相対式ホームの駅
相対式ホーム2面2線から成る駅です。両ホームの間は跨線橋で連絡しています。一つ池袋寄りの板橋とは異なり、駅前には繁華街と呼べるほどの商業地域は形成されておらず、住宅地の中にある郊外駅といった趣です。
出口は赤羽方面行きホームに北口、池袋方面行きホームの南口があり、それぞれ駅の北西側、南東側に出ることができます。
相対式ホーム2面2線から成る駅です。両ホームの間は跨線橋で連絡しています。一つ池袋寄りの板橋とは異なり、駅前には繁華街と呼べるほどの商業地域は形成されておらず、住宅地の中にある郊外駅といった趣です。
出口は赤羽方面行きホームに北口、池袋方面行きホームの南口があり、それぞれ駅の北西側、南東側に出ることができます。
メインとなっているのは北口で、「みどりの窓口」があるほか、駅前にはロータリーが整備され、その奥にはアーケード街「十条銀座商店街」が延びています。
一方、南口は非常に狭小で、また駅南側を通っている道路から細い通路を通って行くことになります。都内にあるJRの駅の中では、道路からなかなか目に付きにくい駅でしょう。
戦前は、さまざまな陸軍施設が駅の東側から南側にかけて広がっており、軍都として知られていました。現在も陸上自衛隊駐屯地がありますが、多くのスペースは大学やアパートなどに転用されています。
なお、京浜東北線の東十条駅は、十条駅から北東側に位置しています。
全列車が停車します。
西側から順に、1番線、2番線となります。
十条という統一された地名があるわけではなく、遅くとも明治時代には上十条と下十条に分かれており(下十条は、現在の東十条付近)、その後も十条台など多くの地名に用いられています。十条という駅名は、これら一帯を代表して付けられたものと考えられるでしょう。
十条という地名からは条里制を想起させますが、東京周辺には他に「条」の付く地名がなく、由来の詳細は不明です。
赤羽-品川が開通した当時には駅はありませんでしたが、1910年11月に設置されました。当初より旅客のみの扱いで、貨物営業は行われていません。
なお、現在の十条駅よりも南側に、貨物扱いのみの「十条駅」が1905年6月10日から1906年2月6日まで設置されていました。東京砲兵工廠託送貨物限定の駅でした。
確認中。
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