2020年7月4日に発生した令和2年7月豪雨に伴う災害のため、肥薩線は八代-吉松間が運休となっています。(2020年7月24日現在)
大畑駅と同様、3線式スイッチバックとなっている駅で、通過線がないため全列車がZ状に折り返し運転を行います。駅そのものの急勾配の克服ではなく、蒸気機関車の拠点として設けられたという点でも、大畑と共通していますが、スイッチバックによって上り下りする勾配差はかなり大きく、駅舎から見ると、規模の大きさに圧倒されます。
真幸の集落は吉都線の京町温泉駅付近にありますが、現在の肥薩線のほうが早く開通し、真幸地区への最寄り駅として付けられた駅名が残っています。1986年11月に無人化されるまでは、縁起の良い駅名として、入場券がよく売れていました(現在でも、吉松や人吉で発売はしているようです)。
真幸駅の名物は、枯山水庭園のごとくきれいに掃き清められている、ホームと駅舎の間の一角です。1986年11月に無人化されて以降は一時期荒れたということですが、現在は再びきれいに整備されています。
真幸駅から南東方面には、京町温泉を中心とした真幸集落があり、スイッチバック上を行き来する列車の窓から、遠く眺めることができます。矢岳駅を出てトンネルを抜けてから、下り線進行方向左側に広がる風景は、肥薩線の白眉ですが、それはこの真幸駅まで断続的に続きます。
ホームは1面2線島式で、ホーム中ほどには発車の際などに用いられてきた鐘があります。現在では「幸せの鐘」と名付けられており、「いさぶろう」「しんぺい」に乗ってきた旅客の記念写真スポットとなっています。また、半ばオブジェと化した大岩が鎮座していますが、これは1972年7月6日に発生した大水害の置きみやげです。
歴史
人吉-吉松開通後、1911年3月に開業しましたが、当初は運転扱いを行うのみでした。一般運輸営業を開始したのは、5月11日のことです。当時は吉都線も日豊本線も開業しておらず、宮崎県では最初に開業した駅でした。
終戦直後、退役軍人を乗せた旅客列車がトンネル途中で登り切れなくなり、蒸気機関車の煤煙に耐えられず避難しようとした列車に轢かれて50名以上の死者を出した事故や、前述の大水害で駅全体が土砂に埋まる(この際には、奇跡的に死傷者はなしでした)など、「幸せ」と縁の遠い歴史を持つ駅でもあります。
略年表(クリックまたはタップで開閉)
- 1911年(明治44年)5月11日
- 開業。
- 2020年(令和2年)7月4日
- 令和2年7月豪雨に伴う水害に伴い、肥薩線・八代-吉松間が運休。
その他
- 経済産業省、真幸駅を「近代化産業遺産群33」を構成する産業遺産として認定。[2007年11月30日発表]