関東鉄道から分離独立した鉄道です。本社は関東鉄道と同じ位置にあり、副業は小規模な不動産業を行っているのみで、沿線のバスは関鉄メロンバス(これも関東鉄道から分社化)が運営するなど、関東鉄道の一部門といったカラーが濃くなっています。
ご多分に漏れず、旅客輸送が減少しているほか、燃料輸送の廃止による貨物輸送収入がなくなったことにより、今後の予断が許されない状況になっています。これを受け、地元では沿線自治体を中心に対策協議会が発足しており、当面は5年間の財政支援を行い、鉄道を維持することになっています。
(2004年12月28日)
その後、営業収支の好転が見込めないことに加え、親会社である関東鉄道がつくばエクスプレス開業後の事業立て直しによって支援を打ち切ることにするなどの悪条件が重なり、2007年3月31日かぎりで廃止されました。
(2007年4月1日)
【URL】 http://www.katetsu.co.jp/
★1994年8月2日、鉾田にて完乗。
■2007年3月31日かぎりで全線廃止。
石岡から鉾田までの27.2kmを、霞ヶ浦の北をかすめて走る非電化路線で、「鉾田線」と呼ばれることもあります。“鹿島”という名前は創業当初からのものですが、鹿島神宮方面への延長はまったくの計画倒れで、免許申請さえされずに終わっています。
石岡付近では宅地化が進行しており、常陸小川から玉造町までは霞ヶ浦と水田、鉾田付近は雑木林の多く残る丘陵地と、あまり長い路線ではないものの、車窓は変化に富んでいます。重要な収入源だった、航空自衛隊百里基地への燃料輸送は、2002年3月31日かぎりで廃止されています。
鹿島参宮鉄道によって、1924年に石岡-常陸小川が開業しています。1926年に浜、1928年に玉造町と順次延長され、1929年には鉾田まで全通しました。なお、1924年から1930年まで運行された鹿島軌道は、鉾田の有志が設立したもので、石岡・小川が中心となって設立された鹿島参宮鉄道(発足当時は行方鉄道)とは関係ありません。1965年6月1日、常総筑波鉄道と合併して関東鉄道鹿島線となりましたが、1979年4月1日に分社化されました。
(2004年12月27日)
△石岡-★石岡南台-★東田中-△玉里-★新高浜-★四箇村-★常陸小川-★小川高校下-★桃浦-★八木蒔-★浜-★玉造町-★榎本-★借宿前-★巴川-★坂戸-鉾田
(注)★は未乗降駅です。
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