本州側海底駅はケーブルカーと接続

竜飛海底 【廃止】

たっぴかいてい Tappikaitei
竜飛海底駅
▲竜飛海底駅ホーム《2012年10月19日撮影》

このページは、駅廃止前の情報をもとに記載しています。

ホームへの乗降も見学者のみ

竜飛海底駅から下車する際の出口は1個所のみ
【写真1】竜飛海底駅から下車する際の出口は1個所のみ。《2012年10月19日撮影》

一般的に「駅」といえば、旅客または貨物をそこまで運び、かつ降ろす、あるいはその逆に載せ、そこから運ぶためのものです。ところが、この竜飛海底駅では、この駅単独で外部に出ることができなくなっています。実際には、青函トンネル記念館のケーブルカーへとつながっているため、施設の外に出ること自体はできますが、駅周辺の住民がこの駅から列車に乗ることはできなくなっています。

このような不思議な「駅」ができたのは、青函トンネル内に設けられた避難用の「定点」について、見学目的で開放するために駅扱いになったためです。青函トンネルには、旅客の緊急避難所、各種保守用設備や機械などの維持管理施設として、青森県側に「竜飛定点」、北海道側に「吉岡定点」が設けられましたが、竜飛海底駅は前者が「駅」となりました。このように、当初は一般の旅客を扱うことを想定していなかったため、ホームは非常に狭くなっています。

竜飛海底、吉岡海底の両駅は、開業当初より一般旅客は利用できず、定員制の見学整理券を持っている旅客のみが見学できる形態を取っています。この「見学整理券」は、当初は青函トンネルの長さ53.9kmを基に「ゾーン539カード」と呼ばれていましたが、いつしか「海底駅見学整理券」という、面白みも何もない名称になってしまいました。また、見学コースも、かつては海底駅単独見学のものと、青函トンネル記念館見学込みのものとがあり、便数も多かったのですが、2013年5月現在「竜飛海底駅・青函トンネル記念館見学コース」の2コースのみと、かなり寂しくなっています。いずれにせよ、実質的にはツアー客専用駅といえる状態になっています。

下車後は速やかに本坑から離れます

竜飛海底駅を発車していく列車
【写真2】竜飛海底駅を発車していく列車。写真の通路は、本坑から外へ出るための連絡誘導路。《2012年10月19日撮影》

竜飛海底駅で開くドアは1カ所のみで、私が上り列車から下車したときは2号車のみでした。このため、竜飛海底駅が近づくと、2号車付近に集まるようにという車内放送が流れます。

列車は、線路と垂直方向のトンネル部分にぴったりと止まります。扉が開く前に、まず車掌の1人がホームに降りて安全を確認してから、別の車掌が扉を開けます。ひと駅のために、なかなか大変な作業を伴うものです。どうやら2号車と指定されているのは、車掌室がすぐ近くにあるためのようです。

列車が発車する際には、速やかに先へ進むように促されます。列車が発車する際の風圧も大きいので、素直に引き下がりましょう。

ここで「垂直方向のトンネル」と書きましたが、これは本坑(列車が走るメインの坑道)に停車した列車から避難する際の経路として使われる、連絡誘導路です。連絡誘導路は複数設けられており、長編成の列車でも迅速に本坑から脱出できるようになっています。ここから、線路と並行する作業坑を進んでいきます。

まずは待合室からスタート

待合所
【写真3】列車を降りて少し歩いたところにある待合所。ここで荷物を預けます。《2012年10月19日撮影》

作業坑に出て、ここからガイドの人の指示に従って行動します。1993年に最初に訪れたときはJR北海道の社員が案内していましたが、2012年に再訪した際には国鉄OBのボランティアの方がガイドを担当していました。

ホームからほど近い場所にベンチがあり、ここで荷物を預けることになります。預けるといっても、鍵のかかる鉄の籠に収納するだけですが、この先は意外と起伏が大きいので、重い荷物はすべて置いておくのがよいでしょう。これが写真機材関係となるとそうもいかないのですが。

作業坑がいくつも分岐

作業坑の分岐
【写真4】あちこちで作業坑が分岐しています。かつて使われていたトロッコ用のレールがところどころに残されています。《2012年10月19日撮影》

この先では、作業坑があちこちで複雑に分岐します。実際に見学できるのはごく一部ですが、それでも実際に歩いてみれば迫力は満点です。

工事中に使われていたトロッコ用のレールが、随所に残っています。さびや摩耗の状態を見るかぎり、再利用を考慮しているとは思えず、見学用に残してあるだけでしょう。地中ということもあって湿度がかなり高く、一方で気温は季節を通してほとんど変わらないようです。

しばし歩いて定点へ

竜飛定点を示す標識
【写真5】竜飛定点を示す標識。《2012年10月19日撮影》

いよいよ旅客用の避難所にくると、竜飛定点を示す標識が掲示されています。この付近にはさまざまな案内掲示がなされていますが、避難用スペースということで壁面に変化が少なく、掲示用のスペースとしてももってこいなのでしょう。

避難所には長大なベンチが

避難所
【写真6】避難所。公衆電話(利用可能)や便所もあります。《2012年10月19日撮影》

避難所には、実に1,000人が着席できるという長大なベンチが設けられています。また、少し奥の方には便所があるほか、公衆電話も置かれています。公衆電話は、1993年9月ではカード式の緑色のものだったはずですが、2012年10月には現金専用のピンク色のものに変わっていました。

かつての“水族館”は使われずに

「竜宮水族館」の跡
【写真7】「竜宮水族館」は打ち棄てられていました。《2012年10月19日撮影》

かつては、付近の海域で生息している魚を目の当たりにできる「竜宮水族館」がありましたが、再訪した際には事実上打ち棄てられていました。近くにあった竜飛海底駅のジオラマも痛みが激しく、ほとんど手入れされていないようです。

やはりトンネルの営業開始から四半世紀を経過すると、観光施設としても設備の劣化が否めないようで、これは残念でした。

排煙制御のための隔壁が

送風調整用の隔壁
【写真8】火災発生時の排煙のために適切に送風する目的で、2個所の隔壁が設置されています。開扉の瞬間にはかなりの風圧を感じます。《2012年10月19日撮影》

この先には、2カ所の隔壁があります。これは、火災発生用の排煙をスムーズに行うため、トンネル内の気圧を調整する目的で置かれています。この隔壁がなければ、トンネル内に常に強風が吹き荒れることになります。また、2カ所の隔壁の扉を同時に開けることはなく、必ず1カ所ずつ開け閉めすることになっています。それでも、隔壁の扉が開けられる際には、かなりの風圧を感じました。

奥にはケーブルカー

ここから奥は青函トンネル記念館のエリア
【写真9】ここから奥は青函トンネル記念館のエリア。《2012年10月19日撮影》

竜飛海底駅は、青函トンネル記念館の「体験坑道」施設とつながっています。2013年5月時点での竜飛海底駅見学コースは、青函トンネル記念館見学込みのため、竜飛海底駅(JR北海道管理)と体験坑道(青函トンネル記念館管理)の境目を意識することはありませんが、逆に記念館側から入ってきた場合は、JRの敷地内には入れないため、この境界部分で引き返すことになります。ここから奥は、体験坑道駅を参照してください。

以前は通年見学可能でしたが、青函トンネル記念館見学込みのみとなってからは、冬季の見学を行っていません。理由は単純で、青函トンネル記念館は冬季休業となるためです。

北海道新幹線の建設工事に伴い、相棒といえる吉岡海底駅は見学を中止していますが、竜飛海底駅も、2014年春に見学を終了、両海底駅とも廃止されることとなり、竜飛海底駅見学も2013年11月10日で終了することとなりました[1]。新幹線開業後の青函トンネルに在来線列車が走ることは考えられず、海底に列車を停車させることは困難なためでしょう。

停車列車 [2013年5月現在]

一般的な停車駅を示してもあまり意味がないので、竜飛海底駅見学が可能な便を示します。

乗り場

番線表示は確認できませんでした。

駅名の由来

竜飛定点によるものです。なお、吉岡海底駅とは異なり、竜飛海底駅の施設は地中にあり海底ではありません。

歴史

詳細は確認中。

1988年3月13日
海峡線開業に合わせて、竜飛海底駅開業。
2014年3月14日
この日かぎりで竜飛海底駅廃止[2]

周辺の見どころ

駅そのものが観光施設です。駅の外については、青函トンネル記念館を参照のこと。

  1. JR北海道ニュースリリース「駅の営業終了について」[PDF](2013年9月13日)。
  2. JR北海道ニュースリリース「平成26年3月ダイヤ改正について」[PDF](2013年12月20日)。

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