牧草地帯にポツンと孤立した駅
東追分 【廃止】
ひがしおいわけ Higashioiwake
- 石勝線
- 《南千歳方面》 追分 川端 《新得方面》
- ※隣接駅名は駅廃止直前のものです。
このページは、駅廃止前の情報をもとに記載しています。
相対式ホームを備えます
石勝線の列車は、室蘭本線を左に分けて東へと向かい、左手に牧草地が広がり、右手に防風林が整備されている中を進んでいきます。すると、突然スノーシェッドが現れてポイントを通過し、東追分駅に到着します。
相対式ホーム2面2線から成る交換可能駅です。もともと幹線として整備された石勝線は、すべての駅および信号場で列車交換が可能な構成になっており、長大貨物列車を想定して有効長も非常に長くなっています。
ホームは簡素なもので、もともとそう長いものではありませんが、私が上り普通列車から下車したときには前扉が出口直近にくる位置に停車し、後扉はホームからはみでていました。
両ホームの間は跨線橋で連絡
駅の出口は上りホーム新得方にある短い階段のみで、下りホームとの間は跨線橋で連絡しています。特に待合室と呼べる施設は設けられていないかわりに、跨線橋の出入口に扉があり、中に入るとやや広めのスペースが確保されています。
跨線橋には上屋がありますが、開閉可能なガラス窓があるため、駅の全景がよく見えます。前述のとおり、駅の北側は広大な牧草地帯になっています。
駅名表示は見られません
出口から外に出ると、未舗装の道路が線路に平行しています。しかし、この道路における駅名表示はまったく見られません。ホームと跨線橋があるから駅だとわかりますが、立派な設備が見えるものの駅名表示が皆無というのは珍しいケースです。用途ははっきりしないものの、鉄道関係の何らかの建物が出口近くに設けられていますが、これにもごく小さな管理票が貼られているのみで、東追分という駅がここにあることを利用者に示すものにはなっていません。
平行道路からは目に入りません
さらに、駅を視野に入れられるのは前述の未舗装の道だけですが、ここからほかの道路に出るまでのアクセスがけっこうやっかいな状態になっています。
駅から降りると、道路に平行して国道を高速で走っている自動車が目に入りますが、国道側からは線路を見ても駅がちょうど防風林の陰に隠れているため、見えなくなっています。自動車でこの駅を訪れようとした場合、GPSなどで位置情報を捕捉しながら移動する必要がありましょう。
もっとも、西側から耕地のあぜ道をたどれば8分ほどでこの道路には出ることはできます(私有地と思われるので通行の際には注意)。また東側に7分ほど進むと、南北の道(こちらも未舗装だが、自動車が容易に通れる程度)を通って外へと出ることはできます。
地形図には周辺道路なし
駅周辺には農牧業を営んでいると思われる農家が数戸、ぱらぱらと見えますが、集落と呼べるものは形成されていません。開拓されている平野部ではありますが、人の気配以前に生活感が感じられず、何かあっても誰にも気づかれないような感じになります。どうしてこの駅が設置されたのか、不思議な気もします。
石勝線本線の普通列車は本数が少ないことに加え、追分駅との距離は4kmと時間をかければ歩ける距離ではあるため、徒歩で向かおうとする人もいるでしょうが、駅所在地の確認には、十分な注意が必要です。なお、国土地理院発行の5万分の1地形図では、駅の周囲には道路が描かれていません。
利用者が非常に少ないため、2016年3月のダイヤ改正で廃止の方針が打ち出されています。
停車列車 [2015年11月現在]
基本的に普通列車が停車しますが、上り1本の普通列車は当駅を通過します。
歴史
1948年7月1日に札幌鉄道局によって設置された「小安平線路班」が前身で、当時は一部の列車が停車するのみでした。1965年3月1日に移転のうえ正式な駅となります。
- 1965年3月1日
- 国鉄夕張線の追分-川端間に、東追分駅が設置されます。
- 1981年6月1日
- 国鉄石勝線開業に伴い、千歳空港(現、南千歳)方に移転。
- 1987年4月1日
- 国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道の駅となります。
- 2012年2月16日
- 駅構内で貨物列車が逸走して脱線転覆する事故が発生(死傷者はなし)。
- 2016年3月25日
- この日かぎりで東追分駅廃止、翌日から信号場化。