雲出川に沿って渓谷を上ってきたディーゼルカーは、西へと向きを変えると、盆地状に開けたところに出ます。ここに奥津(おきつ)の集落が形成されており、ディーゼルカーは速度をしだいに落として、伊勢奥津に到着します。
駅舎は、伊勢八知と同様、自治体による「八幡地域住民センター」の一角に組み込まれています。丸太をそのまま組み合わせた建物で、真新しいこともあってきれいで明るいつくりになっています。
駅への玄関部分は、すべて現地で産出されたスギが使われているそうです。待合室内のベンチまでスギというのですから、豪勢なもの。なお、無人化されたのちに作られたにもかかわらず、なぜかシャッターの降りている窓があるのですが、簡易委託業務を行う予定でもあるのでしょうか。
かつては、伊勢竹原とほぼ同じスタイルの、板張りの木造駅舎があり、無人化されたのちもそのまま使われてきましたが、やはり老朽化が著しかったのでしょうか、解体されています。なお、新駅舎の位置は、旧駅舎よりもやや奥のほうに移動しているようです。
私が最初に下車したときは、島式ホーム1面2線のほかに側線があるという、旅客扱いのみの無人駅としては出色の規模を誇っていました。広い構内は、終着駅としての貫禄を持っていたともいえます。名張までの開業が最終目標だっただけに、終着駅として立派だった伊勢奥津に降りたったとき、やや複雑な感慨を抱いたものです。
現在は、ホームこそかつてのままですが(ホームの両側に点字ブロックが埋められているのがその名残)、レールが残っているのは1線のみで、反対側の線と側線は、地域住民センターおよび駐車場に飲み込まれています。
レールの先には、蒸気機関車時代に使われていた給水塔が残っていました。伊勢奥津駅の設備が、ホームをのぞいて全面的にリニューアルされただけで、これだけが手つかずだったのは意外です。そうかといって、産業文化財として保存されているといった雰囲気でもなく、放置されているという表現が妥当でしょう。
駅周辺は静かな集落で、駅前には小規模な個人商店なども見られますが、空き家になっている住宅も見られました。
駅前から名張へ向かう路線バスが走っており、これによって、名張と松阪を連絡することはできますが、1日3往復と便数が極端に少なく、乗り継ぐ人はほとんどいないでしょう。
歴史
名松線の最終区間に設けられました。この時点ではすでに参宮急行電鉄が桜井と伊勢地方を結んでおり、名松線の存在意義は低下していました。
- 1935年12月5日
- 国有鉄道(鉄道省)によって名松線の家城-伊勢奥津間が開業した際、伊勢奥津駅開業。
- この日かぎりで貨物営業廃止。
- 1982年8月1日
- 台風10号豪雨に伴い、名松線が全線で運休、バスによる代行運転を実施(9月1日までに松阪-伊勢竹原間は復旧)。
- 1983年6月1日
- 名松線が全線復旧、運転再開。
- 1987年4月1日
- 国鉄の分割民営化に伴い、JR東海の駅となります。
- 2009年10月8日
- 台風18号豪雨に伴い、名松線が全線で運休。同区間はバスによる代行運転を実施(15日、松阪-家城間は復旧)。
- 2016年3月26日
- 家城-伊勢奥津間が復旧、運転再開[1]。