田園地帯をまっすぐ進み、民家がある程度まとまってくると、線路がやや右手に揺れ、片面ホームのみの権現前に到着します。線路の屈曲から、かつては対向式で交換可能な配線を持っていたものと思われます。ホームもけっこう幅の広いしっかりしたものです。
ホーム上には、ごく簡素な待合室がありますが、上ノ庄とは異なり屋根が覆っているだけではなく、一応ちゃんとした建物になっています。待合室の左側半分は、倉庫にでもなっているのか施錠され、立ち入りできなくなっていました。
かつては駅舎があった痕跡がうかがえるほか、駅の北側には農業倉庫に面して遊休地が広がっており(「管理地」という札がありましたが、どこが管理しているかの表示はなく詳細不明)、貨物を取り扱っていた時代の名残が感じられます。駅前には製材工場があるほか、農家が集結しています。いちおう嬉野町役場の最寄り駅で、位置的には同町の中心駅といえますが、商店ひとつない農村の玄関駅というのが実のところで、実際の玄関口は近鉄の伊勢中川駅になっています。
駅名の由来
駅名は、ほど近いところにある式内須賀神社の近くに位置することに由来します。
歴史
名松線の第1期区間として、松阪からこの権現前までが1929年8月に開通しました。1930年3月に井関へ延長されるまでの1年半ほど、終着駅だったわけです。
- 【1929年8月25日】 国有鉄道(鉄道省)によって、名松線の松阪-権現前間が開通し、権現前駅開業。
- 【1930年3月30日】 権現前-井関間が開通し、中間駅となります。
- 【1963年3月31日】 この日かぎりで貨物営業廃止。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR東海の駅となります。
周辺の見どころ
確認中。