしたが、終戦後にも駅名は変更されていません。
大阪電気軌道が畝傍線の平端-橿原神宮前(現在の橿原神宮前駅とは別位置)を開通させた際に設置された駅で、当初は「畝火山」と称しましたが、1924年11月に「畝傍山」に、1937年3月には「神武御陵前」と改称しています。
開業当時の駅は現在よりも西側にありましたが、皇紀2600年を控えて橿原神宮の神域を拡大するために路線の付け替えが行われることとなり、畝傍線の八木西口以南が1939年7月26日に東側へ移転、この際に旧神武御陵前駅は「畝傍御陵前」と改称しています。
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2008年1月22日
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