東海旅客鉄道(JR東海)は、東海道新幹線および中京地区の在来線を運営しています。極端に利用者の少ない路線や区間はさほど多くありません。
ここでは、東海エリア内における東海旅客鉄道(JR東海)の駅を記載しています。関東エリア内のJR東海各駅、近畿エリア内のJR東海各駅については、それぞれ別のページをご覧ください。
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【Link】東海旅客鉄道公式Webサイト
★1995年3月24日、飯田線・辰野にて完乗。2012年9月1日、中央本線・十二兼にて全駅乗降(その後開業した御厨駅のみ未乗降)。
いわゆる「買収私鉄」路線で、戦前に富士身延鉄道によって開業しました。この名残で、飯田線と同様、路線長に比較して駅の数がずいぶん多く、駅の規模も小さいものが多くなっています。
富士宮以南は住宅が並びますが、以前は頻繁に運転されていた創価学会団体用列車が消え、すっかり寂しくなりました。この先は急坂と急カーブが続き、富士山麓を分け入っていくのが実感できます。線名にもなっている身延が運転上のジャンクションで、この駅で長時間停車する普通列車が多くなっています。ここから北は順次人家が増えていき、甲府盆地へとゆっくり下っていきます。
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[富士]-柚木-竪堀-入山瀬-富士根-源道寺-富士宮-西富士宮-沼久保-芝川-稲子-十島-井出-寄畑-内船-甲斐大島-身延-塩之沢-波高島-下部温泉-甲斐常葉-市ノ瀬-久那土-甲斐岩間-落居-鰍沢口-市川大門-市川本町-芦川-甲斐上野-東花輪-小井川-常永-国母-甲斐住吉-南甲府-善光寺-金手-甲府
身延線と同様の「買収私鉄」ですが、こちらは距離が長く峡谷を分け入っていく区間もあるため、より変化が大きい路線になっています。
豊橋から新城あたりまでは人家が多いのですが、しだいに山へと分け入っていきます。大嵐あたりでは、人工物がほとんど何も見あたらないといった区間さえあります。天竜峡からしだいに峡谷が広がり、飯田から北は、天竜川が作り上げた河岸段丘を走っていきます。段丘を上り下りするごとに、車窓の雰囲気が変わります。
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[豊橋]-船町-下地-小坂井-牛久保-豊川-三河一宮-長山-江島-東上-野田城-新城-東新町-茶臼山-三河東郷-大海-鳥居-長篠城-本長篠-三河大野-湯谷温泉-三河槇原-柿平-三河川合-池場-東栄-出馬-上市場-浦川-早瀬-下川合-中部天竜-佐久間-相月-城西-向市場-水窪-大嵐-小和田-中井侍-伊那小沢-鶯巣-平岡-為栗-温田-田本-門島-唐笠-金野-千代-天竜峡-川路-時又-駄科-毛賀-伊那八幡-下山村-鼎-切石-飯田-桜町-伊那上郷-元善光寺-下市田-市田-下平-山吹-伊那大島-上片桐-伊那田島-高遠原-七久保-伊那本郷-飯島-田切-伊那福岡-小町屋-駒ヶ根-大田切-宮田-赤木-沢渡-下島-伊那市-伊那北-田畑-北殿-木ノ下-伊那松島-沢-羽場-伊那新町-宮木-辰野
武豊港から、鉄道資材を輸送するため、現在の東海道本線よりも早く開業した、由緒ある路線です。このため、亀崎や半田などの駅には、かなり年季の入った構造物もあり、特に半田駅の跨線橋は必見です。
ややうらぶれた工業地帯を進みますが、沿線の宅地開発も進んでいるようです。乗降客が多いのは、東浦町の中心部でショッピングセンターが近い緒川、製材加工業の多い亀崎の両駅ですが、これは名鉄河和線の駅が離れているためで、これより南側のほうが人口こそ多いものの、平行する名鉄河和線のほうが便利であるため、やや苦戦しています。
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[大府]-尾張森岡-緒川-石浜-東浦-亀崎-乙川-半田-東成岩-武豊
国鉄時代の高山本線は「岐阜-富山」で、このうち岐阜-猪谷の189.2kmをJR東海が運営しています。全線が非電化単線で、地方交通線に区分されています。国鉄時代から電化の計画があるものの、実際に工事が行われる気配はありません。下呂や高山などを沿線に抱える観光路線となっています。中京圏と富山を最短距離で結ぶルートという側面もありましたが、大規模災害による運休が長期化しており、現在では飛騨古川以北はローカル需要のみの対応となっています。
岐阜から美濃太田までは沿線人口が多く、平行する名鉄各務原線とは比較にならないものの、都市近郊区間という印象が強く、区間列車が多数設定されており太多線への直通列車も走っています。美濃太田からは飛騨川に沿って谷沿いを進み、下呂などの温泉地を通り、久々野-飛騨一ノ宮で分水嶺を越え、一大観光地である高山に向かいます。高山は運転上の拠点となっており、この駅から北側ではJR西日本の列車で運転される便があります。高山盆地を淡々と進み、再び谷が迫ると角川ですが、2004年10月にこの地方を襲った豪雨により長期運休中となっており、角川-猪谷はバスによる代行運転が行われています。
名古屋-高山・飛騨古川・富山に特急「(ワイドビュー)ひだ」が運転されています(ただし飛騨古川以北は運休中)。2001年までは名鉄新名古屋(現・名鉄名古屋)-高山に、名鉄気動車車両による特急「北アルプス」が運転され、以前は富山を経て富山地方鉄道の立山まで乗り入れるという異色の列車がありましたが、現在ではすべて「ひだ」に統一されています。
岐阜-各務ヶ原が1920年11月に開通したのを皮切りに、美濃太田、下麻生、上麻生、飛騨金山、焼石、下呂、飛騨萩原と開通し、1933年8月に飛騨小坂まで伸びました。いっぽう猪谷側からは、1932年8月に飛越線(それまでは富山-猪谷)が杉原まで延長され、1933年11月には坂上まで伸びています。最後の飛騨小坂-坂上は1934年10月25日に開通し、高山本線が全通しました。
(2007年3月6日)
[岐阜]-△長森-那加-蘇原-各務ヶ原-鵜沼-坂祝-美濃太田-◇古井-◇中川辺-◇下麻生-◇上麻生-◇白川口-◇下油井-飛騨金山-◇焼石-下呂-◇禅昌寺-飛騨萩原-上呂-飛騨宮田-飛騨小坂-渚-久々野-飛騨一ノ宮-高山-上枝-飛騨国府-◇飛騨古川-◇杉崎-◇飛騨細江-角川-◇坂上-◇打保-◇杉原-猪谷
(注)△は写真未掲載駅、◇は掲載準備中の駅です。
国鉄時代から、中央本線は塩尻以東と塩尻以西で運転系統が完全に分かれており、塩尻-名古屋は「中央西線」とも呼ばれていました。この塩尻-名古屋174.8kmは、JR東海が運営しています。このうち金山-名古屋の3.3kmは東海道本線との重複区間ですが、これは金山駅がもともと中央本線のみの駅だったところ、のちに東海道本線にも駅が設置されたという経緯によります。全線が直流電化の幹線です。中京圏と松本および長野を結ぶ都市間連絡路線という側面と、名古屋東部の大都市近郊路線という側面のふたつをあわせもっています。国鉄時代の起点は東京方面ですが、現在では名古屋から塩尻に向かう方面が「下り」として扱われています。
塩尻から中津川までは木曽谷に沿って走り、一部はなかなかに風光明媚な区間もあります。中津川からはしだいに人家が増えるようになり、高蔵寺からは完全に大都市近郊路線となります。それでも駅間距離は比較的長く、高蔵寺-名古屋の24.0kmの間にある中間駅は8つに過ぎません。中津川以東は普通列車の本数がごく限られるいっぽう、中津川以西では電車が頻繁に走っています。名古屋-長野には特急「(ワイドビュー)しなの」が運転されており、全便が篠ノ井線に乗り入れています。かつては、大阪から中央西線経由で長野との間を結ぶ夜行急行「ちくま」がありましたが、臨時列車格下げを経て姿を消しました。
名古屋側からは、1900年7月に名古屋-多治見が開通したのが最初で、中津(現・中津川)、坂下、三留野(現・南木曽)、野尻、須原、上松と順次延長され、1910年11月に木曽福島まで達しました。いっぽう塩尻側は、塩尻-奈良井が1909年12月に開通し、ついで薮原、宮ノ越と延長され、1911年5月1日に木曽福島まで開通、この日をもって中央西線が全線開通しています。また、1966年から1973年にかけて電化されています。
(2007年3月6日)
塩尻-◇洗馬-◇日出塩-◇贄川-◇木曽平沢-◇奈良井-◇薮原-◇宮ノ越-◇原野-◇木曽福島-◇上松-◇倉本-◇須原-大桑-◇野尻-◇十二兼-◇南木曽-◇田立-◇坂下-◇落合川-△中津川-◇美乃坂本-恵那-◇武並-◇釜戸-◇瑞浪-◇土岐市-多治見-古虎渓-定光寺-高蔵寺-神領-◇春日井-△勝川-◇新守山-△大曽根-△千種-◇鶴舞-金山
(注)△は写真未掲載駅、◇は掲載準備中の駅です。
その名のとおり、中央本線の多治見と、高山本線の美濃太田を結ぶ路線です。比較的沿線人口が多く、多くの列車が美濃太田から高山本線に入り、岐阜へと直通しています。多治見-広見(現・可児)が東濃鉄道によって1918年に762mm軌間で開業し、国有化後に改軌され、あわせて広見-美濃太田が開業しました。
全線非電化単線で、朝夕を除いてワンマン運転が行われています。名古屋-多治見-美濃太田には、特急用車両を用いた「ホームライナー太多」が1往復運転されています。
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[多治見]-小泉-根本-姫-下切-可児-美濃川合-[美濃太田]
(コメント準備中)
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[名古屋]-八田-春田-蟹江-永和-◇弥富-◇長島-桑名-◇朝日-富田-◇富田浜-△四日市-南四日市-河原田-河曲-加佐登-井田川-亀山
(注)△は写真未掲載駅、◇は掲載準備中の駅です。
(コメント準備中)
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[亀山]-下庄-一身田-津-阿漕-高茶屋-六軒-松阪-◇徳和-多気-◇相可-◇佐奈-◇栃原-◇川添-◇三瀬谷-◇滝原-◇阿曽-◇伊勢柏崎-◇大内山-◇梅ヶ谷-紀伊長島-◇三野瀬-◇船津-◇相賀-尾鷲-◇大曽根浦-◇九鬼-◇三木里-◇賀田-◇二木島-◇新鹿-◇波田須-◇大泊-熊野市-有井-神志山-紀伊市木-阿田和-紀伊井田-鵜殿-新宮
(注)◇は掲載準備中の駅です。
紀勢本線の松阪から一志、家城を経て伊勢奥津にいたる、43.5kmの路線です。地方交通線に分類されており、全線非電化単線です。路線名は、「松」阪から「名」張までを結ぶことを狙ったものですが、近鉄大阪線が名張へ通じたのちは、伊勢奥津から先の区間は検討されることもなくなっています。JR東海屈指の閑散路線で、国鉄末期には第2次特定地方交通線(廃止対象路線)の候補とされましたが、時代は家城以南の平行道路が未整備であるとして撤回されたという経緯があります。
松阪から一志までは、田園地帯を近鉄とほぼ平行して走ります。沿線人口はなかなか多いものの、運転本数や駅設備などで名松線では比較になりません。一志からは近鉄と分かれますが、ここからはしだいに雲出川がつくる渓谷に沿って進んでいきます。関ノ宮から家城にかけて、および伊勢八知付近が比較的人口が密集していますが、あとは駅のまわりに小集落があるのみという状態です。谷間を川沿いに進んでいく路線であるため景色はなかなかのものですが、水害が発生しやすく、台風のシーズンなどに運休となることがしばしばあります。現在でも票券閉塞式とスタフ閉塞式が用いられています。
1929年8月25日、松阪-権現前が開通したのが最初です。その後、1930年3月に井関、1931年9月に家城、1935年12月に伊勢奥津と延長されましたが、それ以上の工事は行われませんでした。なお、1930年12月20日には、参宮急行電鉄によって青山峠の東西を結ぶ路線が開通しています。
(2007年4月2日)
[松阪]-上ノ庄-権現前-伊勢八太-一志-井関-伊勢大井-伊勢川口-関ノ宮-家城-伊勢竹原-伊勢鎌倉-伊勢八知-比津-伊勢奥津
紀勢本線の多紀から分岐し、伊勢市を経て鳥羽へいたる、29.1kmの路線です。地方交通線に分類されており、全線が非電化単線です。JRの路線名は地名をもとに付けられるのが一般的ですが、参宮線は輸送の目的をもって路線名に充てるという、きわめて珍しいネーミングとなっています。戦前においては伊勢神宮への参拝は非常に重要なものであったため、あえて普通名詞が用いられたとみることも可能でしょう。
多紀では、参宮線が直進、紀勢本線新宮方面が右にカーブという、主客転倒したような形になっていますが、実際に運転本数では参宮線のほうが多く、沿線も比較的人口密度の高いところを進みます。ほぼ全線で近鉄山田線および鳥羽線が競合していますが、複線電化の近鉄とは設備の差が大きく、快速「みえ」による高速運転が行われるようになった現在でも、競争力の差は歴然としています。伊勢市、鳥羽両駅は近鉄との共同利用駅で、鳥羽は改札は別々ですが中に入ると改札内で乗り換えが可能になっています。かつては東京や京都などから直通急行列車が多数乗り入れていましたが、国鉄末期の1986年11月までにすべて廃止され、現在では優等列車の設定はありません。
参宮鉄道の手によって1893年12月31日に津-相可(現、多紀)-宮川が開業したのが最初で、1897年11月11日には山田(現、伊勢市)まで延長されました。1907年10月1日に国有化され、1911年7月21日に鳥羽まで全通しました。
(2007年4月2日)
[多気]-外城田-田丸-宮川-山田上口-伊勢市-五十鈴ヶ丘-二見浦-松下-鳥羽