新城市の中心に位置する駅です。
2面3線から成る地平駅で、このほかに側線が設けられています。島式ホームと駅本屋との間は跨線橋で連絡していますが、牛久保や三河一宮と同様、屋根のないタイプのものです。
かつては、ホームの一部が鉄板となっており、これをボタンで上下させることによってスロープとし、線路の中の通路を渡るという独自の構内踏切がありました。かつて、ホームの中ほどに切り欠けを設けて行き来するのはよく見られましたが、このようにホームの一部を可動式にするのはきわめて珍しいケースでした。
新城市の中心に位置する駅です。
2面3線から成る地平駅で、このほかに側線が設けられています。島式ホームと駅本屋との間は跨線橋で連絡していますが、牛久保や三河一宮と同様、屋根のないタイプのものです。
かつては、ホームの一部が鉄板となっており、これをボタンで上下させることによってスロープとし、線路の中の通路を渡るという独自の構内踏切がありました。かつて、ホームの中ほどに切り欠けを設けて行き来するのはよく見られましたが、このようにホームの一部を可動式にするのはきわめて珍しいケースでした。
駅舎は大柄な木造モルタル平屋建てのもので、天井が高いのが特徴です。牛久保と似た形状の駅舎は、1943年4月ごろに改築されたもの[1]。「みどりの窓口」があり自動券売機が設置され、待合室にはキヨスクも営業しているなど、飯田線の中では旅客設備が充実している駅といえます。ただし、早朝夜間には無人になります。
駅の周辺には、古くからの民家や商店が建ち並んでいます。ただし、駅舎のある飯田線南側は旧市街地(旧国道沿い)に面しており、新城バイパスに背を向ける形になっているせいか、一定の乗降客数がある割には、あまりにぎやかという雰囲気も感じられませんでした。
特急列車を含め、全ての列車が停車します。
駅本屋側(南側)から順に1番線、2番線、3番線となります。
新城の地名は、長篠・設楽原の戦いで功績のあった奥平信昌が徳川家康の長女亀姫をめとり、現在の新城小学校の地に新しい城を築いたのが、「新城城(しんしろじょう)」
だったことによります[2]。
豊川鉄道が一ノ宮-新城間を開業させた際に設置された駅です。
確認中。
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