鉄道建設の資材を陸揚げした往年の拠点駅

武豊

たけとよ
Taketoyo
武豊駅
▲武豊駅駅舎《1993年3月9日撮影》
武豊駅ホーム
【写真1】武豊駅ホームから南側を望む。ホームは片面のみですが、2本の側線が西側に延びています。《2007年1月5日撮影》

武豊線の終着駅で、駅本屋は1面1線のホームに直結しています。駅前の道路から改札まではスロープで行き来できるため、段差ゼロでホームまでたどり着くことができます。有人駅で「みどりの窓口」があるほか、TOICA対応の簡易型改札機が設置されています。

現在使われているのはホーム前の1線のみですが、このほか西側に側線があります。かつて貨物輸送で賑わった当時にフル活用されたものと思われますが、今となってはレールは赤く錆びています。武豊から先は、かつて武豊港まで線路が延びていましたが、1965年に廃止されています。旧武豊港駅跡には当時の遺構が数多く残っています。

武豊駅駅舎全景
【写真2】上で掲載した写真から14年後の駅舎。屋根が瓦葺きからスレート葺きになり、ホーム脇にフェンスが設置され、ホーム上屋も延長されています。《2007年1月5日撮影》

駅舎は木造モルタル平屋建てで、玄関から見るとごく小さいと感じるものの、横にまわると奥行きを感じられるつくりになっています。亀崎駅半田駅とは異なりクラシックな駅という雰囲気はまったくなく、内部も小ぎれいに改装されています。

高橋煕氏銅像
【写真3】高橋煕氏銅像。《2007年1月5日撮影》

駅舎の正面には、1953年の台風災害時に列車を救って殉職した高橋煕氏の銅像が設置されています。高橋氏は、線路の道床が流失したのを列車に知らせて乗客の生命を救ったものの、自らは波に飲まれた人です。一介の職員の銅像など前例がないとして国鉄当局は及び腰だったものの、国鉄職員や一般市民からの寄付が全国から集まって建立にこぎつけたといいます。

駅の周辺には住宅などが多く建っていますが、市街地は西側にある名鉄の知多武豊駅付近で、JR武豊駅は町はずれにあるという印象を受けます。なお、1999年8月に直角二線式転車台の遺構が発掘され、修復が行われました。

停車列車 [2013年11月現在]

確認中。

駅名の由来

駅名のもととなった武豊は、旧長尾村と旧大足村が合併する際、長尾村の鎮守である「武雄神社」および大足村の鎮守である「豊石神社」の頭文字を取った合成地名です。

歴史

日本の大動脈である東海道線の開通前、建設資材の運送を主目的として中京地区最初の区間、熱田-武豊が開通したのが1886年3月1日。当時の武豊駅は現在よりも南約1kmのところにありましたが、1892年6月1日に現在位置に移転しました。なお、旧武豊駅は1930年4月1日に武豊港駅として復活、武豊-武豊港は貨物営業のみを行う区間として営業していましたが、1965年8月19日かぎりで廃止されました。なお、武豊駅の貨物営業も1975年11月14日かぎりで廃止されています。

周辺の見どころ

確認中。

【武豊線】 大府尾張森岡緒川石浜東浦亀崎乙川半田東成岩武豊

2004年4月20日
2007年1月10日、写真を追加の上加筆修正
2008年1月3日、加筆修正

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