片面ホーム1面1線のみ
八高線は、寄居を出るとそれまでの丘陵地帯を脱し、関東平野北西部の平野を走るようになり、車窓も畑から水田へと変わっていきます。このこの区間の最初の駅が、用土になります。
用土駅旧駅舎は解体され、自治体建設の新駅舎が設置されました。本稿は、旧駅舎当時の写真および訪問記になっています。(2020年6月5日)
八高線は、寄居を出るとそれまでの丘陵地帯を脱し、関東平野北西部の平野を走るようになり、車窓も畑から水田へと変わっていきます。このこの区間の最初の駅が、用土になります。
片面ホーム1面1線が設けられている無人駅です。駅の前後でホームが屈曲しているのは、かつて相対式ホームを備えて列車交換が可能だったことの証です。
ホームには据え付け式のベンチが置かれているほか、壁面の掲示板には地元の人の俳句が掲示されていました。
駅舎はかなりの年代物で、現在は地元の集会等に利用されているようですが、見たところかなり老朽化が進んでいるようでした。実際には単なる待合室になっており、機能的にはもはや駅舎と呼べる状態ではありません。
それでも待合室の中はきれいに清掃されており、窓口には今でも駅員が勤務しているように見えました。
実際に駅舎と呼んでよいのは、駅舎らしい建物のすぐ脇にあるプレハブ状の建物の方で、ここにもベンチが置かれていました。駅舎は出入口機能が中心といってよいでしょう。
駅周辺には民家が点在するものの、特にこれといったものはなく、静かな駅です。
確認中。
すでに開通していた秩父鉄道と東上線に接続する形で、1933年に児玉方からの路線として八高北線が開業。1934年10月6日には、寄居-小川町が開業し、八高線が全線開通しています。貨物営業は、1974年4月4日かぎりで廃止されています。
確認中。
確認中。