村の中心街から離れた位置に
弘前方面からみて最後の交換可能駅である田舎館は、駅名のとおり田舎館村に存在している駅ではありますが、同村高樋地区は村の東端に位置しており、田舎館村の中心地区である田舎館地区とは大きく離れています。この村では、東の端に田舎館駅、西の端にJR川部駅があるという形になっており、旧国鉄が「田舎館」の名称を駅名に使わなかったことから、戦後に延伸された弘南線の駅名に採用されたというのが妥当のようです。
弘前方面からみて最後の交換可能駅である田舎館は、駅名のとおり田舎館村に存在している駅ではありますが、同村高樋地区は村の東端に位置しており、田舎館村の中心地区である田舎館地区とは大きく離れています。この村では、東の端に田舎館駅、西の端にJR川部駅があるという形になっており、旧国鉄が「田舎館」の名称を駅名に使わなかったことから、戦後に延伸された弘南線の駅名に採用されたというのが妥当のようです。
島式ホーム1面2線から成りますが、この駅でもやはりかつては農産物の搬出が盛んに行われたようで、貨物ホームの跡が残っているほか、構内はかなり広くなっています。
駅舎は木造モルタル平屋建てで、正面から見て奥側のほうがやや幅広になっています。この駅舎で目を引くのは、何といってもその特異な屋根でしょう。
この駅舎は、奥の事務室部分は平凡な切妻屋根ですが、旅客が出入りする正面側は段違い屋根にしているというもの。確かに冬季の積雪が多い地域ではありますが、特にこのようなスタイルを積極的に取り入れる理由としては弱いと思われます。駅が設置された1950年代という時節柄、新しい時代を感じさせるモダニズム建築をとりいれることで、駅の存在をアピールしたのでしょうか。
改札口へ向かうには、ホーム黒石方にある構内踏切を渡ることになります。ここもかつては側線が通っていたとみられますが、現在はすべて撤去されています。
駅舎のホーム側出入口部分には小屋根が設けられており、これを支える部分には緩やかなアールがあって、ソフトなトーンになっています。壁面には除雪用の機材などが見られ、冬季の作業用拠点になっているようです。
駅舎は、全体とも平屋になっています。正面から奥に向けて流れ屋根になっているのですが、天井が設けられていないため、この屋根の傾斜が駅舎の中にもはっきり見て取れます。
待合室は特に広いわけではありませんが、室内が暗くならないように小さな隙間にも窓が設けられており、冬でも電車を抵抗なく待てる空間に仕上がっています。
現在は完全無人化されていますが、かつては駅員が常駐しており、小荷物の窓口と思われる窓も残っています。
玄関脇には、売店があったと思われ、小スペースが確保されています。
駅舎正面には駅名が大書されていますが、よく見るとその上側にも駅名が彫り込まれています。開業当時の駅名表示はどのようになっていたのでしょうか。また、玄関脇には板で塞がれたスペースがありますが、かつては売店でもあったのでしょうか。
駅の周辺には複数の大きな農業倉庫があり、この周辺が一大農業生産地であることをうかがわせます。周辺には民家がぽつぽつあるほか、オリンパスの工場が徒歩圏内に立地しているものの、鉄道での通勤利用が少ないことは、閑散としている駅前から推測できます。
戦後派という表現が適切かどうかはわかりませんが、そんなにおいを感じさせるこの駅舎も、今となっては少ない利用者が、ただ通り過ぎるだけの存在になってしまい、寂しいかぎりです。
番線表示は確認できませんでした。
確認中。
弘南線延長開業時に設置された駅です。
確認中。