門島駅
▲門島駅入口《2008年10月4日撮影》

門島駅外観

【写真1】門島駅外観。《2008年10月4日撮影》

谷が少し広くなったところに設けられている駅です。

島式ホーム1面2線から成り、列車交換が可能です。ホーム上には待合室がありますが、駅舎はすでになく、ホームから構内踏切をわたった先には、中途半端な空間が広がっています。

本線のほかに側線があり、作業用車が留置されていました。また、駅の脇にはレールがうずたかく積まれていました。

 

門島駅ホーム

【写真2】門島駅ホーム。《2008年10月4日撮影》

駅前からはつづらおりの道路を降りると、民宿と簡易郵便局、水力発電所があるほか、平屋の民家が数戸建っていますが、商店や飲食店などは皆無で集落と呼べるかどうかも微妙で、ひっそりとしています。泰阜村や下條村の中心部のほうが人口がずっと多く、ここからの乗用車による送迎が多いものと思われます。

すぐ近くには泰阜ダムがあります。駅のすぐ近くに、泰阜ダムの水流を利用した泰阜発電所があり、大きなサージタンクを飯田線の車窓からも見ることができますが、線路から至近かつ巨大なため、かえって気づきにくいかもしれません。

 

停車列車 [2009年5月現在]

特急は停車しません。

乗り場

西側から順に、1番線、2番線となります。

駅名の由来

「カド」は「角」で、水流が曲がっている場所であることを指すものと思われます。

歴史

三信鉄道開通の際に設置されました。

周辺の見どころ

泰阜ダム

駅から北へ、徒歩6分。日本における初期の本格的重力式コンクリートダムで、1936年に完成したもの。土砂が多いため、水流中の砂粒によってコンクリートの表面が削られ、白くなり水流面に沿って削れているのが見て取れます。

◆ミニコラム◆ 砂の堆積に悩むベテランダム

三信鉄道が最初に開通した区間は、門島-天竜峡です。これは、門島で発電用ダムを建築することとなったことをにらみ、建築資材や工員の輸送に欠かせないインフラとして着工されたことが背景にあります。泰阜ダムは1935年に完成し、その3年後に完成した平岡ダムともども、戦前の日本における代表的な本格的ダムとして知られていました。

しかし、天竜川およびその支流は、日本でも有数の土砂崩落が激しい地域であることもあって、堆砂の進行が著しくなっています。1961年の“三六災害”に代表されるような、飯田市地域において水害が多発している要因のひとつともされており、対策が急がれています。

そんな泰阜ダムの周囲には、かつては土木作業員を中心に一大集落が形成されており、中層の木造住宅が多数建ち並んでいたといいます。現在では民宿がポツンとあるのみで、ほかには何もありません。門島で途中下車したら、まずは泰阜ダムをごらんになるとよいでしょう。

2009年9月26日

▲ このページの先頭へ ▲