相武台前
そうぶだいまえ
Sobudaimae

相武台前駅

 2面4線がベースとなっている地上駅で、駅舎は橋上に設けられています。駅の改札は自由通路に面しており、メインの北口と、裏口にあたる南口に出られます。駅の設備は座間市にありますが、小田急相模原から相武台前にかけて、小田急小田原線は相模原市と座間市の境界に沿って走っています。おおむね、小田原線の北側を走る行幸通りの向こう側が相模原市になっています。

 駅の北口にあるマンションと駅が直結しており、1階および2階には商店が入っていて、これらへ直接出入りすることができます。駅前にはバスターミナルが整備されているほか、飲食店などが並ぶものの、住宅地は駅から離れたところまで広がっていて自動車でのアクセスが多いうえ、駅の脇を通る道路の通行量が多いこともあって、やや煤けた印象を受けます。

 駅の南東側には、かつて車両工場が置かれていた時代のスペースに、多くの側線が広がっており、列車の留置施設として活用されています。南口に出るには、この留置線群の上にわたされた通路を通っていくことになります。

相武台前駅留置線

車両工場の跡地である留置線群。2005年6月26日撮影。《2005年6月26日撮影》

 戦前は陸軍士官学校、戦後は米軍座間キャンプの最寄り駅であったため、軍関係者の利用が目立ちましたが、日産自動車の座間工場が進出すると、駅周辺の人口が増大し、農村地帯が住宅地へと変貌しました。しかし、同社のリストラによる座間工場閉鎖に伴い、駅の南口はしだいに寂れつつあり、東京方面へのベッドタウンになりつつあります。

 1995年には座間市役所が旧市街地(現・JR相模線-入谷駅の北側)から移転し、その最寄り駅となりました。

乗り場

 確認中。

駅名の由来

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歴史

 小田原線全線開通当時からの駅です。当初は「座間」と称していましたが(開通当時は現在の座間駅はなく、のちに「新座間」として開業しています)、1937年6月1日に陸軍士官学校が市ヶ谷から移転したことを契機に「士官学校」と改称しています。戦時統制期に入り、軍関係の施設名を消去するよう求められたことを受け、1941年1月1日に現在の「相武台前」に改称されました。なお「相武台」の名称については、JR東日本-相模線:相武台下を参照のこと。

 かつては、車両工場および車両基地が置かれていましたが、1960年代に廃止されており、現在は留置線のみが使われています。

周辺の見どころ

 特になし。

【相模原相武台郵便局】駅北口を北西へ徒歩3分。1992年12月3日訪問。

2005年7月10日、写真を追加のうえ加筆修正

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