改装されてはいますが、非常に風格のある木造駅舎を擁する駅。ホームは島式の1面2線で、跨線橋を渡って駅舎の裏手を回廊のように進み、改札口へ出ます。かなり回りくどいアプローチですが、現代に残る“汽車”の雰囲気を残しています。駅舎は、玄関周りの造形がなかなか凝っているのがうかがえるほか、足回りにレンガが多用されているのが目を引きます。
駅前広場と呼べる空間はありませんが、駅舎周辺にはゆったりしたスペースがあり、タクシーが数台止まっていました。逆に言えば、駅前に繁華街が形成されていない、ともいえます。
駅舎は橋上駅舎化され、2008年4月12日から供用開始しています。新駅舎は、地元に多い織物工場ののこぎり屋根を現代風にアレンジしたデザインの鉄骨造2階建、連絡通路にあった動輪マーク付きのベンチと古い跨線橋鋳鉄柱は橋上駅コンコースに展示保存されました。なお、駅構内にあった古いレンガ造りの油庫は、一宮市が譲受し保存されることとなりました[1](2008年7月1日)。
停車列車 [2010年3月現在]
確認中。
乗り場
西側から順に、1番線、2番線となります。
- 1.東海道本線下り 岐阜、米原方面
- 2.東海道本線上り 名古屋、豊橋方面
駅名の由来
確認中。
歴史
開業当初は、木曽川を越える橋梁が未完成だったため、大垣との間は人力車で連絡したといいます。この状態は、対岸の加納(現・岐阜)駅が開業するまで続きました。
「M19年6月」と記された財産票が残っていますが、1891年10月28日に発生した濃尾大地震の際に壊滅的な被害を受けているはずなので、現在使われている駅舎は、実際には同地震後の建造と推測されます。
- 【1886年6月1日】 一ノ宮(現、尾張一宮)-木曽川間が開通したのに伴い、木曽川駅開業。
- 【1887年4月25日】 木曽川-加納(現、岐阜)が開通、中間駅となります。
- 【1962年9月30日】 この日かぎりで貨物営業廃止。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR東海の駅となります。
周辺の見どころ
確認中。
- 鉄道建築協会『鉄道建築ニュース』No.705(2008年8月号)、30-32ページ。