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鳥羽から賢島に至る路線で、沿線には志摩スペイン村などがあり、観光路線としての色合いが非常に濃い路線です。国鉄参宮線と志摩方面を結ぶため、志摩電気鉄道が1929年7月23日に全線を開業させたのが由来で、当時は真珠を中心とした貨物営業が主体でした。鳥羽線開業前は、近鉄本体と接続しない“離れ小島”でしたが、鳥羽線の開業とともに、それまで狭軌1,067mmだった軌間が標準軌1,435mmに変更され、名古屋・大阪との直通運転が行われるようになりました。
リアス式海岸を進んでいくため、カーブとトンネルが多いのが特徴です。海が見える区間は少ないのですが、鳥羽からしばらくの間と、志摩磯部付近から海面が望めます。
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桑名から大垣を経て揖斐にいたる、全長57.5kmの路線です。軌間は1,067mmと近鉄幹線とは異なっています。
揖斐川の西側、養老山地と伊吹山地の東側を走ります。沿線は水田と工場、それに住宅地が点在する中を進みますが、養老の滝などの観光資源もあります。大垣はスイッチバック式の駅となっており、運転系統(桑名方面と揖斐方面)もここで区切られています。
なお、慢性的な赤字が続いているため、近鉄の完全子会社「養老鉄道」が第2種鉄道事業者として運営にあたることが決まっており、2007年秋をめどに新会社に移管される予定です。
大正初期に開通した古い路線ですが、戦前は経営主体が猫の目のように変わりました。旧・養老鉄道が、大垣-養老および大垣-池野を1913年7月31日に開業させたのが始まりで、1919年4月27日に桑名-養老-揖斐の全線が開通しました。1922年6月13日の揖斐川電気合併後の1923年に電化されたのち、1928年4月6日に養老電気鉄道として再分離、1929年10月1日に伊勢電気鉄道と合併して同社養老線となりました。これで落ち着くかと思いきや、1936年5月20日に養老電鉄として分離、さらに1940年8月1日に参宮急行電鉄に合併となっています。その後、参急は大阪電気軌道と合併して関西急行鉄道に、さらに関西急行鉄道は南海を合併して近畿日本鉄道になっており、しめて7回の変更があったことになります。
(2007年4月2日)