小郡の市街地を抜けて宝満川を渡ると、甘木鉄道は大分道から少し南に離れ、水田と工場が混在するようになり、間もなく筑前街道に発達した宿場町である、松崎に到着します。
島式ホーム1面2線から成る交換可能駅です。長らく、線内唯一の交換可能駅でしたが、2003年に大原信号所(立野-小郡)が設置され、また太刀洗駅の交換設備が復活したことにより、計3か所で列車交換が可能になりました。
島式ホームの両端から、それぞれ南東側および北西側へと通じる構内踏切があり、しめて2つの出口が設けられています。
南東側は駅前広場を備えた駅舎へ通じていますが、駅舎は無人化されたのちに改築された、待合室のみから成るプレハブのシンプルなものになっています。駅前広場にはロータリーが整備されていますが、その周囲が駐車場になっているとはいえ、草ぼうぼうで舗装も荒れており、何とも殺風景な光景が広がります。ロータリーからはすぐに国道500号線に出ることができ、それなりの集落になっていますが、この一帯も廃業して長井と思われる商店がそのままだったりと、お世辞にも景気がよさそうには見えません。近くに高校があるため、通学利用がそれなりにあるとは思われます。
いっぽうの北西側には、正面に大きな工場があり、利用者は工場への通勤客および訪問者に限定されていると思われます。
乗り場
番線表示は確認できませんでした。
駅名の由来
駅名の基となっている松崎の地名は、有馬豊範がこの地を拠点とし松崎藩としたことによります。それ以前は鶴崎という地名でしたが、鶴崎の名称は九州を中心に数多く、「松崎」に名称を変じた理由についてはよくわかりません。
歴史
甘木線開業当初からの駅です。
- 【1939年4月28日】 国有鉄道(鉄道省)甘木線の基山-甘木が開通した際、一般駅「筑前松崎」が開業。
- 【1972年2月9日】 この日かぎりで貨物営業廃止。
- 【1986年4月1日】 国鉄甘木線(第1次特定地方交通線指定)が甘木鉄道に転換、同社の駅となります。この際駅名を「松崎」に変更。
- 【1986年12月21日】 甘木線特殊自動閉塞導入に伴い、無人化。
- 【2006年7月4日】 豪雨による宝満川橋梁の橋脚破損に伴い、大板井-松崎間が不通となり、翌日より同区間がバス代行となります。松崎は代行バスとの接続駅に。
- 【2006年12月20日】 松崎-大板井間復旧。
周辺の見どころ
確認中。