電化区間の中間駅で唯一交換可能

会津荒海

あいづあらかい
Aizuarakai
会津荒海駅
会津荒海駅。2020年1月24日

まとまった集落に

会津荒海駅ホーム(奥は西若松方)
写真1会津荒海駅ホーム(奥は西若松方)。2020年1月24日

国道沿いに進んだ会津鉄道線ですが、線路の東側に民家がある程度まとまるようになると、会津荒海駅に至ります。

相対式ホームの交換可能駅

会津荒海駅で行き違いを行う列車
写真2会津荒海駅で行き違いを行う列車。2020年1月24日

相対式ホーム2面2線から成る交換可能駅です。会津鉄道電化区間の中間駅では唯一の交換可能駅ということもあってか、当駅で行き違いを行う便が多いようです。なお【写真2】左側の特急「リバティ」は運転停車(列車は止まるが客扱いをしない)でした。

構内踏切は実質的に自由通路

会津荒海駅構内踏切
写真3会津荒海駅構内踏切。2020年1月24日

2つのホームの間は構内踏切で連絡しています。無人駅ということもあって、実質的に駅の東西を横断する通路として利用されているようで、私が滞在しているときには自転車で駅の東側から西側へと抜けていった人がいました。

ラッチの痕跡が

ホームから駅改札口を見る
写真4ホームから駅改札口を見る。2020年1月24日

前述の通り現在は無人駅ですが、ホームから駅舎を見ると、改札口の痕跡がうかがえます。

駅舎内には除雪車

会津荒海駅駅舎内
写真5会津荒海駅駅舎内。2020年1月24日

駅舎自体は有人駅運用を想定していたものと思われますが、現在では完全に無人化されており、出札窓口にも内側からシェードが降りており中をうかがうことはできなくなっています。

待合室自体は比較的広いのですが、私が訪れた時には除雪車が待機しており、何とも窮屈な印象を受けました。

駅舎の由来掲示が

会津荒海駅駅舎内掲示
写真6会津荒海駅駅舎内掲示。2020年1月24日

駅舎内には、当駅駅舎が会津鉄道と田島町農協(当時)で建てられた旨の掲示があります。もっとも、会津鉄道開業から30年以上を経過した現在では痛みも目立ってきています。

駅舎には時計台のようなものが設けられていますが、時計はおろか駅名表示も消されています。駅舎の正面左側には「関本農産品直売所」と書かれた看板が掲げられていましたが、私が訪れた時にはシャッターが降りていました。

駅周辺には集落

会津荒海駅駅前
写真7会津荒海駅駅前。2020年1月24日

駅の周辺にはまとまった集落が形成されており、小学校や中学校もあります。

停車列車

確認中。

乗り場

番線表示は確認できませんでした。

  • (東側)下り 会津高原尾瀬口、新藤原方面
  • (西側)上り 会津田島、会津若松方面

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

略年表(クリックまたはタップで開閉)
1947年(昭和22年)12月12日
国有鉄道(運輸省)会津線・会津田島-荒海(現、会津荒海)間が開業し、「荒海」駅開業。
1953年(昭和28年)11月8日
国鉄会津線・荒海-会津滝ノ原(現、会津高原尾瀬口)間が開業、中間駅となります。
1971年(昭和46年)8月29日
この日限りで貨物営業廃止。
1987年(昭和62年)7月16日
JR会津線(第2次特定地方交通線指定:西若松-会津高原間)が会津鉄道に転換、同社の駅となります。

駅周辺

確認中。

近隣の見どころ

確認中。

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