すぐ脇の工場に直結

北府中

きたふちゅう
Kitafuchū
北府中駅
北府中駅駅舎。2004年9月15日

地平に島式ホーム

橋上駅舎から駅構内を見る
写真1橋上駅舎から駅構内を見る。2004年9月15日

府中本町を出た武蔵野線は、府中の市街地を地下で抜け、トンネルを出た付近でかつての下川原線跡の敷地に入り、ほどなく最初の駅である北府中に至ります。

島式ホーム1面2線に橋上駅舎から成る地平駅です。

工場と刑務所が近くに

東芝工場専用通路
写真2東芝工場専用通路。2004年9月15日

西側に東芝府中工場が隣接しており、改札口を出ると右手が東芝工場専用通路となっています(関係者以外立ち入り禁止)。

東側は、南北に走る府中街道に面しており、団地が近くに立地していますが、人の行き来はあまり盛んではありません。駅前にあるバス停留所には「東芝前」とあり、駅の存在感があまりにも希薄。

北西には府中刑務所があるほか、駅から真東に進むと、東京農工大学の農学部キャンパスが立地しています。また駅の南西側には、日鋼跡地の再開発でうまれたビジネスセンター、インテリジェントパークがあります。

乗り場

東側から順に1番線、2番線となります。

  • 1.武蔵野線上り 府中本町方面
  • 2.武蔵野線下り 南浦和、西船橋方面

駅名の由来

確認中。

歴史

国分寺-東京競馬場前間の中央本線枝線が開業したのは1934年4月2日でしたが、同年11月16日に設けられた富士見仮信号所が、北府中駅の前身にあたります。この枝線は国分寺を出てから南へカーブし、現在の武蔵野線のルートを通って富士見仮信号所に至り、ここからやや南西へ進み(すなわち、現在の武蔵野線より少し西にズレます)、下河原へ向かう貨物線を分岐し、東京競馬場前へと向かっていました。富士見仮信号所は、戦時中の工員輸送が求められるようになったことを受け、1944年11月1日から東京芝浦電気の工場従業員限定で旅客の扱いを行いました。この際、東京芝浦電気保有の車両が担当したといいます。

富士見仮信号所は戦後廃止されましたが、1949年1月21日に仮乗降場として復活しました。1952年7月1日には、現在の北府中として改称のうえ信号場となり(旅客扱いは継続)、専用線発着の貨物の取扱も行うようになりました。さらに1956年9月1日なり、正規の駅に昇格しています。

1973年4月1日になると、東京競馬場前駅が廃止されるとともに、武蔵野線が府中本町-新松戸間が開業し、北府中駅は中央本線所属から武蔵野線所属になり、武蔵野線と下河原貨物支線の分岐駅となります。しかし、下河原貨物支線も、1976年9月19日かぎりで廃止され、北府中は単なる一中間駅となりました。

略年表(クリックまたはタップで開閉)
1952年(昭和27年)7月1日
国鉄中央本線支線・国分寺-下河原(貨物駅)/東京競馬場前(仮停車場)間に、北府中信号場開業。
1956年(昭和31年)9月1日
正規の停車場に昇格(駅として開業)。
1973年(昭和48年)3月31日
この日限りで国分寺-北府中-東京競馬場前間廃止。
1973年(昭和48年)4月1日
国鉄武蔵野線・府中本町-北府中-西国分寺-新松戸間開業、武蔵野線と下河原貨物線の分岐駅となります。
1976年(昭和51年)9月19日
この日限りで北府中-下河原間廃止、武蔵野線単独駅となります。
1982年(昭和57年)3月31日
この日限りで貨物営業廃止。
1987年(昭和62年)4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。

駅周辺

確認中。

近隣の見どころ

確認中。

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