極めて複雑な歴史をたどってきた駅

厚木

あつぎ
Atsugi
相模線厚木駅ホーム
相模線厚木駅ホーム。2009年12月13日

小田急よりも先に開業

厚木駅に到着する橋本行列車
写真1厚木駅に到着する橋本行列車。2009年12月13日

小田急小田原線との接続駅である厚木駅は、その名に反して厚木市内にはなく、厚木は相模川を挟んだ西の対岸に位置しています。厚木に行く場合は、ここで小田急線に乗り換えて本厚木駅に行くことになります。JR相模線は地平を通り、その後に開業した小田急線はこれをオーバークロスしています。

1つの線路を東西2つのホームが挟み込んでいますが、使用されているのは西側のホームのみです。下りおよび上りの列車が到着するたびに、どちら方向への列車かという案内アナウンスが流れます。かつては小田急小田原線と相模線を結ぶ短絡線が、厚木駅の南東側に敷設されていましたが、1970年頃には姿を消しています。

かつては貨物輸送が盛ん

厚木駅ホームから橋本方を見る
写真2厚木駅ホームから橋本方を見る。2009年12月13日

ホームの部分は1面1線ですが、海老名方では線路が分かれています。正式な駅本屋(厚木駅の中心)はこちらにあり、この部分には信号機が設置されており、閉塞区間の区切りになっているため、列車交換が可能です。実際、タブレットを用いて列車交換を行っていた時代は、この部分で列車の行き違いが行われていました。現在でも信号扱いなどは、ホーム位置ではなくこの中心地で行われており、営業キロの計測もここが中心になっていますが、社家などと同様のコンクリート造りだったという旧駅舎の痕跡は残っていません。比較的最近まで、びゅうプラザ(JR東日本の旅行代理店)の支店が置かれていましたが、現在は廃止されているようです。

かつては砂利の採取と搬出で多くの貨車が行き交った厚木駅ですが、相模川の砂利採取が禁止されたことに伴い砂利輸送が衰退。さらに駅周辺にあったセメント工場からの輸送量も減少し、駅の北西側には長らく広大な空き地が広がっていました。2000年頃からマンションが立ち並ぶようになり、現在ではやや不相応な側線の多さが往事をわずかにしのばせるのみとなっています。

なお、厚木から次の海老名より少し先までは、右側に線路が並走するため複線のように見えますが、これは相鉄の厚木貨物線です。相鉄厚木駅も一応健在ですが、すでに貨物列車の発着はなく、事実上車両基地になっています。

向かい側は旧ホーム

厚木駅旧構内踏切跡
写真3厚木駅旧構内踏切跡。2009年12月13日

現在使われているホームの向かい側にもホームがありますが、これはかつて使われていた旧ホームです。現在では、一般の旅客が行き来するルートはなく、このため多客期用の臨時ホームなどとして使われる可能性もありません。

かつては側線がありました

構内踏切現役当時の厚木駅ホーム
写真4構内踏切現役当時の厚木駅ホーム。2005年6月26日

旧ホーム時代は、構内踏切の駅舎脇に側線が1本通っており、旅客ホームと駅舎が直結できない配線になっていました。現在のホームは、この配線跡に作られています。

駅業務は小田急に委託

小田急線との乗換口
写真6小田急線との乗換口。2009年12月13日

JRホームから出ると、かつては乗換え客用の簡易IC改札機が立っていましたが、現在では乗換専用改札口が設置されています。出改札業務は小田急に全て委託されておりています。

かつての構内踏切は手動式

構内踏切現役当時の乗換口
写真6構内踏切現役当時の乗換口。2005年6月26日

かつて使われていた構内踏切は手動式で、列車が接近する、または発車するタイミングになると駅係員がその都度開閉していました。手動式の踏切を他社の係員が操作するという、非常に珍しい光景が見られました。

駅名の由来

最初に開業した神中鉄道が、厚木町(現在の厚木市)への最寄り駅として暫定的に命名したものが、その後も定着したものです。なお、この駅の領域が厚木町や厚木市の領域に入ったことはありません。

歴史

全国的に見ても、極めて複雑な経緯を経てきた駅の一つです。ここでは神中鉄道(現、相鉄本線)を含めて概要のみ記述します。

略年表(クリックまたはタップで開閉)
1926年(大正15年)5月12日
神中鉄道によって二俣川-厚木間が開業した際、厚木駅開業。
1926年(大正15年)7月15日
相模鉄道によって倉見-厚木間が開業した際、相模鉄道の厚木駅開業、接続駅となります。
1927年(昭和2年)4月1日
小田原急行電鉄によって新宿-小田原間が開業した際、相模鉄道との交差部分に「河原口」駅開業。
1929年(昭和4年)2月
神中鉄道が「中新田口」駅を設置、小田急の河原口駅と連絡。
1931年(昭和6年)4月29日
相模鉄道によって厚木-橋本間が開業、相模鉄道の中間駅となります。
1932年(昭和7年)11月1日
相模鉄道の社家-厚木間に「中新田」駅開業。厚木駅はそのまま存続。
1941年(昭和16年)11月25日
神中鉄道の相模国分(現在は信号場)-海老名間開業に伴い、神中と小田急の連絡駅が中新田口から海老名に変更。
1943年(昭和18年)2月
相模鉄道が東京急行電鉄小田原線の河原口駅および神中鉄道の中新田口駅に隣接し、新駅「河原口」駅を開業(諸説あり)。
1943年(昭和18年)4月1日
相模鉄道が神中鉄道を買収、分岐駅となります。
1944年(昭和19年)6月1日
相模鉄道の茅ヶ崎-橋本間が国有化され、国有鉄道(運輸通信省)相模線の駅となります。この際、国鉄相模線および東急小田原線の河原口駅を厚木駅構内の乗降場とし(厚木駅本屋は従来どおり)、公式接続駅となります。
1964年(昭和39年)11月4日
この日限りで相鉄・海老名-中新田口間の旅客営業廃止。
1986年(昭和61年)10月31日
この日限りで貨物営業廃止(相鉄接続を除く)。
1987年(昭和62年)4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。

駅周辺

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近隣の見どころ

確認中。

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