北九州のかつての港湾拠点

若松

わかまつ Wakamatsu
若松駅
▲若松駅駅舎《2005年3月10日撮影》

 

若松駅ホーム
【写真1】若松駅ホームは堂々とした広いもので、多数の乗客がいた時代があったことをしのばせます。《2005年3月10日撮影》

旧若松市の中心駅で、1面2線の頭端式ホームを持っています。筑豊炭田の全盛期にはここから大量の石炭が船へと巨大なクレーンで積み出されたといわれます。

駅舎は比較的新しい鉄筋の駅舎で、北九州市内のほかの主要駅に比較すると、ずいぶんコンパクトにまとまっているという印象を受けます。駅舎が洞海湾側に妙に長く延びているのは、かつて貨物の扱いでにぎわった名残でしょうが、現在では貨物扱いの跡地は住宅や駐車場に転用されています。駅には簡易型自動改札機が導入されています。立ち食いうどんのスタンドもあり、ご当地駅弁「かしわめし」が販売されています。

駅周辺は商店街が形成されています。駅前から海にかけては古い建物が多く並んでおり、門司と同様、往事の賑わいを感じさせますが、こちらはほとんど観光地化されていないようで、レトロなビルに「テナント募集」の張り紙が色あせていたりします。戸畑に向けた渡し船が出ており、若戸大橋の下を通ります。

乗り場

確認中。

駅名の由来

若松という地名の由来は、恵比須神社の『恵比須神社縁起』に書かれています。それによると、仲哀天皇と神功皇后が熊襲を征伐したとき、洞の海に霊石を見つけ、これを神体としてまつり、神社の海辺に小松を植えました。このとき、お供をしていた武内宿弥が、「海原の滄瞑たる、松の青々たる、我が心も若し」(注釈省略=引用者注)と言ったことから、「若松」の地名になったと伝えられています[1](ルビは引用者によって省略)とのこと。

歴史

筑豊興業鉄道の手によって開業し、筑豊から産出される石炭の搬出に活躍しました。

1891年8月30日
筑豊興業鉄道によって若松-直方が開通した際に若松駅として開業。
1897年10月1日
筑豊鉄道(1894年8月に筑豊興業鉄道が改称)が九州鉄道に合併され、九州鉄道の駅となります。
1907年7月1日
九州鉄道が国有化されます。
1982年11月14日
甲種車両を除く貨物扱い廃止。
1984年1月31日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR九州の駅となります。
2017年3月4日
朝の通勤通学時間帯のみ駅員配置となり、それ以外の時間帯は無人(遠隔管理)となります[2]

周辺の見どころ

石炭の積み出し港として繁栄した往事をしのばせる古い建造物が多く残っています。門司港とは異なり観光地化が進んでいないため、落ち着いた雰囲気とわびしい雰囲気が同居しています。その一方で、歴史的建造物の荒廃も進んでいるように見受けられ、今後がいささか心配です。

旧古河鉱業若松ビル

駅から東へ、徒歩4分。レンガ造り2階建て(一部3階建て)の建物で、道路のコーナー部分にアールを持たせて円筒形の塔がトレードマーク。優美さを示しつつも、大正時代にこのデザインはなかなか華美に感じられたことでしょう。1919年建造、現在では旧若松市のシンボル的な存在になっています。国登録有形文化財。見学無料。

◆ 訂正 ◆

  • 「歴史」欄にて「九州鉄道の手によって開業して」と記しておりましたが、若松-直方間は九州鉄道ではなく筑豊興業鉄道によって開業しており、九州鉄道に合併されたのは1897年10月のことです。訂正いたします。(2008年11月21日)
  1. 地名の由来」(北九州市公式Webサイト、2017年6月24日確認)。ただし、引用元である若松恵比須神社が歴史的にどこまで遡及できるかの記述はなく、単なる瑞祥地名を後付で説明した可能性も考えられます。
  2. JR九州プレスリリース「筑豊本線の一部が「Smart Support Station」に変わります」[PDF](2017年2月3日)。

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