釜ヶ崎と飛田の最寄り停留所

今池

いまいけ
Imaike
今池駅
▲今池駅ホーム《1996年2月20日撮影》
今池駅の掲示
【写真1】フトン持ち込み禁止を明記する掲示があるのは、土地柄を表しています。《2006年2月5日撮影》

南霞町を出てすぐの踏切を渡ると、電車は築堤を進み、登り切ったところにある駅が今池です。特に起伏が大きいわけでもないこの区間が築堤になっているのは、かつて天下茶屋から天王寺へ走っていた南海天王寺支線をオーバークロスしていたためで、同線が営業していたときには、南海今池駅との乗換駅になっていました。現在、廃止になった同線の線路跡は、直行している道路が多い中を斜めに抜けていますが、必ずしも有効に活用されているわけではないようで、公園として整備されたもののフェンスで覆われているところが多数見られます。

ホームは相対式になっており、浜寺公園方にある構内踏切で連絡、上りホーム南西側にある階段で下へ通じています。駅とそれ以外の区画が曖昧なものが多い阪堺電車としては珍しく、ホーム脇にはしっかりしたフェンスが設けられており、その外側は凹凸を施したコンクリートで固められています。また、ホーム上にはベンチの類はなく、殺風景なものです。これは、路上生活者が滞留するのを防ぐために取った対応と推測されます。

駅の西側には萩ノ茶屋本通商店街が延びています。厳重な警備が有名な西成警察署や、炊き出しなどが行われる東萩町公園(通称「三角公園」)などがあり、釜ヶ崎あるいはあいりん地区として知られる一角の東の玄関になっています。ホルモンの看板を掲げた安価な飲食店が軒を連ね、ディープな空気が広がっています。なお、治安がかなり悪いですので、散策の際には相応の心構えが必要です。

いっぽう駅の東側には今池本通商店街があり、これまた独特の空気がありますが、すぐ東側に堺筋があるせいか、西側に比べるとまだ落ち着いています。さらに東に進むと、大阪最大の歓楽街として名高い飛田新地が広がっています。

駅名の由来

確認中。

歴史

(旧)阪堺電気軌道が開業した際に、その中間駅として設置されました。1914年4月26日には、この駅の南側から西へ分岐する平野線が開業しています。その後、南海への合併、近鉄への合併、南海として再分離を経て、1949年6月20日には南海天王寺支線の今池町駅が開業し、乗換駅となりました。しばらくこの状態が続きましたが、1980年11月27日かぎりで地下鉄谷町線開業にあわせて南海平野線が廃止、1993年3月末かぎりで南海天王寺支線も廃止されたため、再び一中間駅となりました。

周辺の見どころ

確認中。

【阪堺線】 恵美須町南霞町今池今船松田町北天下茶屋聖天坂天神ノ森東玉出塚西東粉浜住吉住吉鳥居前細井川安立町我孫子道大和川高須神社綾ノ町神明町妙国寺前花田口大小路宿院寺地町御陵前東湊石津船尾浜寺駅前

2006年3月12日

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