地平に島式ホーム
府中本町を出た武蔵野線は、府中の市街地を地下で抜け、トンネルを出た付近でかつての下川原線跡の敷地に入り、ほどなく最初の駅である北府中に至ります。
島式ホーム1面2線に橋上駅舎から成る地平駅です。
府中本町を出た武蔵野線は、府中の市街地を地下で抜け、トンネルを出た付近でかつての下川原線跡の敷地に入り、ほどなく最初の駅である北府中に至ります。
島式ホーム1面2線に橋上駅舎から成る地平駅です。
西側に東芝府中工場が隣接しており、改札口を出ると右手が東芝工場専用通路となっています(関係者以外立ち入り禁止)。
東側は、南北に走る府中街道に面しており、団地が近くに立地していますが、人の行き来はあまり盛んではありません。駅前にあるバス停留所には「東芝前」とあり、駅の存在感があまりにも希薄。
北西には府中刑務所があるほか、駅から真東に進むと、東京農工大学の農学部キャンパスが立地しています。また駅の南西側には、日鋼跡地の再開発でうまれたビジネスセンター、インテリジェントパークがあります。
東側から順に1番線、2番線となります。
確認中。
国分寺-東京競馬場前間の中央本線枝線が開業したのは1934年4月2日でしたが、同年11月16日に設けられた富士見仮信号所が、北府中駅の前身にあたります。この枝線は国分寺を出てから南へカーブし、現在の武蔵野線のルートを通って富士見仮信号所に至り、ここからやや南西へ進み(すなわち、現在の武蔵野線より少し西にズレます)、下河原へ向かう貨物線を分岐し、東京競馬場前へと向かっていました。富士見仮信号所は、戦時中の工員輸送が求められるようになったことを受け、1944年11月1日から東京芝浦電気の工場従業員限定で旅客の扱いを行いました。この際、東京芝浦電気保有の車両が担当したといいます。
富士見仮信号所は戦後廃止されましたが、1949年1月21日に仮乗降場として復活しました。1952年7月1日には、現在の北府中として改称のうえ信号場となり(旅客扱いは継続)、専用線発着の貨物の取扱も行うようになりました。さらに1956年9月1日なり、正規の駅に昇格しています。
1973年4月1日になると、東京競馬場前駅が廃止されるとともに、武蔵野線が府中本町-新松戸間が開業し、北府中駅は中央本線所属から武蔵野線所属になり、武蔵野線と下河原貨物支線の分岐駅となります。しかし、下河原貨物支線も、1976年9月19日かぎりで廃止され、北府中は単なる一中間駅となりました。
確認中。
確認中。