東口はひっそりと
隅田川左岸に設けられている、島式ホーム1面2線から成る高架駅です。
出口は東西に設けられていますが、メインとなっているのは西口です。西口の駅舎は、上野駅にも通じる鉄筋コンクリート造りの堂々たるもので、かつてターミナル駅として機能していた時代の貫禄を感じさせます。正面には3つのアーチ窓が並び、メリハリの利いたつくりになっています。駅舎の設計は、鉄道省工務局建築課(坂本鎮雄)により行われました。
コンコースには、元横綱三重ノ海、元関脇長谷川の優勝額がかかっています。設備としては「みどりの窓口」があるほか、多客時対応用の臨時改札機があります。現在では駅舎の大きさに比して機能が低下しており、駅舎の北側は飲食店として利用されています。
いっぽうの東口は、高架の南東側にひっそりと設けられています。それでも「みどりの窓口」があります。
かつては地上ホームから房総列車が
現在使われているホームは総武線各駅停車が発着する島式1面2線ですが、これの北側地平にもホームが設けられています。これは、両国駅が房総方面へ向かう際のターミナル駅だった時代に使われていたもので、かつては急行列車などが頻繁に発着していましたが、総武快速線の開業などによって現在では旅客列車の利用はなくなっています。一時は、留置線と物置を兼ねたような状態になっていました。
駅のすぐ北側には両国国技館と江戸東京博物館があり、観光客の利用が多く見られます。力士が電車から降りてくることも多く、駅の近くにはちゃんこ料理屋が並ぶなど、相撲の町らしい雰囲気があります。なお、東口改札付近は、かつて多数のビルを抱えていた大学受験予備校が廃業したこともあって、空きビルや空き部屋が目立ちます。
停車列車 [2014年4月現在]
錦糸町-御茶ノ水間は、各駅停車のみの運行となっています。
南側から順に、1番線、2番線、3番線となります。なお3番線(地上ホーム)は、現在はほとんど使われておらず、団体列車の発着等に細々と利用されています。
駅名の由来
両国という地名は、江戸時代初期まで隅田川が武蔵国と下総国の境界であり、このため墨田川にかかる橋が両国橋と呼ばれたことに由来します。元来、隅田川の両岸ともに両国という地名を用いていましたが、(旧)両国国技館の開設などによって、現在では左岸地区のみに両国の地名が用いられています。
歴史
詳細は確認中。
- 1904年4月5日
- 開業。
- 1987年4月1日
- 国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。
- 2016年11月25日
- 駅舎遊休部分に「両国江戸NOREN」開業[1]。
周辺の見どころ
両国国技館
西出口から北へ、徒歩2分。大相撲の本場所が開かれるほか、各種格闘技やロボットコンテストの会場としても用いられる多目的ホールです。現在の国技館は二代目にあたり、1985年の本場所から使用されています。本場所中には幕内力士の幟がずらりと並び、髷を結った力士が行き交います。本場所中以外は、国技館内のガイドツアーも行われているほか、「相撲博物館」が開放されています(無料)。
【Map】OpenStreetMap / Google Map / Mapion
江戸東京博物館
西出口から北東へ、徒歩3分。隣接する両国国技館の屋根を意識したデザインで、巨大な吹き抜けが大きな特徴となっていますが、下町の景観に合致したものとは思えず、両国駅北側のみに別区画の独立地域を生ぜじめるに留まっています。常設展示の入口は6階となっており、ここから5階にかけて、江戸から東京への流れを街並み整備を中心に展示しています。実物大の建物の復元模型が豊富なのは圧巻です。全般的に、上下移動が多いのが難。常設展600円、月休。
【URL】http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
【Map】OpenStreetMap / Google Map / Mapion
旧安田庭園
駅西口から北へ、徒歩3分。もとは大名庭園で、安田善治郎の所有を経て、東京都に移管されました。リフレッシュするのに最適な空間になっています。
横網町公園・東京都復興記念館
駅から北東へ、徒歩8分。関東大震災における被災者を悼んで建立された慰霊堂を中心とする公園です。復興記念館には、震災や戦災の遺品や絵画などが展示されています。
回向院
駅西口から南へ、徒歩3分。コメント準備中。
野見宿禰神社
駅から東へ徒歩10分。コメント準備中。
吉良邸跡
駅から南へ6分。赤穂浪士が討ち入った吉良邸の一部が公園として保存され、長屋門などが復元されています。
その他
- 第2回「関東の駅百選」(運輸省関東運輸局)選定駅。