豊川駅
▲豊川駅駅舎《2008年8月24日撮影》

豊川駅改札

【写真1】豊川駅改札。向かって右側が名鉄側です。《2008年8月24日撮影》

日本三大稲荷として知られる豊川稲荷の最寄り駅であり、豊川市の中心駅です。豊川から名古屋方面へ向かう場合は名鉄を利用することもできますが、豊橋経由でJRを利用するほうが速いため、豊橋-豊川の区間利用者がかなり多いようです。逆に、豊川以北では需要がかなり低下するため、豊川以南は複線、豊川以北は単線となっています(平井信号場以南は名鉄と共用のため、厳密な複線は平井信号場-豊川というべきでしょうか)。

2面3線(上りが島式)のホームと橋上駅舎から成ります。

 

豊川駅自由通路

【写真2】豊川駅自由通路。正面奥は橋上駅舎化によって新設された東口です。《2008年8月24日撮影》

橋上駅舎には自動改札機が設置されており、改札脇にはキヨスクがあるなど、大都市近郊駅らしい雰囲気があります。自由通路はかなり幅が広くゆったりしているのですが、これは初詣客など波動利用が多い駅であることを想定した設計でしょう。

長らく、鉄筋コンクリート造3階建てでアールデコ調の大振りな地平駅舎(1931年築)が使われていました。竣工当初は、食堂や小売店舗、演劇場などが入ったステーションビルとして機能していましたが、1980年代以降機能を大きく縮小、最後は1階のみを駅舎として使用していました。老朽化に伴い1995年6月に解体されましたが、表現主義の影響も見られたこの旧駅舎を壊してしまったのは、かえすがえすも残念なことでした。

 

豊川駅旧駅舎

【写真3】豊川駅旧駅舎。《1994年3月3日撮影》

駅の西口には、隣接して名鉄の豊川稲荷駅があり、駅名こそ異なるものの乗り換えが容易です。前述のように名古屋方面へのアクセスで競合関係にあるため、JRおよび名鉄の両駅に所要時間などをアピールする掲示がありますが、掲示場所である駅のスケールでJRが圧倒していることもあって、名鉄の存在感はあまり大きくはないようです。

豊川駅から北側には日本車輌の工場があり、飯田線からは引き込み線が伸びています。この路線は、かつて豊川から西豊川まで延びていた支線の名残で、路線営業廃止後に国鉄の側線となり、さらに車両メーカーの専用線となって現在にいたっています。

豊川市は、豊川稲荷の門前町として栄えてきた町です。なお、豊川(とよわ)市の東側を流れる川は、豊川(とよわ)です。

停車列車 [2009年5月現在]

特急列車を含め、すべての列車が停車します。

乗り場

北側から順に、1番線、2番線、3番線となります。

駅名の由来

豊川の名称は、恵みをもたらす河川という意によるものです。

歴史

豊川鉄道が豊橋-豊川を開通させた際に設けられた駅です。

周辺の見どころ

豊川稲荷

駅から北西へ、徒歩3分。豊川稲荷という通称ですが、正式名を「宗教法人豐川閣妙嚴寺」とする曹洞宗の寺院で、祀っている荼吉尼天(だきにてん)が白い狐に跨っていることから、これが稲荷信仰と混合して通称が定着したといわれます。長らく続いた神仏習合も神仏分離の対象となることなく続いてきた、貴重な例といえます。参拝自由。

【URL】http://toyokawainari.jp/

◆ミニコラム◆ お稲荷さんはお寺の中に

「お稲荷さん」と親しみを込めて崇拝を集めているのが、稲荷神社。総本社である伏見稲荷神社(京都市伏見区)をはじめ、笠間稲荷神社(茨城県笠間市)、祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)などの大きいものをはじめ、日本全国には数万単位の稲荷神社があり、農業を中心とした産業振興の神として信仰されています。しかし、神仏習合思想が進んでいく過程で、荼吉尼天(だきにてん)を本地仏とする仏教寺院も誕生しました。これらの多くは明治初期の神仏分離によって純神社化ないし消滅しましたが、豊川稲荷では神仏習合の形態がそのまま残りました。このため、全国的には少数派の「お稲荷さん=お寺さん」という構図になっています。

豊川稲荷にお参りし、神様だの仏様だのを気にすることなく、しかし心を凛とさせる何かを感じることがあれば、それはすでに信仰なのかもしれません。


  1. 『鉄道ジャーナル』鉄道ジャーナル社、No.365(1997年3月号)98ページ。

《乗り換え》名鉄-豊川線:豊川稲荷

2009年9月13日、写真を追加のうえ加筆修正

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