駅構内には車庫が
日立市内に入った日立電鉄線はJR常磐線を越えて海側に出ると、すぐに常磐線と沿うように北へ向きを変え、久慈浜駅に至っています。
日立電鉄が最初に開業した区間は、この大甕と久慈浜の間でした。もともと日立電鉄の前身である常北電気鉄道は、幹線である常磐線の通らなかった常陸太田エリアと常磐線を短絡する目的で着工されたこともあり、日立市市街地は後から開業しています。
交換可能で島式ホーム1面2線を備えるほか、車両基地があり、側線には現在使われていない無蓋貨車などが眠っています。
このページは、日立電鉄廃止前の情報をもとに記載しています。
日立市内に入った日立電鉄線はJR常磐線を越えて海側に出ると、すぐに常磐線と沿うように北へ向きを変え、久慈浜駅に至っています。
日立電鉄が最初に開業した区間は、この大甕と久慈浜の間でした。もともと日立電鉄の前身である常北電気鉄道は、幹線である常磐線の通らなかった常陸太田エリアと常磐線を短絡する目的で着工されたこともあり、日立市市街地は後から開業しています。
交換可能で島式ホーム1面2線を備えるほか、車両基地があり、側線には現在使われていない無蓋貨車などが眠っています。
しっかりした鉄筋の駅舎を構えた有人駅で、平日の朝夕のみ駅員が配置されて業務を行っていました。この久慈浜を境に、太田側では起点の常北太田を除いて駅舎のない完全無人駅、鮎川側では(時間帯に応じて)駅舎があり駅員が配置される駅と、営業上の区別がなされていました。なお、列車運行上の境界は、JR常磐線との境界駅である大甕でした。
駅周辺はちょっとした商店街となっていました。
駅本屋と反対側から順に、1番線、2番線となります。
確認中。
開業当初は「久慈」と称しましたが、翌1929年の8月15日に「久慈浜」と改称されました。