箱作と同様、海水浴場への最寄り駅となっています。開設当初から観光客利用を想定していたものとみえ、角張った大きな木造平屋駅舎のうえには時計台が載り(現在、時計は取り外されています)、また大きな軒が設けられています。この駅舎は明治時代の開業後まもなくのものとも、また大正時代のものともいわれています。
コンコースも広く堂々としており、高い天井と相まって、ゆったりした雰囲気になっています。かつてはシャンデリアが下がっていたと思われる天井はがらんとしており、照明不足のためずいぶん暗いのが難点。現在はほとんど使われていないものの、夏場のみ利用されていたと思われる、石造りの有人改札口が多く並んでいます。
対向式2面2線というごくオーソドックスな配線で、駅舎は上り線ホーム中ほど付近にあります。下りホームとの間は地下道で連絡しています。
駅前からはまっすぐ道路が延び、漁港およびその周辺の集落へつながっています。国道26号線は駅の南側を通っていることもあり、基本的に静かな集落ですが、夏になると多くの海水浴客が訪れるため、一気ににぎやかになります。それでも、私が真夏に下車した際、駅前の雑貨屋などは雨戸を降ろしたままで、廃業して久しい店舗が多いように見受けられました。
駅の周辺には住宅が建ち並んでいますが、縄文後期から弥生時代にかけて、幅広い時代にわたる遺物が多数出土しています。また、駅のすぐ南側には宇度墓古墳という大きな前方後円墳があるほか、駅周辺には古墳が多く点在しており、大和時代には平野部の終端であるとともに、海上交通の重要な拠点とされていたことがうかがえます。
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駅から北へ、徒歩10分。関西空港を一望できる愛宕山の一帯に整備された公園で、つつじや桜の名所として知られています。かつて、南海が観光客誘致のために整備したものですが、現在はローカルな憩いの場という雰囲気になっています。
駅から西へ、徒歩12分。紀伊国を本拠点としていた紀氏の祖を祀っており、淡輪は同氏の和泉地方における拠点となっていたのでしょう。本殿は、江戸時代初期に豊臣秀頼の命により造営された桃山式の建築様式を残しており、国の重要文化財に指定されています。大きな檜皮葺の屋根が目を引く……といえば聞こえはいいのですが、拝殿に遮られて本殿は屋根しか見えませんでした。4本の幹が1つになったクスの大木があり、樹齢800年ともいわれています。参拝自由。
駅から西側の改札を渡り、徒歩3分。全長約200mの前方後円墳で、大きな周濠を備えており、淡輪ニサンザイ古墳とも呼ばれます。現在、景行天皇の弟である五十瓊敷入彦命の墓とされ、宮内庁が管理していますが、船守神社などから、紀伊国を本拠地とする有力氏族の墓と推測するのが自然でしょう。後円部を取り巻くように、5つの陪塚が残っています。
【岬淡輪郵便局】駅正面を進み、徒歩4分。未訪。
2005年8月28日
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