広大な拠点は運炭拠点の証でした

大嶺 【廃止】

おおみね Ōmine
大嶺駅
▲大嶺駅駅舎《1994年8月25日撮影》

このページは、南大嶺-大嶺間廃止前の情報をもとに記載しています。

大きな駅舎にどっしりしたホーム

大嶺駅ホーム
【写真1】大嶺駅ホーム。《1994年8月25日撮影》

南大嶺から美祢線は北東側へカーブを描いてきますが、大嶺へ向かう支線はそのまままっすぐ北へ向かっていました。もっとも、美祢線は厚狭-南大嶺(開業当初は伊佐)-大嶺間が先に開業し、美祢や長門湯本へ向かう路線はその後開業したという経緯があるため、大嶺方面が本来の“本線”だったことになります。

大嶺駅は、良質な無煙炭で知られた大嶺炭田からの石炭搬出基地としてにぎわいました。それを示すかのように、立派な屋根を持つ木造の重厚な駅舎を擁しており、かつては多数の職員が出入りしていたことがうかがえます。

片面のみながら、旅客用プラットホームも石組みのどっしりしたものでした。このホームの礎石には「12M15CH」の文字が刻まれていました(この長さは厚狭-大嶺間の距離に相当します)。

雑草に覆われた構内

大嶺駅構内
【写真2】大嶺駅構内。《1994年8月25日撮影》

構内は非常に広いのですが、私が訪れた1994年8月には、ホーム前以外のレールはすべて撤去されており、雑草がびっしり覆っていたほか、フェンスで覆われていました。

駅近くには、川の反対側に数件の人家が残っていましたが、1994年8月の時点では、大きな産炭地らしい気配はまるで感じられず、静かな山里という印象を受けました。大嶺炭田では、主要炭鉱の山陽無煙炭鉱が1970年に、小規模な露天掘り炭鉱を含めても1992年までにすべて閉山しています。

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

1905年9月13日
山陽鉄道によって厚狭-伊佐(現、南大嶺)-大嶺間が開業し、大嶺駅開業。
1906年12月1日
山陽鉄道の国有化に伴い、官設鉄道(逓信省鉄道作業局)の駅となります。
1983年12月31日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1984年1月31日
この日かぎりで南大嶺-大嶺間の貨物運輸営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR西日本の駅となります。
1997年3月31日
この日かぎりで南大嶺-大嶺間廃止に伴い、大嶺駅廃止。

周辺の見どころ

確認中。

このページの先頭へ