かつての貨物王国は半廃墟化

重安

しげやす
Shigeyasu
重安駅
▲重安駅駅舎《2011年10月2日撮影》
重安駅本屋側よりホームを望む
【写真1】重安駅本屋側よりホームを望む。《2011年10月2日撮影》

重安駅といえば、貨物好きに限らず鉄道ファンにとってはなじみの深い駅。大量輸送に特化した鉄道貨物の利点を活用した原材料輸送で活躍してきた車扱貨物の代表格ともいえる石灰石輸送の搬出駅として、隣接する美祢とともに大活躍をしてきました。しかし時代とともに石灰石輸送もトラック輸送へと転換が進み、2009年10月18日に最終貨物列車がこの重安を発車し、その幕を閉じています[1]

貨物輸送が盛んだった当時の設備もその多くが撤去されており、現在残っている鉄道施設は、おそらく開業当初から使われていると思われる駅舎と、そこから構内踏切で通じる島式ホーム1面2線と待合室、それに側線2線。これがすべてです。駅本屋に接した部分はごく短いホームになっているので、これをあわせて2面3線と呼ぶべきなのかもしれませんが、少なくとも旅客列車が利用している設備は以上がすべてです。

重安駅より長門市駅方面を望む
【写真2】重安駅より長門市駅方面を望む。《2011年10月2日撮影》

ホームに立って長門市方を見ると、右手にやたらと草むした一角があります。これはかつて貨物列車が出入りしていたところで、石灰石を満載していた貨車が並び、また連結作業を行うため機関車が構内をいったりきたりしていました。作業にあたる係員も多く、駅構内は賑わっていましたが、今となってはその雰囲気をうかがうことはできません。

また、駅構内の上空を東西に横断するような形で、採掘した石灰石を貨車へ積み込むホッパーが延びていましたが、貨物輸送が終了した現在では線路の上の部分は撤去されており、取り残された形になっている東側のホッパー残骸が空しくそびえています。

重安駅の観光案内板
【写真3】重安駅の観光案内板は、なんと大理石製でした。《2011年10月2日撮影》

ホーム上には「石灰石」「大理石」と記された案内板がありましたが、これがなんと大理石で作られていました。文字の部分はかつて黒く塗られていたようですが、一文字ずつが彫り込まれているため、塗りが流れてしまった今でも判読は容易です。観光案内などがホームに掲示されているのはよく見られますが、大理石を使った掲示というのは本邦唯一ではないでしょうか。

重安駅西側の採掘場を望む
【写真4】重安駅西側の採掘場を望む。《2011年10月2日撮影》

石灰石の採掘は現在でも駅の西側で大規模に行われており、機械が稼働する音とともにときおり白煙が上がるなど、鉱山地区らしい光景が今でも健在です。駅前には小商店や食料品店が並びますが、かつての炭鉱町のように一帯が鉱山都市化しているわけではなく、集落としては小規模のものにとどまっています。

乗り場

駅本屋側(西側)から順に、2番線、3番線となります。駅本屋前の小ホームが1番線と思われますが、番線表示は確認できませんでした。

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

周辺の見どころ

確認中。


  1. 山口新聞「さよなら石灰石列車 美祢線、ファンら惜しむ」(2009年10月19日)。

【美祢線】 厚狭湯ノ峠厚保四郎ヶ原南大嶺美祢重安於福渋木長門湯本板持長門市

2011年10月11日

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