ローカル線らしい風景が広がっていました
2面3線のほかに多くの側線が広がっており、ラッシュ時間帯以外はここで多くの電車が止まっていました。ホームの間は構内踏切で行き来していました。
このページは、日立電鉄廃止前の情報をもとに記載しています。
2面3線のほかに多くの側線が広がっており、ラッシュ時間帯以外はここで多くの電車が止まっていました。ホームの間は構内踏切で行き来していました。
駅舎は2つのホームから階段を降りた南側にありました。鉄筋2階建ての、事務所に近い雰囲気の駅舎で、駅よりも関連企業である日立電鉄観光のほうが大きくアピールされていました。それでも西側区間における唯一の有人駅で、駅員が常駐していました。
JRの常陸太田駅は道路を挟んで反対側に位置していました。
「常北」は、同駅が常北電気鉄道(1944年8月13日に日立電鉄に改称)の手によって開業し、先行開業していた国有鉄道(旧太田鉄道)の常陸太田と区別するために付したものでしょう。
詳細は確認中。