重安駅といえば、貨物好きに限らず鉄道ファンにとってはなじみの深い駅。大量輸送に特化した鉄道貨物の利点を活用した原材料輸送で活躍してきた車扱貨物の代表格ともいえる石灰石輸送の搬出駅として、隣接する美祢とともに大活躍をしてきました。しかし時代とともに石灰石輸送もトラック輸送へと転換が進み、2009年10月18日に最終貨物列車がこの重安を発車し、その幕を閉じています[1]。
貨物輸送が盛んだった当時の設備もその多くが撤去されており、現在残っている鉄道施設は、おそらく開業当初から使われていると思われる駅舎と、そこから構内踏切で通じる島式ホーム1面2線と待合室、それに側線2線。これがすべてです。駅本屋に接した部分はごく短いホームになっているので、これをあわせて2面3線と呼ぶべきなのかもしれませんが、少なくとも旅客列車が利用している設備は以上がすべてです。
ホームに立って長門市方を見ると、右手にやたらと草むした一角があります。これはかつて貨物列車が出入りしていたところで、石灰石を満載していた貨車が並び、また連結作業を行うため機関車が構内をいったりきたりしていました。作業にあたる係員も多く、駅構内は賑わっていましたが、今となってはその雰囲気をうかがうことはできません。
また、駅構内の上空を東西に横断するような形で、採掘した石灰石を貨車へ積み込むホッパーが延びていましたが、貨物輸送が終了した現在では線路の上の部分は撤去されており、取り残された形になっている東側のホッパー残骸が空しくそびえています。
ホーム上には「石灰石」「大理石」と記された案内板がありましたが、これがなんと大理石で作られていました。文字の部分はかつて黒く塗られていたようですが、一文字ずつが彫り込まれているため、塗りが流れてしまった今でも判読は容易です。観光案内などがホームに掲示されているのはよく見られますが、大理石を使った掲示というのは本邦唯一ではないでしょうか。
石灰石の採掘は現在でも駅の西側で大規模に行われており、機械が稼働する音とともにときおり白煙が上がるなど、鉱山地区らしい光景が今でも健在です。駅前には小商店や食料品店が並びますが、かつての炭鉱町のように一帯が鉱山都市化しているわけではなく、集落としては小規模のものにとどまっています。
乗り場
駅本屋側(西側)から順に、2番線、3番線となります。駅本屋前の小ホームが1番線と思われますが、番線表示は確認できませんでした。
- 2.美祢線下り 長門市方面
- 3.美祢線上り 美祢、厚狭方面
駅名の由来
確認中。
歴史
詳細は確認中。
- 【1916年9月15日】 美祢軽便鉄道により伊佐(現、南大嶺)-重安間が開業した際、重安駅開業。
- 【1920年6月1日】 美祢軽便鉄道の国有化に伴い、国有鉄道(鉄道省)美禰軽便線の駅となります。
- 【1920年10月30日】 重安-於福間が開通、中間駅となります。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR西日本およびJR貨物の駅となります。
- 【2010年7月15日】 豪雨により美祢線が全線で不通。
- 【2011年9月26日】 美祢線が全線復旧、営業再開。
周辺の見どころ
確認中。
- 山口新聞「さよなら石灰石列車 美祢線、ファンら惜しむ」(2009年10月19日)。