採鉱設備のすぐ脇にあった終着駅

柵原 【廃止】

やなはら Yanahara
柵原駅
▲柵原駅駅舎《1991年3月28日撮影》

このページは、路線廃止前の情報をもとに記載しています。

旅客ホームは片面のみ

柵原駅に停車中のキハ303
【写真1】柵原駅に停車中のキハ303(鉄道省キハ41000系)。《1991年3月28日撮影》

吉ヶ原までのどかな車窓が続いていましたが、最後の区間になると、鉱山らしい無機質な設備に囲まれた産業鉄道の本領を発揮するかのごとく、グレーの風景が広がり、ほどなく終点の柵原となりました。

旅客ホームは片面のみで、とんがり屋根のかわいい駅舎が待っていました。

駅周辺は鉱山施設ばかり

柵原駅隣接の探鉱場
【写真2】柵原駅隣接の探鉱場。《1991年3月28日撮影》

同和鉱業の操業所から産出される大量の硫化鉄鉱を運搬するため、構内には側線や設備が設けられていましたが、私が訪問した1991年3月には工場こそ威容を見せていたものの、貨物輸送はすでに全廃されており、短編成のディーゼルカーが“お別れ乗車”組を乗せて行き来しているのみでした。駅周辺も鉱山施設ばかりで、まさしく鉱山鉄道の駅らしい雰囲気を強く醸し出していました。

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

1931年2月1日
開業。
1987年10月30日
この日かぎりで硫化鉱輸送終了[1]
1991年6月30日
この日かぎりで片上鉄道線が全線廃止され、同駅も廃止。
  1. 真鍋裕司「中国地方のローカル私鉄 現況 4 同和鉱業片上鉄道線」『鉄道ピクトリアル』No.493(1988年3月臨時増刊号)電気車研究会、114ページ。

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