廃線跡と並行して

西塩釜

にししおがま Nishishiogama
西塩釜駅
▲西塩釜駅《2008年7月12日撮影》

相対式ホームの駅

西塩釜駅下りホーム
【写真1】西塩釜駅下りホーム(奥は石巻方)。《2008年7月12日撮影》

塩竃市街地の南側に設けられている駅です。

地平に相対式ホーム2面2線が設けられていますが、ホームの幅は比較的狭めです。

上りホームの上には崖が露出

西塩釜駅上りホーム
【写真2】西塩釜駅上りホーム。《2008年7月12日撮影》

下りホームは通常の土盛りですが、上りホームは東側が崖になっており、岩盤がくりぬかれてコンクリートで固められた部分が屋根のようになっています。

古さを感じさせる橋上駅舎

西塩釜駅出口
【写真3】西塩釜駅出口。《2008年7月12日撮影》

橋上駅舎になっていますが、エレベーターなどバリアフリー設備は用意されていません。駅の内部に設けられた案内表示などは国鉄時代のものがそのまま使われているようで、また駅の出入口付近にも、JRのロゴはいっさい見られません。

基本的には無人に

西塩釜駅改札口
【写真4】西塩釜駅改札口。《2008年7月12日撮影》

改札口には自動改札機が設置されスペースにはゆとりがありますが、私が下車したときには改札口のシャッターは閉められ営業時間の記載もないことから、基本的に無人で、多客期にのみ要員が派遣されるという形態と思われます。

駅周辺はややうらぶれた雰囲気

西塩釜駅脇の旧塩釜線廃線跡
【写真5】西塩釜駅脇の旧塩釜線廃線跡。《2008年7月12日撮影》

下りホームの西側には、かつてのJR貨物・塩釜線の廃線跡がそのまま雑草に埋もれながら残っています。この西側には民家が並んでいますが、老朽化した家屋が多く、一部には廃屋もあるなど、いささか荒廃した雰囲気があります。少し北の方に進むと、飲食店や商店街がありますが、こちらも地方都市の旧市街地にしばしば見られるような古びたたたずまいで、およそ活気などなく、駅とその周辺が、20年以上前から封印されているような印象を受けました。

乗り場

東側から順に、1番線、2番線となります。

  • 1.仙石線上り 仙台、あおば通方面
  • 2.仙石線下り 本塩釜、石巻方面

駅名の由来

確認中。

歴史

宮城電気鉄道開業当初からの駅です。

1925年6月5日
宮城電気鉄道の仙台-西塩釜間が開業し、暫定終着駅・西塩釜駅開業。
1926年4月14日
西塩釜-本塩釜間が開業し、中間駅となります。
1944年5月1日
宮城電気鉄道が国有化され、国有鉄道(運輸通信省)仙石線の駅となります。これに伴い、駅名を「西塩釜」から「西塩竃」に変更。
1963年5月25日
駅名表記を再度「西塩釜」に変更。
1981年11月1日
西塩釜-東塩釜間が複線化。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。
1997年3月31日
この日かぎりで、仙石線に並行するJR貨物・塩釜線が廃止。
2011年3月11日
東日本大震災が発生、仙石線が全線で運休。
2011年4月19日
仙石線の小鶴新田-東塩釜間が復旧、営業再開。

周辺の見どころ

確認中。

◆ミニコラム◆ 宮城県内最古の路線だった塩釜線

西塩釜駅の西側を通っている廃線跡は、南西側へ進むと東北本線の国府多賀城方面へとカーブを描いています。晩年には貨物列車が細々と走る路線になっていましたが、それでも「塩釜線」という独自の名称を持っており、決して東北本線の貨物支線でも、仙石線の貨物支線でもありませんでした。

さらに時代を遡ると、もともと日本鉄道が宮城県に最初に開業したのは郡山-仙台-塩竃ですが、このうち仙台-塩竃間は、仙台から現在の東北本線の国府多賀城駅付近までを進み、そこから海側へ向かい、現在の本塩釜駅近くの塩竃駅へいたるというルートをたどっていました。すなわち塩釜線は、宮城県内で最も古い鉄道路線でもあったのです。貨物専用でありながら独自の路線名が最後まで残ったのは、そんな歴史に基づくものだったのでしょうか。

そういえば、国鉄末期に廃止された貨物営業のみの手宮線(廃止当時、小樽築港-手宮間)も、北海道で最古の路線のひとつでした。

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