河和線と知多新線とが分岐する駅。駅名とは裏腹に、コンパクトな木造駅舎に構内踏切から成る、こぢんまりとした駅です。
地平2面3線から成り、原則として、下り(河和方面および内海方面)ホームは片面で南東側に駅本屋が接し、上り(太田川方面)は島式ホームを使います。ただし、富貴以南のみの区間運転列車は、富貴駅内側ホームを使っています。
駅舎は木造平屋建て、切妻屋根を持っています。駅の出入り口と改札口、改札口とホームがいずれも直角の位置関係となっているのは、特に私鉄の地平駅舎でよく見られるスタイルですが、ここ富貴では、駅舎の屋根が出入り口側から見て直角になっており、切妻がホーム側を向いていることにあります。木造駅舎の屋根はホームと並行に設けられていることが多いなか、このように一般的なパターンと異なる設計にした背景はよくわかりませんが、いささか驚かされます。
さらに、玄関側、ホーム側(改札内)の双方に大きな庇が設けられています。これも、玄関側に独自の切妻を設けたものになっており、このため屋根がなかなかに複雑な形状をしているように見えます。
地味ながらも、独自の個性を表に出している駅舎とみるべきでしょう。
駅の周辺には集落が形成されているものの、特急停車駅としてはそう乗降客数が多いようでもなく、やはり路線の分岐駅という面が大きいようです。武豊町南部地区の玄関駅になっています。
停車列車 [2011年12月現在]
すべての列車が停車します。
乗り場
東側(駅本屋側)から順に、1番線、2番線、3番線となります。
- 1.河和線下り 河和方面/知多新線下り 内海方面
- 2.河和線上り 知多半田、太田川方面(一部、河和線下り河和方面、および知多新線下り内海方面)
- 3.河和線上り 知多半田、太田川方面(一部、河和線下り河和方面、および知多新線下り内海方面)
駅名の由来
富貴周辺には浦島太郎伝説が伝わっており、「浦島」や「竜宮」に関する地名や名称が数多く伝わっています。富貴の名称は、浦島太郎を背負った亀=負亀が転じて縁起のよい表記に落ち着いたものという説があります。
歴史
知多鉄道開業当時からの駅です。
- 【1932年7月1日】 知多鉄道により成岩-河和口間が開業した際、富貴駅開業。
- 【1943年2月1日】 知多鉄道が名鉄に合併、同社の駅となります。
- 【1974年6月30日】 知多新線・富貴-上野間間が開業、河和線との分岐駅となります。
周辺の見どころ
確認中。
参考リンク(外部サイト)
- 武豊町について ※武豊町観光協会