相対式ホーム2面2線から成る駅です。現在でこそ単純な配線になっていますが、かつては中線や多数の側線を備えており、比較的最近まで貨物列車の出入りがありました。このため、油須原などと同様に長大なホームが千鳥式に配置され、構内踏切を挟むように両方向の列車が交換する形になっています。駅の北側にはかつての日通の営業所があり、貨物配送の拠点になっていたことがうかがえます。
相対式ホーム2面2線から成る駅です。現在でこそ単純な配線になっていますが、かつては中線や多数の側線を備えており、比較的最近まで貨物列車の出入りがありました。このため、油須原などと同様に長大なホームが千鳥式に配置され、構内踏切を挟むように両方向の列車が交換する形になっています。駅の北側にはかつての日通の営業所があり、貨物配送の拠点になっていたことがうかがえます。
かつての木造駅舎は現在も健在ですが、駅舎としては利用されておらず、鉄道の利用者が自由に出入りできるスペースにはなっていません。旧駅舎の脇に鉄骨の支柱とトタンの屋根を設けたスペースがあり、ここに時刻表や運賃表などが掲示されています。
旧駅舎は食堂として用いられています。旧駅舎の屋根は両側がそれぞれ入母屋と切妻になっており、左右非対称になっていますが、切妻になっている駅出入口側の形がやや不自然であり、かつてはもっと大きい駅舎がコンパクト化されたものと思われます。
駅出入口の脇には古いレンガ造りの倉庫がありますが、今では使われていないようです。
駅の近くには県立田川高校や田川農林高校があり、高校生の利用が多い駅です。駅前には営業しているかどうか定かでない店舗が並んでいますが寂しさは拭えず、炭鉱閉山後の田川の現状を黙して語っているようでした。
番線表示は未確認です。
金辺川に臨むこの地の地形が、曲尺(まがりかね=かねじゃく)の形をしているところからの地名
[1]という説があります。
明治時代に路線が開通して以来の駅です。
確認中。
確認中。