山里の中の終着駅

伊勢奥津

いせおきつ Iseokitsu
伊勢奥津駅
▲伊勢奥津駅駅舎《2005年7月24日撮影》

 

八幡地域住民センター
【写真1】新駅舎は、八幡地域住民センターの東側部分になっており、フラットに出入りできる形になっています。《2005年7月24日撮影》

雲出川に沿って渓谷を上ってきたディーゼルカーは、西へと向きを変えると、盆地状に開けたところに出ます。ここに奥津(おきつ)の集落が形成されており、ディーゼルカーは速度をしだいに落として、伊勢奥津に到着します。

駅舎は、伊勢八知と同様、自治体による「八幡地域住民センター」の一角に組み込まれています。丸太をそのまま組み合わせた建物で、真新しいこともあってきれいで明るいつくりになっています。

駅への玄関部分は、すべて現地で産出されたスギが使われているそうです。待合室内のベンチまでスギというのですから、豪勢なもの。なお、無人化されたのちに作られたにもかかわらず、なぜかシャッターの降りている窓があるのですが、簡易委託業務を行う予定でもあるのでしょうか。

 

伊勢奥津駅旧駅舎
【写真2】2004年まで使われていたという、伊勢奥津駅旧駅舎。板張りや玄関付近のつくりなどは、伊勢竹原の駅舎とほぼ同じです。《1994年7月27日撮影》

かつては、伊勢竹原とほぼ同じスタイルの、板張りの木造駅舎があり、無人化されたのちもそのまま使われてきましたが、やはり老朽化が著しかったのでしょうか、解体されています。なお、新駅舎の位置は、旧駅舎よりもやや奥のほうに移動しているようです。

 

伊勢奥津駅ホーム
【写真3】かつて島式ホームの1面2線でしたが、現在は1面1線というもっともシンプルな終着駅になっています。《2005年7月24日撮影》

私が最初に下車したときは、島式ホーム1面2線のほかに側線があるという、旅客扱いのみの無人駅としては出色の規模を誇っていました。広い構内は、終着駅としての貫禄を持っていたともいえます。名張までの開業が最終目標だっただけに、終着駅として立派だった伊勢奥津に降りたったとき、やや複雑な感慨を抱いたものです。

現在は、ホームこそかつてのままですが(ホームの両側に点字ブロックが埋められているのがその名残)、レールが残っているのは1線のみで、反対側の線と側線は、地域住民センターおよび駐車場に飲み込まれています。

 

給水塔
【写真4】蒸気機関車時代に使われていた給水塔だけが、なぜか解体されずに残っていました。《2005年7月24日撮影》

レールの先には、蒸気機関車時代に使われていた給水塔が残っていました。伊勢奥津駅の設備が、ホームをのぞいて全面的にリニューアルされただけで、これだけが手つかずだったのは意外です。そうかといって、産業文化財として保存されているといった雰囲気でもなく、放置されているという表現が妥当でしょう。

駅周辺は静かな集落で、駅前には小規模な個人商店なども見られますが、空き家になっている住宅も見られました。

駅前から名張へ向かう路線バスが走っており、これによって、名張と松阪を連絡することはできますが、1日3往復と便数が極端に少なく、乗り継ぐ人はほとんどいないでしょう。

駅名の由来

確認中。

歴史

名松線の最終区間に設けられました。この時点ではすでに参宮急行電鉄が桜井と伊勢地方を結んでおり、名松線の存在意義は低下していました。

1935年12月5日
国有鉄道(鉄道省)によって名松線の家城-伊勢奥津間が開業した際、伊勢奥津駅開業。
この日かぎりで貨物営業廃止。
1982年8月1日
台風10号豪雨に伴い、名松線が全線で運休、バスによる代行運転を実施(9月1日までに松阪-伊勢竹原間は復旧)。
1983年6月1日
名松線が全線復旧、運転再開。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東海の駅となります。
2009年10月8日
台風18号豪雨に伴い、名松線が全線で運休。同区間はバスによる代行運転を実施(15日、松阪-家城間は復旧)。
2016年3月26日
家城-伊勢奥津間が復旧、運転再開[1]

周辺の見どころ

確認中。

  1. JR東海プレスリリース「名松線(家城駅~伊勢奥津駅間)運行再開 出発式について」 (2016年3月2日)。

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