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加悦SL広場訪問記(4) 旧加悦鉄道線路跡

加悦SL広場の敷地内には、SL広場内(入場料が必要なエリア内)の外側にも、いくつかの車両が展示されていました。もっとも、保存というよりも放置に近い状態で、もともと加悦というこの地域と縁が深い車両たちでもないので、もっと適切な保存場所があるのでは、と思った次第。



かつての加悦鉄道は、丹後山田駅で国鉄宮津線と接続して加悦駅までを結びましたが、このほかに、丹後山田から海側と、加悦から山側に、それぞれ専用線を敷設していました。この専用線を含めた旧線路跡は、自転車が通れる歩行者道路になっています。

私は、福知山→加悦→福知山というコースを取ったのですが、復路の福知山行路線バスの発車時刻まで時間がたっぷりあるので、この廃線跡をのんびり歩くことにしました。午前中の一時期にはかなり強い雨が降ったのですが、幸い昼頃からは雨は止みました。弁当忘れても傘忘れるな、の土地柄、天気の急変には覚悟が必要です。

基本的にはオーソドックスなアスファルト舗装になっていますが、かつて駅があった場所には、枕木とレールをかたどったペイントが施されており、また駅名標様の案内板が立てられています。これが散歩のよいアクセントとなり、どのくらい歩いたかが体感的にわかります。

基本的に、ごく緩やかな下り坂です。トイレは旧加悦駅のすぐ脇、旧水戸谷駅跡にあります。このほか、旧加悦谷高校前駅跡近くにはコンビニがあります。

終点の旧丹後山田駅跡は、かつて接続していた京都丹後鉄道(WILLER TRAINS運営)宮豊線(正式名称では宮津線の西半分)の与謝野駅(←野田川駅←丹後山田駅)の裏手にあります。現在は駐輪場が置かれているのみです。

なお、駅前に出るには与謝野駅を横断する必要がありますが、同駅は有人駅なので、構内の無札横断はできません。京都丹後鉄道の列車に乗らない、あるいは乗る場合でもすぐには乗らずに駅前を散策したい場合は、大回りになりますが、駅前後の踏切まで迂回(うかい)して移動しましょう。

与謝野駅の待合室内には「丹後山田駅資料室」があり、国鉄・JR時代に使われていたさまざまな道具が展示されており、一見の価値があります。ここは改札外なので、きっぷを買わなくても見ることができます。

今回、加悦SL広場の“状態”を現地で見て強く感じたのは、文化事業(メセナ)といえども、立地条件が悪ければ、継続的な展開が難しいという、ごく単純かつ冷徹な現実です。資産や土地を保有している企業、地元の観光資産と認識している自治体、地道な活動に取組むボランティア、これらの要素がそろっても、保守運用が困難になりつつあるわけです。鉄道系博物館自体は、大宮や京都を見るまでもなく盛況なだけに、2号機関車のような超大物を擁していても、限界が早く訪れたということになります。

そうなると、他の地方にある鉄道系博物館がどうなるかが気に掛かります。丸瀬布、陸別、三笠、大間、七戸、若柳、碓氷峠、月潟、有田川、等々。

結局は大手資本系列のみが「文化」として残るということになれば、文化史も資本主義のくびきから逃れられないのか、そんなことを、揺られるバスの中で思いながら、空模様と同じような色合いのマインドで福知山へ戻ったしだいです。

加悦SL広場訪問記(3) ~展示車両・その2~

さて、前回の更新に続きまして、今度は実際に加悦鉄道で活躍していた車両(2号機関車除く)について触れてまいります。

<写真1・4号機関車>

1922年製造。河東鉄道(現在の長野電鉄)で3号機として使用していたものを、加悦鉄道が譲受したものです。

<写真2・1261号機関車>

1923年製造。簸上鉄道(後に国有化)で使用していたものを、加悦鉄道が譲受したものです。
主役たる2号機関車の脇にあるため、いい場所にあるといえますが、逆にいささか目立ちにくくなっています。

<写真3・ハブ3>

1889年、ドイツから輸入された客車。経歴については諸説あるようですが、加悦鉄道創業時に入線した、いわば開業から廃止までを見届けた存在です。
荷物室を備えた緩急車です。

<写真4・キハユニ51>

1936年製造。芸備鉄道(後に国有化)、舟木鉄道(現在は廃止)を経て加悦鉄道に来たもので、当時は「キハ51」として(つまり、荷物車および郵便車としての機能の無い、純粋な客車として)使用されていました。キハユニとなったのは1994年に修復された際に復元されたものです。
キハ101にもある、前後の大きなバケットが印象的です。古典車両という言葉がよく似合いますが、後のキハ08やキハ10が入線するまでは、これが主役で走っていました。

<写真5・DC351ディーゼル機関車>

1956年製造。加悦鉄道無煙化(蒸気機関車全廃)後に導入されたものです。

<写真6・ハ10客車>

加悦鉄道創業時、伊賀鉄道の注文流れを譲受したとのこと。ダブルルーフにボギー台車を備え、車内は二等と三等に分かれていました。加悦鉄道内で二等と三等を分けて営業していたのかはわかりませんが。
塗装修理の途上なのでしょう、外観全体が墨をかぶったように真っ黒になっていました。

<写真7・キハ101ディーゼルカー>

1936年製造の自社発注車。貴重となった三軸車です。
片ボギー式として現存する唯一の車両で、台車がよく見えるような位置に置かれているのに感心。

<写真8・ワブ3>

1926年製造、梅鉢鐵工所製。
昔ながらの有蓋貨車ではありますが、車掌乗務用の窓が付いている点に注目。

<写真9・DB201ディーゼル機関車>

加悦鉄道自社発注車で、蒸気機関車の足回りを利用した凸型ディーゼル機関車です。森製作所製として現存する唯一の車両ですが、動態保存車両として修理復元されています。

<写真10・キハ08ディーゼルカー>
<写真11・キハ08ディーゼルカー・扉部分>

国鉄オハ62形客車をディーゼルカー改造したもので、気動車化された元国鉄客車としては貴重な1台です。切妻窓、片方にしかない乗務員扉など、いろいろなところに“楽しい違和感”を抱かせるものです。
重量のある客車に非力な足回りが重なり、余剰客車大量発生後も、後のJR北海道キハ141系のように一大勢力を形成することなく、珍車の域にとどまりました。それでも加悦鉄道では主力気動車として活躍しました。
鉄道車両史上の重要性としてみれば、他の展示車両よりも見劣りするのは事実ですが、今でいう“魔改造”の一つの成果として貴重な存在だと思います。現存する例は他にありません。
ただし、少なくとも外観はかなり腐食が進んでいるようで、保存状態はあまりよくありません。

<写真12・キハ10ディーゼルカー>
<写真13・キハ10ディーゼルカー・扉部分>

国鉄キハ10形は日本中で活躍したディーゼルカーですが、ここのキハ10 18は福知山機関区で新製配置され、福知山線や宮津線で活躍していたものを国鉄から譲受したものです。それまで加悦鉄道で走っていたディーゼルカーに比べて輸送力が大きく、最末期にはこのキハ10がほぼ単独で走っていたといいます。
こちらも保存状態があまりよくないようで、車内をのぞくとひどい状態になっていました。
キハ10といえば、青森県にある旧南部縦貫鉄道七戸車庫にて、レールバスの相棒として動態保存されているのが有名ですが、現存する車両はすでに片手で数えられる程度になっているようで、貴重な車両なのですが。

総じて、キハ08とキハ10を除いて保存状態がよく、丁寧に扱われていることがうかがえます。それだけに、後2車の痛み具合が気に掛かります。今となってはいずれも貴重な車両ではありますが、トリアージを行えば優先順位を下げざるを得ないのも理解できるわけで、悩ましいところです。

<写真14・「加悦SLの広場」時代のキハ10+キハ08>

ちなみに「加悦SLの広場」時代には、さよなら列車として運行されたキハ10とキハ08が連結された状態で保存されていましたが、側面の「さようなら列車」の文字が消しきれずに少し残っていました。

ここで切ります。

(続きます)

加悦SL広場訪問記(2) ~展示車両・その1~

「加悦SL広場」にはさまざまな車両が展示されていますが、それらを網羅的に記録していくのは、そもそも車両に関する知識の乏しい私の能力を超えることでもあるため、まずは撮りためた写真に対して備忘録的にメモを添えておく、という流れにいたします。

▲加悦鉄道2号機関車(正面)

目玉である2号機関車には上屋が取り付けられていました。このため、勇姿を見渡すことが難しいのが残念ですが、文化財保護の観点からは当然で、致し方ないことでしょう。

▲加悦鉄道2号機関車(斜め正面)

全体が真っ黒になっていますが、さび止め剤を塗布しているのでしょうか。

▲加悦鉄道2号機関車・旧「加悦SLの広場」時代

かつて「加悦SLの広場」に置かれていたときには、黒と赤、そして金の各色が青空に映え、有無を言わせぬ気高さを醸し出していたのですが。

▲ハ4995(休憩所)

2号機関車に連結する形で「ハ4995」が同様に屋根下に入っています。写真の反対側から車内に出入りでき、休憩所として利用されていました。

▲外から2号機関車ほか

この2号機関車は、旧加悦駅を模して作られたSL広場の建物に面して設置されており、その向かいには「1251機関車」が保存されています。

▲2号機関車と1251機関車

1251機関車の前には、車止めのような形で車輪が置かれていました。

▲C57ほかSL3台

この1251機関車から正面にあたる場所には、蒸気機関車が3台置かれています。一瞬「加悦鉄道にC57やC58が入線したのか?」と思わせますが、これは展示用に譲受したものです。

▲C57 189

「C57 189」は、「貴婦人」の愛称で知られているC57形蒸気機関車です。山口線で動態保存されている「やまぐち」号をけん引しているC57 1が有名ですが、その弟分になります。国鉄を退役した後、展示目的で加悦にやってきたものです。もっとも、貴婦人という優美な面影は感じられませんでした。宮脇俊三氏が「やまぐち」号けん引のC57を「老婆の厚化粧」と評したのを思い出します。

▲C58 390

「C58 390」は、「シゴハチ」の愛称で知られているC58形蒸気機関車です。秩父鉄道で動態保存されているSL列車号をけん引しているC58 363が有名ですが、その弟分になります。この車両も、国鉄を退役した後、展示目的で加悦にやってきたものです。

▲103機関車

無造作に置かれているような「103機関車」は、実際はC57やC58よりもさらに古く、米国ポーター社から輸入された機関車です。長門鉄道を経て東洋レーヨン大津工場で活躍、引退後は兵庫県にあった宝塚ファミリーランドで保存された後、2003年9月に当広場へ移管されたものです。静態保存後に加悦に移ってきた外様車両とはいえ、歴史的価値の高い蒸気機関車です。

▲ターンテーブルと保存車両群

「加悦SL広場」には、旧加悦駅から移設されたターンテーブルがあり、その周囲に、キハユニ51、DC351、ハ10、ヨといった各種車両が留置されています。これらの車両は、加悦鉄道で実際に活躍した車両群です。

▲「カトーくん」ことKD-4

通称「カトーくん」ことKD-4ディーゼル機関車は、比較的最近まで、岡山にあるキリンビール専用線で稼働していたものです。

▲ラッセル車 キ165

ラッセル車「キ165」は、かつて豪雪地帯の国鉄各線で稼働していたキ100形の1つです。現在では、青森の津軽鉄道と弘南鉄道で同形車が現役です。国鉄退役後、展示目的に加悦へやってきました。

ここまで取り上げられた各車両を見て思ったのは、塗装などが中途半端になっていたりさび止めが追いつかなかったりする面があるものの、機械ものとして丁寧に維持保存されているということ。貴重な産業遺産であることを認識し、それに敬意が示されているさまが、ありありと伝わってきます。

その一方で、各車両の履歴がまちまちである上、加悦という場所とのつながりが希薄なものが多く、背景にある“物語”を伝える魅力に欠ける点も否めません。見た目から得られる感傷を消費する「観光客」を収益源にする以上、これら「観光客」にアピールしなければいけないのですが、それが弱いのも確かです。

いったんここで切ります。
次回は、加悦鉄道で実際に活躍していた車両たちを中心に取り上げます。これらについては、語るべきトーンがまた変わると思いますので。

(続きます)

加悦SL広場訪問記(1) ~概要~

京都府与謝野町(旧加悦町)にある鉄道車両展示施設「加悦SL広場」は、当地で活躍していたローカル鉄道の貴重な古典車両を保存していることで知られ、特にその顔といえる「旧加悦鉄道2号機関車」は、英国スティーブンソン社から輸入された鉄道草創期のもので、機関車台帳とともに国の重要文化財に指定されたことでその名を上げました。文化庁長官の指定名称は「一二三号機関車</一八七三年、英国製>」とされていますが、本稿では最期まで現役を務めた所属を尊重して「2号機関車」と称します。

そんな加悦SL広場ですが、車両や施設の老朽化が顕著なことなどから、2020年3月をもって閉園する運びになりました。

「「加悦SL広場」3月末で閉園発表 重文など27両展示、引き取り申し出7件(京都新聞、2020年2月17日末)
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/163761

本来、廃止や閉鎖の報を受けてから行動を起こすのは、それまで触れようとしなかったものに対して後付けで“参画”しようとするようなもので、正直なところ気が引けるものですが、貴重な鉄道車両が一堂に会しているのを目の当たりにできる機会はそう多くもないですし、時間と体力を捻出?して、初訪問して参りました。

▲加悦SL広場正面玄関

場所は、加悦の中心部から南に外れた、かつてニッケル鉱石を搬出していた大江山鉱山貨物駅の跡地にあります。加悦鉄道の路線は、正確には丹後山田(旧国鉄宮津線と接続。現在の京都丹後鉄道与謝野駅)から加悦までの5.7kmでしたが、丹後山田から海側と、加悦から山側の区間に、それぞれ同社の親会社である日本冶金工業の専用線が伸びていたため、貨物列車の終着地だったともいえます。

▲加悦SL広場を外から見る

駅に隣接していて「道の駅」があり、のぞいてみたところ、野菜などを販売していたものの、あまり長居したくなるような空間でもなく、他に誰もいなかったため、中に置いてあった記念スタンプだけ押して早々に退散いたしました。

本題に戻りまして。正面玄関となっている建物は、旧加悦駅を復元した物です。もっとも、旧加悦駅舎は現在も加悦地区の中心部に残り「加悦鉄道資料館」となっており、開館日には内部を見ることもできます。与謝野町加悦庁舎前というわかりやすい位置にある、というよりは、旧加悦駅の跡地を庁舎として利用しているという経緯があります。

▲加悦鉄道資料館(旧加悦駅舎)

ちなみに、私は前身の「加悦SLの広場」には、過去に訪問したことがあります(「SL」と「広場」の間に「の」が付きます)。この施設は、加悦鉄道加悦駅の構内に2号機関車を初めとした各種車両を展示したもので、(当時のことはリアルタイムでは存じませんが)加悦鉄道が現役で運行されていた当時から運営されていました。がちゃこん、がちゃこんと機音の響く加悦谷にそびえる洋館駅舎の裏手に、これまた日本の鉄道史上数奇な履歴を歩んできた2号機関車が陣取る様は、ローカル鉄道博物館ならではの地元に密着した雰囲気がうかがえました。観光客でにぎわうという風情ではありませんでしたが、加悦谷の経済と産業とのつながりを実感させる施設だったと思います。

▲旧加悦駅にあった「加悦SLの広場」構内

「加悦SLの広場」にあった各種車両、転車台、給水塔等を大江山鉱山に移設したのが、現在の「加悦SL広場」ということになります。

▲加悦SL広場に移設された施設と古典車両

公共交通機関で「加悦SL広場」へ行くには、福知山駅と(天橋立)ケーブル下を結んでいる丹後海陸交通の路線バスを利用することになります。福知山に宿泊して朝の便で北上して「SL広場西」バス停で下車し東へ徒歩、または「加悦庁舎前」バス停から「加悦鉄道資料館」に立ち寄った後にSL広場へ向かう、というのが便利でしょう。天橋立側からの方がバスの便は若干多いので、帰路は天橋立方面へ抜けるか、あるいは加悦鉄道跡地を整備した自転車道をずっと歩くのもよいかもしれません。

(続く)

写真整理完了

Web閲覧用デバイスの変化や解像度の変更に伴い、掲載する写真データを大きいものに再編集する作業が、やっとのことで完了いたしました。これまで更新が滞ることの多かった最大の原因はこれのためでしたが、ようやく更新作業の方に軸足を移せそうです。

ひとまず、先日訪問してきた羽沢横浜国大駅を掲載しました。駅情報パートの内容をかなり充実させましたが、意外と写真を撮っていない駅も多いので、これからはより多様な視点で駅を見ていきたいと思います。

情報を追加しました

7月に入ってからというもの、ジメジメした日が続いてどうにも体が思うように動かない日が多かったのですが、このためサイト更新も一休み状態になってしまいました。

それを反省したという訳ではありませんが、今回の更新で、試行的に情報を増やしてみました。PCで見た場合、右ペインに掲載する写真を大幅に増やしてみようと思ったしだいです。また、右ペインの写真をクリックすると、拡大表示できるようにしました。

今後の手数とも関わってくるので、ひとまず写真がそろっている稲城長沼駅で試してみました。お気づきの点、ご要望などあれば、ぜひともご連絡ください。

フォーマット修正

5月25日の更新以降、「駅の写真館」各ページのフォーマットを新しいものに変更いたしました。具体的な変更点は以下の通りです。

・写真撮影日および「歴史」欄の日付を8桁表記に変更。
・隣駅の表示をスマートフォンでも見やすいように変更。
・「Station Profile」のサイドメニュー欄を充実させる。
・大手私鉄の表記を正式名称に統一する。

4番目は「何を今更」と言われそうではありますが、今秋、東京急行電鉄が鉄道事業を分離し、持株会社が「東急株式会社」、鉄道事業会社が「東急電鉄株式会社」となることから、略称が別の会社を示すことになることなどを考慮すると、正式名称で統一する方が理にかなうと判断した次第です。

この他にも、細かな修正を加えております。今のところは東急東横線の武蔵小杉以北など数十駅程度ですが、お気づきの点などがあれば、ご意見頂ければ幸いです。

久々に更新にこぎ着けました

長らくご無沙汰しておりました。精神的に極めてよろしくない状態が継続しており、旅行はおろか趣味の活動に手を割く余裕がまったくない期間が続いていたため、サイトの更新はもちろん、Twitterからも離れておりました。徐々に日常生活を取り戻しつつあるようになり、何とか一人で外に出られるようになってきたという段階なので、まだまだ旅行を再開するのは先の話になりそうです。

さて、鉄道の世界でもこの半年ほどにさまざまな変化がありましたが、「駅の写真館」では古い情報のままになっているところが多かったため、取り急ぎ手を入れられる範囲で修正を加えました。昨20日のJヴィレッジ駅の開業をはじめ、JR石勝線夕張支線廃止、JR山田線宮古以南の三陸鉄道への移管、ゆりかもめの駅名変更、横浜シーサイドライン金沢八景駅の本駅移転、富山地鉄栄町駅開業、JR梅小路京都西駅開業、JRおおさか東線2期区間開業、広島電鉄の電停名変更、錦川鉄道清流みはらし駅開業、JR糸島高校前駅開業などなど。このほか、昨今の災害運休区間の変更なども本来は追っていくべきなのですが、こちらはまだまだ手が回っておりません。おいおい対応して参ります。

廃止された駅を分離していきます

久々に本格的な更新となりました。先日のダイヤ改正に伴う駅の新設や廃止、改称などへの対応や、新フォーマットへの修正などといった細かい対応は順次進めておりますが、コンテンツ自体の充実につながる更新となりますと、正月以来となります。私事さまざまなことがあったためとはいえ、お恥ずかしいかぎりです。実際の乗降ペースにさえ追いついていない状態というのは、言い訳のしようがありません。もう少しサイトの充実に時間と手間を割きたいと思っております。

さて、全国区のニュースでもしばしば取り上げられておりますとおり、今春には三江線の全線廃止という大きな変動があります。これに伴って多くの駅も姿を消すことになります。

これまで弊サイトでは、廃止された駅については、私(脇坂健)が実際に乗降した駅についてのみ、現行の駅と並べて表示してまいりました。しかし「駅のデータベース」として見た場合、現行の駅と廃止された駅は明確に区分し、現行駅のみを順次リンクするように構成し、廃止駅は別のカテゴリーにまとめるほうが妥当と判断し、順次分離、再構成していくこととなりました。

ひとまず北海道エリアについては、新しい構成でのページになっております。他の地域には、更新とともに順次変更してまいります。当面、新旧のページが混在する可能性もございませすが、その場合はご容赦いただければ幸いです。

細かい変更

長いこと更新が止まってしまいました。理由は単純で、「心身双方の不調によりサイト更新ができなかった」ことと「PCのオペレーションミスによりデータの一部を欠損してしまい復旧に追われた」ことの2点です。

前者についてはつまびらかに語るようなものではないため割愛しますが、後者については、非常に情けないことをやってしまった、に尽きます。

具体的には、バックアップツールを起動した後、本来であれば「設定・甲」を基に実行すればよいところ、うっかり「設定・乙」を読み出してしまい、しかも「送信先」に「サイト更新用データ保存フォルダ」を指定してしまった、というものです。

サーバ上にあるデータや、オリジナルの写真データなどは無事なので、さほど深刻なものではないのですが、何分コツコツ続けてきた写真編集データの相当数が消滅したため、この先どのように更新を続けていけばよいものかと考え中です。不幸中の幸いは、データが消えたのはおおむね中国地方エリアのみで(ディレクトリ名が「chugoku」と若かったため被害が大きい)、それ以外は何とかなりそうなこと。そういうしだいで、中国地方のデータについては、更新が後回しになりそうです。もっとも、北海道からスタートして現在東北本線沿線を更新中なので、中国地方うんぬんはまだまだ先のことになりそうではありますが。

これを契機に「デフォルトのフォントを、フリーで公開されているユニバーサルデザイン準拠のWebフォントに変更」「駅名ローマ字表記について、必要に応じて長音符号(マクロン)を付加(今後順次更新)」といった細かい変更を加えました。本来であれば、HTML 5.1に準拠した形にしていきたいのですが、優先順位面で後回しになっております。